第12話 フランチェスカ
フランチェスカは知っていた。
婚姻以前に、彼女に手を出した令嬢達の行く末を。そして、それに加担していた人物を。
彼女自身、他の令嬢達に面白く思われていないことはよくわかっていた。
だが、フランチェスカにとっては自分に言い寄る男も、それを見て嫉妬心を持つ女たちにも興味はなかった。
彼女が夜会に出るのは「あの方」に会えるかもしれないから。ただそれだけ。
だから、他の令嬢に虐げられることも、人目を引くことも、彼女にとってみたら「あの方」に気がついてもらえる可能性が高くなるので、密かに有難いとすら思っていた。そして、フロイドが令嬢達を秘密裏に処罰してくれていると知り、感謝の念を抱いていた。
フランチェスカは知っていた。
彼女を慕い、自分のものにしようとしている令息たちが痛い目を見ていたことを。そして、それに指示を出していた人物を。
フランチェスカを慕い拗らせた想いを抱く者の中には、彼女を自分のものにしてしまおうとする者もいた。そういった者達がいつの間にか世間的に抹消させられたり、二度とフランチェスカに近づくことが出来ぬようになっていたのだ。
そして、それらも全てフロイドが手を回していたと知り、尊敬の念すら抱き始めていた。
フランチェスカは知っていた。
王命による愛の無い結婚でありながら、夫となったフロイドが自分を愛していることを。そして、それを隠そうとしていることを。
だから彼女は、今日も知らない振りをする。夫が自分を愛している事に気が付いていると、感づかれてはいけない。王命による愛の無い冷たい夫婦を演じるのだ。そこを違えてはならない。それなのに、いつのまにか視線が彼を追ってしまう。崇拝する方が側にいるのだ、仕方がないことだと思いつつ、気をつけねばと思うフランチェスカだった。
フランチェスカは知っていた。
婚姻以前、伯爵家に届けられた一輪の赤い薔薇。
心の拠り所としながらずっと想い続けていた「あの方」が誰なのかを。
そして、あの赤い薔薇の意味を……。
だからこそ、彼女はその薔薇を自分と同一にすることで、契りの行為を疑似で行っていたのだ。
フランチェスカにとってのフロイドは、彫刻物のように美しい、神が与えた生きる作品であった。
彼が人間らしい行為をすることは、彼女にとっては耐えられない事だった。
フロイドが怒りを露わにすることも、涙を流すことも、声を上げて笑う事すら許したくはない。そして汗を流し、息を切らすことも我慢がならない。彼は常に完璧でなければならないのだ。
神に誓い夫婦となっても、そんなものを信じるほどに彼女の心は純粋ではない。
彼こそが、フロイドこそが「神」であり、信仰に値する人物だから。
彼が自分を組み敷き上から見下ろすその顔が、男となり欲情しているなどあり得ないことなのだ。
額に汗を滲ませ、顔を歪ませながら自分を見つめることなど、彼女にとっては耐えがたい屈辱。彼は決してそのようなことをしてはいけないと、フランチェスカは心の底から思っていた。
フロイドのためになる事なら、フランチェスカはどんな危険もいとわない。
たとえそれで自分の身に、いかなる処分が下されようとも構わなかった。
それで彼が自分の存在を意識し、たとえ一時でもその脳裏に自分を刻みつけることができるのならそれは苦でもなんでもなく、むしろ喜びですらあった。
夜会で男たちはフランチェスカに甘言をつぶやく。政治に疎そうな娘に対し、自分の功績をひけらかすために他聞をはばかる話も平気で口にする。
フランチェスカはそんな男たちの話を聞き、フロイドに対して悪手になる者を消し去るように仕向けてきた。
男を葬るのは簡単だ。利にならない者同士を潰し合わせれば良いだけだ。
夜会で憂いた顔をしているだけで男たちは寄ってくる。そして自分が何とかしようと声をかけてくるのだ。
フランチェスカはそんな男に対し、視線を動かすだけで良い。薄っすら瞳を滲ませ、消したい男を見るだけ、それだけで馬鹿な男達は察してくれる。
あの男があなたによからぬ事を?と勘違いをし、勝手に動いてくれるのだ。
フランチェスカは何も言っていない。ただ視線を動かしただけ。
それだけで、男たちはフランチェスカのためにその身を戦わせ、物理的に消え失せてくれるのだ。
そう、フランチェスカは何も言っていない。なにも……。
そうしてフロイドの身辺は、いついかなる時も彼のためになるように用意をしてきたのだ。彼の為に、「あの方」のためにフランチェスカは生きている。
たとえそれを彼が知ることがなくても構わない。
フランチェスカの功績を褒めたたえてくれなくとも気にしない。
それは、彼女がしたくてしているだけの事。彼の口から頼まれたわけでは決して無い。だから、たとえ報われなくても、一生日の目を見ることが無くても良い。
ただ彼の為になれれば、それだけで、それだけでフランチェスカは満足なのだ。
「お嬢様。行ってまいりました」
「お帰りなさい、アンナ。『霧は晴れていたかしら?』」
「はい。万事、抜かりなく」
「そう、良かった」
フランチェスカは外出から帰ったアンナを労うように、微笑みかけた。
「その甘味も、邸の者に分けてあげて。私は胸がいっぱいで食べられないわ」
「かしこまりました」
アンナは頭を下げつつ、王都の街で買ってきた今流行りの甘味の箱を持ち、フランチェスカの自室を後にした。
フランチェスカがフロイドを想うように、彼女を想う者も存在する。
フロイドがフランチェスカを想うよりも、フランチェスカがフロイドを想うよりも深く、濃く、そして静かに思う者達が間違いなく存在するのだ。
その者からすれば、フランチェスカの幸福こそが己の幸せであり、それこそが生きる理由となる。彼女の願いを叶えることが至福であり、褒美などと言う概念は無い。唯一与えられることと言えば、彼女の姿を遠巻きに見ることと、時折見せるほほ笑んだ顔を拝むだけで十分なのだ。
だから、フランチェスカは庭に出て花を愛でる。時には庭の四阿で茶を楽しむこともある。そして、アンナとともに会話をし、微笑んで見せる。
それだけで彼らは、フロイドの周りの『霧』を晴らしてくれるのだ。
人の心など、いつ心変わりするかわからない。だが、それを責めることなどできはしない。フランチェスカと『霧』の関係も、いつ崩れ落ちるかもわからない。そんな危うげで、脆い関係。
しかし、フランチェスカはそれで良いと思っている。
フロイドの立場を守り盤石な物にするために、奈落の底に落とされ生き地獄を味わわされた者もいる。陰で散らした命も間違いなくあっただろう。
だとしたら、その責任は自分が取るべきだ。
そして、できるなら最後はフロイドの手にかけて欲しいとも思っている。
彼の瞳の中に自分を、自分だけを映し、息絶えたいと心の底から願っている。
きっと、自分で手にかけた女の事は死ぬまで忘れることはないだろうから。
憎まれても、蔑まされてもいい。彼の記憶の中に住み続けることができればそれでいい。
これから先の未来で、万が一にも他の女の手を取ることになったとしても、自分を忘れていなければ、彼はフランチェスカのものなのだ。
死んでもなお、フランチェスカはフロイドを離しはしない。決して。
「あなたは誰にもわたさなさい」
あなたは誰にもわたさない 蒼あかり @aoi-akari
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