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 ちゅっ。

 弾ける音とともに、俺の口元から、やわらかな感触が離れていく。

 逃がしたくない。

 そのあとを追うように、対面する相手の頬に、自分の手を添えれば、小さなほほえみに次いで、マリアが再び目を細めた。


 今一度、俺は、唇を重ねる。

 地下を満たす、土と埃の匂いに混じって、ほのかなマリアの香りが、鼻孔を刺激した。

 何度やっても、感触は、いまひとつわからない。

 汗ばむような緊張と、とろけてしまうほどの幸福が合わさって、今にも、どこかへ飛んでいってしまうような、そんなふわふわとした心持ちだけが、俺の胸をいっぱいにしていく。


 二人だけの世界。

 俺とマリアのほかには何もない、特別な空間。

 少しでも横に目を向ければ、夜の帳がおりたクシナと、そこに暮らす人々の姿が見える。だが、今は関係ない。今だけは、俺たちは現実を忘れて、二人だけの時間に、存分に浸ることができるのだ。


「また、ここにいたのか。マリア、ヨキ。そろそろ、就寝の時間だ。戻れ」


 名前を呼ばれ、俺たちは、同時に一人の大人を見返していた。


「先生……」


 成人していない俺たちは、さとにしてみればまだ子ども。ために、寝るときまでは、一緒にはいられない。子どもは、男女それぞれに分かれ、一つの塊になって眠るのが、さとの決まりである。その例に漏れない俺たちにも、こうして、部屋に戻るように促す、先生がやって来たというわけだった。


「ずっと、一緒にいたいのに」

「俺だって、同じ気持ちだ」


 力強く肯定したくて、俺は、言葉とともにマリアの手を、ぎゅっと握りしめた。


「朝一番に会いに来るわ」

「いいや、俺のほうが迎えに行くよ」


 俺たちは、一秒でも長く一緒にいようと、飽くことなく、別れのあいさつをつづけていた。だが、とうとう、先生は痺れを切らしたらしい。俺たちの会話を、横から無残に断ち切っていく。


「お前たち、毎度まいど、どうにかならんのか……」

「何を言ってるんですか、先生」

「そうですよ。俺たちは、ちゃんと将来を誓いあってます」


 確認するように、俺が目でマリアに合図を送れば、受け取った彼女も、ゆっくりと力強くうなずいている。先生にすれば、俺たちの反論は、思わぬものだったのだろう。驚いたように、二三歩、その場で後ずさっていた。


「ああ、分かったわかった。俺が悪かったから、早くしてくれ。お前たちには、二人とも、明日も大事なお役目・・・が、あるはずだろ? 特に、ヨキ。お前は明日、ワクカナさんと、聖域に向かう予定になってる。お前に限ってないとは思うが、くれぐれも遅れてくれるなよ」


「……」


 この星――いいや、さとでの役割を指摘されれば、いくらマリアに、夢中になっている俺といえども、折れざるをえなかった。それほどまでに、自分が属する集団での、役割というのは、俺たちにとって、重たい意味を持っているのだ。


 先生のあとを追うように、マリアが女部屋へと戻っていく。名残惜しそうに、何度も後ろに向きなおっては、小さく手を動かすマリアに対して、俺も応えるように、ずっと自分の腕を振りつづけていた。何度もなんども、大きく、それこそ腕が痛くなるほどに。


 マリアが振り返ったとき、ちょっとでも、俺の姿が目に映るようにと、懸命に手を動かした。







 鳥の声で目を覚ます。

 だが、それは幻聴だ。この地下に鳥はいないし、今や地上にだって、一羽も生息してはいないだろう。昔、本物のさえずりを、一度だけ聞いたことがあるので、それを寝ている間に、思い出したのかもしれない。眠りが浅かったのだろう。久しぶりの務めに、自分でも感じている以上に、俺は緊張していたのだ。


 マリアに会いに行こう。

 マリアの顔を一目でも見れば、こわばった体も、たちまちほぐれてくれるはずだ。

 軽く伸びをする。

 男部屋は、人数が多く、ほぼほぼ雑魚寝の状態だ。足の踏み場がまるでない。

 そばで寝ている、ほかの子どもたちを起こさぬよう、そっと部屋を出た俺は、マリアのいる女部屋へと向かって、てくてくと足を進めた。


 なんともなしに、深く息を吸う。

 昨夜と何も変わらないはずなのに、朝というだけで、どこか、空気が澄んでいるように感じられた。

 空気がうまい。

 深呼吸をくり返す俺の瞳に、歩く大人の姿が映る。今日の主役とも言うべき、俺の師匠だった。弟子として、あいさつをしないわけには、いかないだろう。急いで近寄り、俺は、頭をさげる。


「師匠。今日は精一杯、護衛に努めます」


 俺のあいさつに、師匠は、少しだけ驚いた顔をしていた。


「おお、ヨキか。えらく早起きだな。だが、あまり気張ってくれるな。近頃は、バケムクロも、鳴りをひそめてるようだからな。お前には、俺の警護なんか早く辞め、一人前の上閲じょうえつになってもらいたい」


 師匠の言葉からは、俺に期待しているということが、ひしひしと伝わって来た。

 素直にうれしい。

 だが、尊敬している師匠の足元には、まだほど遠い。それくらいは、俺にもわかっている。お役目に、嘘はつけない。


 俺は、うれしさの隠せていない顔で、師匠の言葉をいさめていた。


「それだと、師匠を守る者が、足りなくなってしまいます」。


 俺の返事に、師匠は、少しだけ相好を崩した。どうやら、今日は機嫌がいいようだ。あのまま二度寝をしなくて、本当によかった。もちろん、真の目的は、マリアにいち早く会うためだったが、師匠と話せたことも、俺としてはとてもうれしかった。ずいぶんと久しぶりに、お役目以外の話を、師匠とできた気がする。


「まったく、戦士になりたがる者ばかりが多くて、いかんな」。


 そう言って、師匠は、俺に手を振った。なぜ、俺がこんな早くに活動しているのか、師匠にしてみれば、お見通しなのだろう。少しだけ気恥ずかしくなりながらも、俺は、礼を言って、その場をあとにする。そのまま急いで、マリアのもとへと向かった。


 俺たちの生活は、安全に暮らせる地を求めての、放浪が基本だが、こうして、長めに滞在できる場所に、居座った際には、生活に、さとの決まりごとが強く反映される。半人前の男女が、一緒になれないというのも、その一つだった。


 ゆえに、俺は、女部屋に立ち入ることはできない。踏み入ることを、許されてはいないのだ。

 目の前に現れた、複雑に入り組んだ通路。その一つの出入り口で、俺は、マリアが起きて来るのをじっと待った。


 この時間は、とても心地いい。

 マリアと離れているときは、寂しくてたまらないが、今は、もうすぐ会えるという喜びのほうが、強くなって来ている。膨らむ期待が、やわらかな幸福となって、浜に打ちつけるさざ波のように、少しずつ俺に押し寄せては、待ちきれない焦燥感とともに、漸減していく。ひときわ大きい、弾けんばかりのうれしさが来るのは、やっぱり、この目でマリアを見つけたときだった。


 にわかに、俺たちの視線が交差する。――と、マリアの瞳が、大きく見開かれた。

 まだ、朝は早い。

 マリアも、昨晩に話していたように、俺を迎えに行くために、早起きしていたのだろう。決して勝負事ではないが、胸のうちでは、趣の異なる優越感を覚えていた。


「負けちゃった」


 その一言に、猛烈な愛おしさがこみあげて来る。嗚呼……やっぱり、俺とマリアは、似たもの同士だ。同じ価値観を持ち、似たような考え方のできる、よきパートナー。そこにははっきりと、運命さえも感じ取れる。これは決して、大げさな表現だとは思わない。


「おはよう。ずいぶん、早起きなのね」

「マリアだって、同じじゃないか。……本音を言うと、久しぶりの実地に、少し緊張してる。中々、寝つけなかったのもあるが、だからこそ、マリアに早く会いたかった」


「わたしもよ。早く今日の仕事をおえて、あなたのお世話がしたい」

「おいおい、昨日もそう言って、結局俺が、尽くされてばかりだったじゃないか。今日は、俺の番だ。俺に、マリアの世話をさせてくれ」


 束の間、不服そうにマリアが顔を歪める。だが、この点だけは譲れない。疲れたマリアの、体と心を解きほぐしていく。その瞬間が、何よりも自分の存在意義を、感じられるのだ。


 満たされていく。

 俺の心が、マリアという一人の女性で、埋めつくされるような、すべてを超越した幸福感が、そこにはあった。


 手をつなぎながら、食堂へと向かう。ゆっくりと、マリアをエスコートするように、慎重に歩を進める。

 少ない朝食。

 食料の生産を思えば、これも致し方のないものだろう。

 だからこそ、本当は、自分のぶんさえも、すべてマリアにあげたかったのだが、彼女が頑なに拒んだので、それはやめざるをえなかった。


 自分の朝食を食べながら、マリアに口を開けてもらって、彼女のぶんの食事を、そこへと運んでいく。かいがいしい、身の回りの世話への没頭。


 やはり、この時間が一番だ。

 神を除けば、このために自分は生きているのだと、そう強く実感できる。

 充実の一言。

 だが、やがて、聖域へと出発する時間になった。名残惜しいが、マリアにも、俺以上に立派なお役目がある。仕事に向かうマリアのことを、見送れないのは、非常に心苦しいが、俺も自分の務めを果たそう。


「行ってらっしゃい」


 すでに集まりつつあった面々のもとへ、俺が小走りで駆け寄っていけば、後ろから、マリアがひときわ楽しそうに声をあげた。


 俺はうれしさと悔しさが入り混じった、複雑な気持ちを押し殺しながら、小さくなっていくマリアに向かって、何度も後ろを振り返っては、高く腕を持ちあげた。


「ヨキ、そろそろ地上に出る。気を引き締めろ」


 師匠の短い一言が、一瞬にして俺の体から熱を奪う。

 そうだった。浮かれている場合ではない。

 これから、俺たちは、命の危険が伴う場所に、向かわなければならないのだ。


「はい。すみません、師匠」


 一気に、緊張感が体中を駆けめぐっていく。

 それは、鋭い痛みを感じたときにも似ていて、全身が勝手にこわばっていくのだ。理性では、それが状況を悪くする一方だと、わかってはいても、本能的な恐怖には抗えない。


 足がもつれる――いいや、錯覚だ。

 俺の足は、平時と同じように、きちんと動いている。

 落ち着けおちつけ。

 自分に言い聞かせるように、俺は、何度も深い呼吸をくり返した。

 少しでも緊張がやわらぐように、太陽のようなマリアの笑顔を、頭に思い浮かべながら、何度もなんども、息を吸っては吐くのをつづけた。


 真っ暗な道。

 拠点とは違って、道中に明かりはない。

 己の記憶と経験だけを頼りに、地上へのルートを淡々と進む。

 ややもすれば、自分の現在地を見失いそうだった。

 じゃりじゃり。

 先頭を歩く師匠の足が、一定の間隔で音を刻む。

 まるで、自分はここにいるんだと、そう言外に主張しているようで、とても心強かった。

 やがて、頭上にワルハバの光が差す。

 ほの暗く、とても地上を覆うのにはほど遠い、小さな光。これこそが、バケムクロの発見を遅らせる、最大の要因であるというのに、ちっぽけな俺たちには、どうすることもできない代物だった。


 当たり前だ。

 恒星をどうこうしようなんて、人間にできる仕業じゃない。それでもまだ、淡い光があるだけマシだと、思うよりほかにないのだろう。


「昔は、もう少し明るかったそうっすね……ワルハバ」


 空を見あげる俺の視線に、気がついたのだろう。モタカ先輩が、俺の気持ちを代弁するように、横で独り言ちていた。


 それを受け、師匠が言葉をつないでいく。


「古代文明の話か……。失われた技術がなんになる。俺たちの魔法でも、どうにかできるらしいがな。いかんせん、さとにそんな余力はない。少しでも魔力があるならば、食料の生産に回すのが、さとのためだ。延いては、お役目のためでもある」


「知ってますよ。言ってみただけっす」


 そう応えて、モタカ先輩は、俺を見やった。満足したかと問いたげな視線に、俺は、頭を軽くさげることで、謝辞の代わりとした。


 さすがはモタカ先輩だ。頼りになる。

 儀式に関する物覚えが悪いので、師匠を補佐する者としては、客観的に見て、俺のほうが上になってしまうだろうが、それでも、視野の広さとでも呼ぶべき、気配りのうまさでは、比べようもない。


 いつまでも、こういった頼れる諸先輩に、甘えていたいところだが、今朝に言われた師匠の言葉もある。俺だって、期待には応えたい。俺は、早く一人前にならなきゃいけないんだ。


「じゃあ、兄さん。聖域にある、あの大きな船も、古代文明の一つなの?」


 モタカ先輩の弟にして、俺の後輩にあたる上閲じょうえつ補佐が、思いついたように口を開いていた。


「ああ……。俺は、あんま好きくないけどな」

「おしゃべりは、もういいだろ。集中しろ」

「ういっす」


 黙々と歩く俺たちが、さらなる大きな緊張感に包まれたのは、それからすぐのことだった。モタカ先輩が、鋭い口調で言い放ったのだ。


「右斜め前方。ちょっと、何か動いたっすね」

「俺、見て来ます」


 早く大人になりたい。

 逸る気持ちから、俺はモタカ先輩が示したほうへと、素早く近づいていった。

 岩陰を覗きこむように、慎重に身を乗りだす。


「……」


 いた。

 小ぶりだが、確かにバケムクロが一匹、蠢いている。

 バケムクロは、人類の敵だ。倒せるようなら、ここで始末しなければならない。

 相手はまだ小さいんだ、俺一人でも余裕だろう。

 黒刃剣ブラック・ソード……。

 とっさに、魔法を使おうとした俺だったが、まもなく思いなおす。

 ただでさえ、クシナに残された魔力は少ないのだ。こんな雑魚相手に、一々魔法を発動させていては、ダメだろう。


 抜き身の短刀で十分だ。

 意を決すると、俺は、岩に手をかけた。

 跳躍。

 岩を飛び越えると同時に、バケムクロを目がけ、勢いよく短刀を振りおろす。

 ぐしゃり。

 寸分も狂いなく、脳天を貫くと、そいつは何をするでもなく息絶えた。

 あとには、動かなくなった死骸だけが残る。

 その体に触れ、きちんと死亡したのを確認した俺は、みんなのもとへと戻った。


「先輩の言ってたとおりでした。小さいバケムクロを視認。その場で処分しました」


 好意的にうなずく、モタカ先輩とは対照的に、師匠は、俺に鋭い視線を向けた。


「魔法を使ったようには、見えなかったが?」

「相手が、とても小さな個体だったので、通常の武器で大丈夫と、判断しました。まずかったですか、師匠?」


「いや、お前が無事なら、それでいい。だが、くれぐれも油断するな。体が小さいからといっても、やつらはバケムクロだ。そのことに、違いがあるわけではない」


「はい……」


 魔力の節約。

 俺は、自分の気遣いが、正しく評価されなかったことに、少しだけ不満を抱いてしまった。その不満は、声のトーンにも表れていたのだろう。師匠はつづけて、こう話す。


「だが、さとのために、魔法の使用を、控えようとする姿勢については、評価しよう」

「はい!」


 それからは何事もなく、俺たちは、無事に聖域に到着した。上閲じょうえつが神の言葉を聞く場所、それが聖域だ。師匠も、その一人。俺やモタカ先輩たちのお役目は、それを補佐することにある。


 神の言葉を聞くための儀式は、非常に複雑だ。上閲じょうえつである師匠は、それらを、すべてそらんじていることになる。すさまじい記憶力に、上閲じょうえつを志す者として、俺は尊敬の念に堪えない。


 さとで暮らす者たちに与えられる、お役目すべてに優劣はないと、俺も固く信じてはいるが、それでも、やはり上閲じょうえつは別格だ。なにせ、上閲じょうえつは、俺たちの明日を決定する、神の言葉を直接聞いて、それを人々に伝える役目なのだから。


 いつもどおり、二時間ほどかけて、儀式が執り行われる。そのおわりに、大いなる存在の声が、聖域内にこだました。


 絶対的な超越者。

 文字どおり、別格の存在を前にして、思うことは、平伏の二文字だけだ。肌が焼けるほどの高揚感と、背筋が凍るほどの畏怖。神という超次元の存在が、自分を愛してくれている。それを考えるだけで、俺には、どんなバケムクロとも対峙できそうな、そんな桁違いの勇気が湧いて来た。


「普段どおりに過ごせ」


 厳かな、み言葉。

 たった一言が、何時間もかけて発されたかのような、気にさえなる。


「承知いたしました。偉大なるお導きに、さとを代表して、厚く感謝を申しあげます」


 師匠の言葉に合わせ、補佐官の俺たちも、深々と頭をさげていく。これは、意識しての行動ではない。


 自然に体が動くのだ。

 そうして、余韻に似た残響が消えると、すぐさま俺たちは、師匠のもとへと駆け寄った。直後、師匠が疲れ切ったように、体勢を崩す。


 無理もない。

 上閲じょうえつの儀式は、その細部に至るまで、決して間違ってはならない。

 全神経を集中させ、儀式に臨むのだ。生半可な疲労ではないだろう。

 師匠の肩を支えながら、俺たちは、聖域の外に置かれた、一隻の船を目指した。もちろん、それは、移動するためのものなんかじゃない。


 古代文明の遺産――宇宙船。

 どのような目的で、それが作られたのかは、今となっては全くわからない。扱い方も無論だろう。だが、その機能の一部については、俺たちの魔力でも、容易に動かすことができた。


 拠点との通信。

 宇宙船の前方に置かれた椅子へ、師匠を座らせると、俺たち補佐官は、その傍らに控えた。


「ふぅ」


 もうひとふんばりだ。

 そう言わんばかりに、師匠が短く息を吐く。次いで、通信に必要な魔力を、機械に注いでいった。

 ほどなくして、中央の画面に光が灯る。

 その機械には、拠点にいる先生の顔が、写しだされていた。この光景を何度見ても、俺には、不思議に思えて仕方がない。いったい、どんなからくりで、できているのだろう。


「無事におわった。これより戻る」

「みな、首を長くして待ってますよ」


 この場で、神からの言葉を、告げるようなことはしない。そういうしきたり・・・・だからだ。

 だが、俺は、しきたりだからとかじゃなくて、大事なことは、相手の顔をちゃんと見ながら、話さなきゃいけないのだと、強く思う。


 やり取りがおわると、すぐに画面の光が消える。辺りは、一気にまた薄暗くなった。

 隣に立つモタカ先輩の表情でさえ、俺の位置からでは、正確には読めない。どうにも、宇宙船を快く思っていないらしいので、存外、神をより一層身近に感じられる、聖域という場所にいながらも、その気持ちは、決して、晴れやかではないのかもしれない。


 その後、俺たちは、簡単に聖域を清めてから、拠点へと戻った。

 帰り道、何体かのバケムクロに遭遇したのだが、そのことごとくを、モタカ先輩が、一人でやっつけていた。すさまじい戦闘技術だ。モタカ先輩は、きっと否定するだろうが、本職の戦士にも引けを取らないと、俺は思う。


 しばらくして、俺たちが拠点に戻ると、ほとんどの住人が出迎えてくれた。手を離せない数人を除けば、さとの全員が集まったことになる。


 それだけみんな、神のご意思をいち早く聞きたいと、思っているのだ。師匠の口が開かれるのを、一同が、今か今かと待ちかねている。


「普段どおりに」


 上閲じょうえつの言葉に、安堵の息が漏れる。

 それは、難題を課されなかったという、緊張からの解放などではなくて、神の慈愛が、滞りなく自分たちに注がれていると、そういう安心からだった。


 そののち、俺たちは師匠から、儀式についての勉強を教わった。

 やがて、夜になり、一日のお役目がおわる。

 夕飯を食べるため、俺が広間に向かうと、そこにはすでに、麗しいマリアの姿があった。

 俺は、マリアの顔を見たとたん、この一日の疲れが、瞬く間に吹き飛んだ気がした。


「大事なお務め、ご苦労様です」


 労うように、マリアが俺に湯呑を取ってくれる。

 本当は、俺がマリアに、色々としてあげたかったのだが、仕方ない。思いのほか、今日の勉強はハードだった。これも今朝、師匠が話していたように、俺に対する期待の表れなのだろう。


「何を言ってるんだ。マリアだって、比較にならないお役目を、もらってるじゃないか。医者……覚えることは、上閲じょうえつよりも多いと聞く」


「まだまだ、わたしは、見習いだけどね。おばあさまは、本当にすごいわ。今日も急病人に、的確な治療をしてたのよ。わたしが一人前の石勠いしあわせになるには、だいぶん時間がかかりそう。」


「それでも、補佐官として言わせてもらえば、聖域までの道のりは、少なからず、戦いは避けられない。見習いといっても、マリアが貴重な石勠いしあわせであることに、違いはないと思うよ。本職の医者が、俺たちのさとには、一人しかいないんだ。マリアだって、かけがえのない戦力だよ。実際、今日だって、バケムクロと対峙したからね」


 俺の何気ない一言に、マリアが飛びあがらん勢いで、驚いてしまう。


「ヨキもバケムクロと戦ったの!? 体は平気?」

「ごめん、心配させちゃったか? ありがと。平気だ。戦ったといっても、非常に小さなやつだったからな。楽勝だったよ」


 他愛もない話をしている時間は、あっという間に過ぎてしまう。それこそ、時間というものが、とみに溶けていくかのようだ。


「じゃあ、また明日。明日こそ、わたしに迎えに行かせてね」

「ふふっ、わかったよ。おやすみ」


 言って、俺は、マリアの頬に口づけをした。







 昨日につづいて、上閲じょうえつ補佐として聖域に向かうのは、今日も俺の番だった。

 ワルハバの光を背に受けながら、師匠の動作を覚えるように、俺は、じっと見守っていた。

 ただでさえ薄暗い、地上という異界に設けられた、関係者にしか発見不能な、地下への入り口。魔法を使って、扉を強引に上へと押しあげれば、中からは、地下への階段が姿を現す。


 段数は、全部で三十六。

 かなり深い。

 それでも空気が薄くならないのは、拠点と変わらない仕様だったが、時々は、場を清めるために、魔法で換気を促していく。


「ヨキ。今日は、お前が序盤をやってみろ」


 階段をおりていく最中、師匠が俺の顔を振り返りながら、何気なく言った。


「俺が、ですか?」


 驚きのあまり、俺は、オウム返しのように応えていた。

 上閲じょうえつの儀式は、手順を間違えれば、最初からやりなおしになる、重要なものだ。まだ、儀式の全部を把握していない俺が、実際に執り行うようになるのは、もっとずっと、先のことだとばかりに思っていた。


「ああ。ういの項までなら、お前にもできるだろ。やってみせろ」

「……は、はい。ぜひ!」


(中略)


 ……おわった。

 ずっと緊張しっぱなしで、神経がすり減るような思いだったが、なんとかやり切った。

 師匠は、これを十分足らずでこなすが、俺のかかった時間は、優に二十分を超えていた。

 安堵もそこそこに、師匠が俺の肩を叩いて、場所を譲るように促す。残りの儀式を、師匠が引き継いでおわらせるのだ。


 成果について、師匠は、何も言わなかった。神聖な儀式の最中なのだから、私語厳禁なのも当然だろう。


 すべての項目を無事におえると、おもむろに師匠が口を開く。


「偉大なる神よ。我らの明日を、お示しください」


 俺たちの間で激震が走ったのは、次の瞬間だった。


「これより汝らは、魔力の調査をはじめよ。宇宙船を用い、民を乗せ、この地を立つのだ。我、クシナの神なり。違う星には、我とは異なる神もおろう。しかし、クシナの民よ。我を信じよ。魔力の調査をはじめるのだ」


「……。承知いたしました。偉大なるお導きに、さとを代表して、厚く感謝を申しあげます」


 師匠の言葉に、はっとする。

 俺たち補佐官は、全員が全く同じタイミングで、顔をあげていた。

 もしも、今の俺たちが、師匠と同じ立場にいたとしたら、はたして、とっさに感謝を述べられただろうか。ちらりと、横を盗み見てみれば、モタカ先輩も、俺と似た感想を抱いたのだろう。悔しそうに歯噛みしていた。


 これは、上閲じょうえつとして、さとの住民を率いる者は、師匠をおいてほかにはいないのだと、強く感じさせる出来事だった。


 動揺を隠せぬまま、俺たちは、師匠を宇宙船へと連れていく。

 そのかん、師匠は何も言葉を発さなかったが、俺はついに我慢できなくなり、拠点との通信中に、後ろから声をかけてしまっていた。


「師匠。一刻も早く、神のお言葉を、さとに伝えなければならないのでは、ありませんか?」

「……黙れ。ここではどのようなことであっても、さとには伝えぬ。そういうしきたりだ。ヨキよ……儀式とは、それほどまでに重いのだ。上閲じょうえつを志すお前ならば、わかってしかるべきだな?」


「しかし!」


 言いかけた言葉は、それと同時に、俺の肩が力強くつかまれたことで、中断された。

 モタカ先輩だった。

 痛みに釣られるように、モタカ先輩の顔を見やれば、目を閉じたまま、首をゆっくりと横に振っている。


「人にゃ、顔を見て言われにゃならねえことも、たまにはある」


 大事なものほど、相手を見て話さなければならない。それは、俺の信念そのものではないか。


「……」


 俺は唇を噛みしめ、黙ってモタカ先輩にうなずく。

 それを見て、師匠も安心したのだろう。静かに、拠点との交信をおえていた。

 帰り道、俺は急くように歩いた。歩速を抑えるよう、頭ではセーブしたつもりでいたが、どうしても、体が言うことを聞いてくれなかったのだ。


 だが、その速さで、みんなとはぐれることがなかったのだから、やはり、師匠も心の中では、さとに急いで伝えなければならないと、そう確信していたのだろう。


「ヨキ。ういの項、見事だったぞ」


 もはや、話すタイミングは今しかないと、そう言いたげに師匠がつぶやく。


「ありがとうございます」


 応えた俺も、条件反射のようなもので、褒められた実感が、全く伴っていなかった。

 さとに戻った俺たちは、努めて平静を装っていた。

 だが、異例なほど早く、さとへと帰って来た俺たちから、何も感じるなというのは、いささか無茶な注文だったのだろう。


 住人たちはみんな、俺たちの緊張が伝播したかのように、固唾を呑んで師匠を凝視している。

 それは、神からの言葉を、師匠が告げるとともに大きくなり、ついには、とても静寂では抑えきれない、喧噪へと変化した。


 師匠が話をしている間、俺はずっと、マリアに安心してほしくて、笑みをたたえていた。だが、俺が思っている以上に、それは、引きつった笑いだったのかもしれない。


「ふざけるな! 宇宙船を使えだと? 冗談じゃない! 聞くところによれば、あれはクシナを離れるための、道具というじゃないか。クシナの地を捨てようとした、古代人の道具など、断じて使ってなるものか!」


 一つの叫び。

 それが引き金になって、辺りで、一斉に言い争いがはじまってしまう。中でも、俺たちの正面、そこに立つ大人二人の口げんかが、最も過激だった。


「お前! 神の意志に逆らうのか!?」

「全員、今すぐこの地を離れろ、というご命令であれば、俺も従おう! しかし、そうではないはずだ。教えてくれ、上閲じょうえつ。どうなんだ!?」


 にわかに、師匠が俺の肩を小突く。代わりに答えてみろ、ということらしい。

 大人同士のけんか。

 まだ半人前の俺に委ねることに、俺は、やや疑問を感じたが、それでも指示に従って口を開く。精一杯、自分の中で主張を固めた。


上閲じょうえつ補佐のヨキです」

「ああ。補佐官でも構わねえ。教えてくれ。我らが神は、本当に、俺たちにこの地を捨てろと、そう仰ったのか? 俺たちは、神に見捨てられたのか!?」


 アチオさんの言葉に、泣き出してしまう子が現れはじめた。当然だろう。神から捨てられるという恐怖と、そこから来る絶望感は、言葉にならないものだ。俺も、上閲じょうえつ補佐という立場でなければ、今頃は、子供らの群れに交じって、泣いていたかもしれない。そうしたとしても、別段の不思議はないのだ。


「拠点に戻る最中、俺も宇宙船についての話を、上閲じょうえつである師匠から聞きました。ですが、とてもこれは、クシナの住人全員を、乗せられるような代物じゃありません。魔力の残量が、目に見えて少なくなったという、俺たちの実情に合わせて考えるなら、神からのご指示は、少人数で調査せよと、そういう意味になるでしょう。これが上閲じょうえつとしての総意です」


 納得したと言わんばかりに、アチオさんたちの表情が、次第にやわらいでいく。

 よかった……。俺の解釈は、誤りじゃなかったようだ。

 師匠も、よくやったと褒めるように、俺の肩に手を置いてくれた。だが、今にして思えば、これは師匠なりの、俺に対するテストだったのだろう。


 一歩、目立つように前へと出た師匠が、よく響く声で、さとの住人全員に語りかけていく。


「行き先は未知の星になる。ウスク……戦士としての意見が聞きたい。お前の考えを話してくれ」


 俺を含めた全員が、一斉に一人の大人に注目した。それらの視線を受けてなお、一切動じることなく、ウスクさんは、自分の考えを正確に述べていた。


「はい。これは、かなりの長旅になるかと思います。ですので、食料に詳しい粮播かてまきが一人。また、その星にて、委細のわからぬバケムクロと、対峙しなければならないことを思えば、少なくとも、戦士たる兜割かぶとわりは二人。同じ理由から、バケムクロの研究者が一人。それと、違う神になるとのことですが、現地でも、やはり声を聞く必要があります。上閲じょうえつは必須でしょう」


「さすがだ。だが、さと上閲じょうえつが一人になるのは、俺としても避けたい。同行するのは、補佐官までだろう」


「わかりました」


 順調に話が進んでいく中、また別のだれかが声をあげた。その内容に、師匠とウスクさんが、一瞬、目をつむる。この場では触れてほしくなかったと、そう言いたげな表情だった。


「ちょっと――ちょと待ってくれ! バケムクロとの戦闘を、考えなきゃいけないんだろ? 怪我をしたら、どうするつもりだ? 医者は? まさか、このさとに一人しかいない石勠いしあわせを、クシナから連れていく気か!? そんなことをすれば、さとはたちまち崩壊するぞ!」


「だかろといって、見習のマリアに、こんなお役目を任せられるのか!? そんなことで、神のご意思が務まると、本気で思ってるのか!?」


「馬鹿やろう! お役目を果たす前に、そいつらの帰って来る場所が、なくなっちまうぞ!?」


 師匠もウスクさんも、何も言わない。もはやこうなっては、だれも止められないと、わかっていたのだろう。それがわかっていたからこそ、ウスクさんは、石勠いしあわせについて、あえて意見を述べなかったし、師匠も同じ考えだったからこそ、意図を汲んでくれると思って、指名したはずだ。


 俺は、何もできなかった。

 自分の無力さを痛感しながら、目の前でくり広げられる言い争いを、ただ茫然と眺めるしかなかった。


 そんなとき、一人の人物が声をあげる。

 先生だった。


上閲じょうえつ……。自分に考えがあります。よろしいでしょうか?」

「言ってみろ」

「はい。このさとに、応援を呼んではいかかでしょう? たしか、私らの聖域は、茘杈ノ邑れいさのさとも使っていたはずでは、ありませんか?」


 それでも、反対の声は止まらない。


「よそのさとに、頼むってゆうんですかい? お役目をいただいたのは、俺たちでしょう?」


 これだ。

 俺は、先生の意見に乗っかることが、この場を収める唯一の方法だと、直感した。

 ゆえに、出しゃばったかもしれないが、俺は口を開いていた。


「聖域は、俺たちが独占してるものじゃありません。それともあなたは、神聖な場所を、俺たちだけで占有しろと、言いたいのですか?」


「うっ、補佐官……。いや、なにも俺はそんなつもりじゃ……」


 見計らったような、師匠の咳ばらい。

 この場に、不自然な沈黙が作りだされる。


「なるほど……。ヨキや先生の指摘するとおり、聖域をともにする茘杈ノ邑れいさのさとにも、俺たちと同じお役目が与えられると、そのように考えるべきだ。不足する人手については、茘杈ノ邑れいさのさとに依頼するとしよう。だが、それでも、上閲じょうえつだけは、向こうにも一人しかいない。石勠いしあわせは、茘杈ノ邑れいさのさとに頼むとしても、連れていく儀式の担い手は、やはり上閲じょうえつ補佐とする。……ウスク。今よりお前を長とし、日亜知ひあち隊を組む。クシナを旅立つ人員をそろえろ」


「わかりました。……しかし、茘杈ノ邑れいさのさとには、兜割かぶとわりがほとんどいません。地上にしろ、地下にしろ、先方から我々のさとに来ることは、まずないでしょう。こちらから、迎えに行く必要があると考えますが、私たちも、大いに戦士が不足してます」


「ふむ。何が言いたい?」


 みんなの気持ちを代弁するように、師匠が尋ねる。だが、この二人であれば、きっと手に取るように、お互いの主張がわかったことだろう。


「はい。茘杈ノ邑れいさのさとから、石勠いしあわせを迎えに行くにあたって、戦闘の行える補佐官を、お借りしたいのです」


 答えを聞き、ようやく俺にも理解できた。

 補佐官は、その性質上、上閲じょうえつを聖域まで、護衛しなければならない。バケムクロ退治を専門とする、兜割かぶとわりたちにこそ劣るが、戦闘に秀でていることに、違いはなかった。つまり、俺たち補佐官に、協力を依頼しているのだ。


「なるほど。ヨキ、頼まれてくれるな?」

「承知しました」


 俺は、特に驚きもせずにうなずいていた。

 クシナを旅立つ補佐官には、先輩たちが選ばれるはずだ。間違っても、俺や、モタカ先輩の弟じゃない。


 しかし、そこで候補の一人である、モタカ先輩本人から、声があがったのだ。その声音は、いかにも言いにくいことを話す、そんな響きを伴っていた。


「あの~、ちょっといいっすか? この話の流れだと、日亜知ひあち隊の補佐官には、俺が選ばれそうな感じっすよね? 自分で言うのもアレなんっすけど、俺よか、ヨキのほうが作法にゃ詳しいっす。宇宙船には、ヨキを乗せてください。茘杈れいさには俺が行くっす」


 思いもよらない発言だった。

 反射的にマリアを見る。彼女も、不安そうな表情で、俺のことを見つめていた。

 マリアと離れたくない。

 とっさに抱いた気持から、俺は、つい抗弁していた。


「待っ、待ってください! 俺は、クシナから出ていくつもりは――」

「貴様、お役目を放棄するのか?」


 師匠が、今までも聞いたことのないような、恐ろしく冷たい口調で、俺に向かって言い放っていた。


「いえ……滅相もございません」


 反論の余地などない。

 そう答えざるをえなかった。

 俺だって、神のご意思ほど重要なものは、ほかにはないと、固く信じている。

 だけれど……。

 それでも、マリアと離ればなれになってしまう、という不安は、神から見限られるのと同じくらい、俺をパニックにさせるのだ。


 俺の葛藤をよそに、ウスクさんによって、日亜知ひあち隊のメンバーが、次々に選ばれていく。

 ウスク隊長を筆頭に、俺・オオミ・シイナ・マイ。それから、茘杈ノ邑れいさのさとから来る石勠いしあわせを合わせた、合計六人だ。この面々で、近日中にも、クシナから離れることになる。


 顔合わせもほどほどに、ウスク隊長は、マイを引き連れて、茘杈れいさに出発する準備をはじめる。その中には、モタカ先輩の姿も見えた。


 目が合うと、先輩は自ら、俺のほうへと近寄って来た。


「悪かったな……マリアがいるのに」

「いえ、そんなことは……」


 本当は、モタカ先輩のことをなじりたかったが、かろうじて俺はこらえる。――というよりも、先輩の表情を見ていたら、とてもではないが、文句など出て来なかった。


 その口元に、見たこともないほど寂しげな、ほほえみが浮かんでいたからだ。


「お前は、俺が宇宙船を嫌ってるから、押しつけたんだと思ってるだろうが、それは違う。言ったことは本当だ……と思う。まっ、嫌いな理由は、アチオさんと同じだけどな。……クシナを出るために作った乗り物が、俺は、どうにも好きになれねえ。おりゃ、上閲じょうえつには、幼いときから本当に憧れてたんだぜ。神の声を届けるお役目ほど、立派なものはない。お前だって、そう思ったからこそ、上閲じょうえつを目指してんだろ? だが、やっぱり心のどっかでは、師匠たち上閲じょうえつが、宇宙船を使ってる姿なんか、見たくなかった。それはきっと、儀式を勉強する姿勢にも、表れちまったんだと思う。補佐官としての力は、俺よりヨキ、お前のほうがはるかに上だ。自信を持て。……俺の代わりに、上閲じょうえつを目指してくれ。俺は、これを機に、兜割かぶとわりに転向する」


「えっ……」


 信じられない告白だった。

 長年一緒に、師匠を支えて来たモタカ先輩が、突然、補佐官を辞めると言いだしたのだ。

 俺は翻意を促すべく、口を開きかけたが、モタカ先輩は、微笑を浮かべてそれを遮った。そうして、俺の前で頭をさげる。


「お役目の遂行、心より願ってるっす。上閲じょうえつ補佐」


 強い……とても強い、決意の表れだった。

 俺は何も言えずに、歩き去るモタカ先輩の後ろ姿を、ただ見送っていた。

 そんな俺たちに、再びウスク隊長から声がかかる。


「今日中に、別れのあいさつを済ませなさい」


(中略)


 つづいて、幾人かの家族に、あいさつを済ませた俺は、最後にマリアのもとへと向かっていた。石勠いしあわせ見習いとして、マリアが勤めている場所だった。


 その入り口で、俺が何を言おうかと迷っていると、先にマリアのほうから声がかかった。きっと、足音で、やって来たのが俺だと、わかったに違いない。


「ヨキ……」


 言葉は、無粋だと思った。

 だから、俺は、大丈夫だと伝える代わりに、マリアの体を強く抱きしめた。少しだけ驚いたように、マリアは身を硬くしたが、やがては俺を受け入れ、抱きしめ返して来る。そうして、ひとしきりハグしあったあと、俺は、マリアの顔を見ながら尋ねた。彫りの深いマリアの顔立ちは、何度見ても美しく、流れるような長い髪は、いつも、夜空のようにきらきらと輝いている。


「シムムさんにも、あいさつがしたいんだけれど、どこかな?」

「おばあちゃん? おばあちゃんなら、外に出てるわ。まだ、傷ついた兜割かぶとわりの、治療中だと思うけど……」


「いや、無理にとは言わない。マリアが代わりに、よろしくと伝えておいてくれ」


 言って、俺は最後に、マリアの顔をまじまじと見つめた。


「必ず、無事に帰って来る」

「信じてる」

「うん。今日は、早めに床につくよ」


 寝所に戻った俺は、灯る炎から魔鉱石を外した。たちまち、辺りが闇に覆われる。

 大丈夫だ。

 マリアと結ばれるまで、俺は、死なない。







 翌朝、俺たち日亜知ひあち隊は、聖域へと向かう上閲じょうえつに同行した。

 普段よりも、だいぶ遠回りのルートを通ったのは、地下空間内の移動を多めにし、少しでも、地上でバケムクロと遭遇する危険を、回避するためだった。


 もちろん、地下であっても、出るときは出る。しかし、地下であれば、定期的に兜割かぶとわりたちが巡回し、バケムクロの掃除を行っている。鉢合わせする確率に、大きな差があることは、明白だろう。


 俺たちの努力は、実を結んだようだった。

 一度もバケムクロに遭遇することなく、無事に聖域に到着したのだ。あとは、茘杈ノ邑れいさのさとに行っている、隊長たちを待つだけだ。空いた時間で、俺は、モタカ先輩の弟である、ハルカに声をかけていた。


「ハルカ。俺が抜けることで、補佐官としての務めが増えて、大変になると思う。だけれど、なるべくは、マリアのことも、気にかけてやってほしい」


「わかったよ、ヨキ兄ちゃん。俺、頑張ってみる」

「よろしく頼む」


 さすがに、すでにユイさんという、相手が決まっているモタカ先輩には、俺としても頼めなかった。いくら、さとの全員が家族とはいえ、そんなのを頼むのは、留守にすることの多いユイさんに、義理を欠く行為だろう。


 そこからたいして間を置かず、図ったように、ウスク隊長たちは姿を見せた。

 先頭に、若い女性。

 装いを見る限り、兜割かぶとわりではなさそうだ。彼女が、茘杈ノ邑れいさのさと石勠いしあわせなのだろう。マリアと会えば、きっと同じ医者として、よい先輩になってくれたに違いない。


 そんなことを思いながら、俺は、何気なく彼女の足元を見た。

 ――かすかに、何かが動く。

 正体なんか、ほかにはない。

 バケムクロだ。

 聖域に侵入されるなんて、いったいいつ以来だろう。


「隊長、そこに――」


 俺の声は、兜割かぶとわりの絶叫にかき消されていた。


「構えろ!」


 人間の頭ほどのサイズ。

 相手はまだ、小さなバケムクロだ。

 何を大げさなと思った俺の眼前で、そいつは、周りからがらくたを集めるようにして、どんどんと膨らんでいく。


 直後、それは、尋常ならざる手足を持つ異形へと、変貌を遂げていた。

 人型でありながら、人とは似ても似つかない。

 完全なる異物――バケムクロ。


「危ない!」


 バケムクロが両腕を振り回す直前、ウスク隊長が石勠いしあわせをかばった。

 だが、避けきれてはいない。

 体に怪物の腕があたり、ウスク隊長たちは、大きく後ろに吹き飛ばされてしまう。

 それだけではない!

 ウスクさんたちをはねのけてなお、腕の勢いは止まらず、辺りにあった岩をあちこちへと弾き、その一部にいたっては、俺たちのほうにまで飛んで来ていた。


 大慌てでの回避。

 その場で身をかがめた俺は、不安げに、ウスク隊長のほうを見やる。


「……うっ」


 漏れる、うめき声。

 よかった。隊長たちは生きている。

 石勠いしあわせはぐったりと横になったままだが、かろうじて、隊長には意識があったようだ。目を開くと、信じられないものでも見るように、一点を凝視していた。


 どこを見ているのだろう。

 釣られて、俺も視線を向ける。

 だが、確認するまでもなかった。聖域には、俺は、幾度となく足を踏み入れているのだ。

 宇宙船。

 そこに、バケムクロによって飛ばされた岩が、無情にも落下していたのだ。


「おいおい、おいおいおい!」


 どうにか直撃は免れたようだが、このまま、ここで戦闘をつづけていれば、被害は確実に免れない。バケムクロを片づけるのよりも先に、宇宙船のほうが、粉々に破壊されてしまうだろう。


 同じことは、隊長も思ったはずだ。

 だが、それからの行動は、俺の想像とはまるで違った。


「マイ! みなを連れ、早く乗りこめ! ヨキ! 今からお前がリーダーだ! け! 必ず、お役目を果して来い!」


 俺は、一瞬、ためらった。

 当たり前だ。

 俺が隊長を代わりにする、という点もそうだったが、医者のいない部隊で、クシナを出ていくことが、現実的ではないように思われたからだ。


 急いで、こいつを始末するしかない。

 俺は、反射的に剣を抜いていた。

 しかし、それを見越した別の兜割かぶとわりが、俺の前に立ちはだかる。


「お前のお役目はなんだ、上閲じょうえつ補佐!?」


 かけられた言葉が、おのずと、モタカ先輩の台詞を思い起こす。


『俺の代わりに、上閲じょうえつを目指してくれ』


 悲痛な願い。

 俺よりも長い時間、上閲じょうえつを夢見ていた仲間が託した、希望と諦観。

 ややもすると、見過ごしてしまいそうなほど、それは短い言葉だが、込められた思いは、まさに万感と呼ぶにふさわしい。


 俺がやる。

 モタカ先輩のためにも、俺がやらなければならないんだ。なぜ、そのことに、もっと早く、俺は、気がつけなかったんだ。


 吠えた俺が、兜割かぶとわりを見返した。


「行きます!」


 構えていた剣をすぐさましまい、俺は、茫然と立ち尽くす面々の腕を取って、宇宙船へと走りだす。


「それでいい……」


 ウスク隊長が安心したように、再び目を閉じた。

 それを横目に、俺たちは、宇宙船へと乗りこんでいく。

 操作の方法など、まるでわからない。

 現地で、上閲じょうえつから、簡単なレクチャーを、されるはずだったからだ。

 とにもかくにも、動力だけは必要だろうと、俺は、急いで魔鉱石をばらまいた。まもなく、その船体が勝手に浮上しはじめる。


「どうすんだよ、これから……。俺らに、操作方法なんてわかるのか?」


 みんなの気持ちを代弁する、オオミの言葉には、シイナが応じていた。


「戦闘ならともかく、日常の魔法なら、たぶん、あたしが一番詳しいでしょ。なんとかやってみるよ……。それより、問題なのは、魔力のある星を、どうやって見つけるのか、ってほうじゃないの? どうすんのよ、これ。行き先が決めらんなきゃ、魔力の調査もなにもないじゃない……」


 もっともな疑問だ。

 そして、その問いには答える者がいない。

 みんな、隊長である俺の言葉を待つように、じっと顔を見つめて来ている。

 だからこそ、俺は、みんなを安心させるように、ひときわ大きくうなずいてみせた。

 未知の星に何が必要なのかと、持ち物の整理をしていたときに、俺が思いついたアイディア。それは、師匠やウスクさんの知恵を借りて、正式な魔力の探査方法へと、変わっていた。


「大丈夫だ。それについては、ちょっとした考えがあるんだ。任せてくれ」


 この瞬間、俺たちの、長いながい旅がはじまった。

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②星々をまたぐ嫉妬 ~痴話げんかは、神さえ食わない~ 御咲花 すゆ花 @suyuka_misahana

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