第45話『再臨と決別』

 彼女の部屋、ドアをはさんで氷室さんと彼女が会話している。

 彼女の方は、どこからどう見ても憔悴している。

 つい先ほどまで、ずっと号泣していたから無理もない。



「文乃様、お待ちください」

「大丈夫だよ、本当に心配なら盗聴器と監視カメラを使っていいから」

「あの、でも」

「いいから、一人にさせて」



 流石の氷室さんも彼女の剣幕に押されて、何も言えなくなったようで。

 心配そうな顔をしながら、監視カメラをセットしてドアを閉める。

 ふらふらと歩いて、ベッドに倒れこむ。

 彼女の表情はよく見えないが、少なくとも内心は穏やかではないはずだ。

 さて、そろそろいいだろうか。 

 


『あの―』

「……え?」

『文乃さん、大丈夫ですか?』



 どうも、転生したらダミーヘッドマイクだったんだけど、質問ある?

 いやあの、本当に何がどうなっているんでしょうか。

 一度目の生は、電車に轢きつぶされて。

 二度目の生は、まあ生と呼んでいいのか知りませんがとにかく父親に機体を破壊されまして。

 そして、三度目の生・・・・・が始まった、というわけだ。



「どこ、どこにいるの、君は?」

『ここですよ』



 文乃さんは、私の声が聞こえる方にゆっくりと歩いてくる。

 答えたのは、文乃さんの机の上に置かれた予備のダミーヘッドマイク。

 文乃さんが幾度か練習に用いていたもの。

 元の私とさほど機能が変わらないものの、調子が出ないという理由で本番では使ってこなかったもの。

 そこに、私は転生してしまっていたというわけだ。

 いや本当に、どういうことなんだろう。

 確かに、死んだ人間がダミーヘッドマイクに転生するということ自体が普通には考えられない奇跡である。

 そして奇跡が二度あっても、不思議ではない。

 これが、たまたま起きていることなのか、あるいは必然の現象なのかは定かではない。

 大事なのは、私の意識がここにあること。

 そして、文乃さんが悲しむ理由は、もうないということだ。



「本当に、君なの?」

『はい、そうですよ。文乃さんだけの、私です』

「はじめて、私がプレイしたゲームは?」

『「Gekimuzu Ojisan Inochigake」』



 私は、訊かれたことに対して素直に答える。

 彼女の、私が私であるという答え合わせに応えよう。



「じゃあ、始めてのASMRのあとで、私が怒ったのはどうして?」

『パソコンの画面越しに反射した絶景、いえ、反射してものを見てしまったからです』



 あの光景は、今でも鮮明に思い出せる。

 何しろ、上半身に関しては全部見えていた。

 あの光景だけで、ご飯十杯はいける。

 いや、消化器官は私にはないのだけれど。



「私の、一番大切な人は?」

『永眠しろさん、ですか?』

「はずれ。でも、君ならそういうと思った」



 文乃さんの表情は、わからない。

 呆れているのか、怒っているのか、喜んでいるのか、とても複雑そうな表情を浮かべている。

 文乃さんは、目の前にいる状態からさらに距離を詰めてくる。

 


『あ、あの、文乃さん』



 感情が複雑に絡まりすぎていて、本当に何が起きているのかわからない。

 何を彼女が思っているのかはわからない。

 やはり怒っているのだろうか。

 無理もないけど。



「うう」

『え、あ』



 腕を、私の下にあるシャフトに回してきた。

 自然と、抱き合うような形になる。

 彼女の細く柔らかい腕が、シャフトに絡みついてぎしぎしという音を立てる。



「うわああああああああああああああああああああ!あああああああああああああ!」



 安堵と、悲しみと、自責の念と。

 様々な感情が、慟哭となってあふれ出す。

 ぽろぽろと涙をこぼしながら、しろさんが私をがっちりと抱きしめてくる。

 いやあの、割れちゃいませんか?

 さすがにそんな短期間で何回も壊れるのはちょっと。



 どれくらい、泣き続けていたのだろう。

 自壊するような、あるいは自戒するような声を上げて、文乃さんはごうごうと泣き続けた。


 


 しばらくして、文乃さんがようやく泣き止んだ。



「ごめんね」

『何がですか?』

「私のうかつな行動で、君がもうすぐ死ぬところだったんだよ。だから、ごめんなさい」

『いえ、私は別に。文乃さんに、怪我がなくてよかったですね』

「そんなこと言わないで」

『ああ、そうですね、すみません』



 今の言い方はよくなかった。

 何しろ、文乃さんの前で自分の命なんてどうでもいいなんて、今の状態で言ってはいけない。

 私が言いたいことは、もっと別のことで。



『文乃さん』



 タイミングを秒単位で測り、口調を調整して、私は文乃さんを制する。



『私は、あと何回こういうことがあっても、同じことをします。それで、文乃さんを守れるのなら』

「でも……」

『だって、私は文乃さんが好きだから』

「ふえっ」



 突然の言葉に、文乃さんは戸惑ったような声を上げる。

 泣き過ぎて、目の周りを真っ赤にはらして、涙と鼻水でぐちゃぐちゃなのに。

 どういうわけか、それを私は綺麗だと思った。

 きっと、この世の誰よりも、私にとっては綺麗な人だから。

 ずっと一緒にいたいと思えるような人だから。



「でも、私の無意味な行動のせいで、君が危うく完全に消えるところで」

『大丈夫ですよ。それに、意味はありました』



 間違いなく、無意味じゃなかった。

 もう関わらないでいようと、決別することができた。

 自分の中の未練に、決着をつけることができた。

 それに、知らなかったことも知れた。



「意味?」



 きょとんとした顔になる文乃さん。

 これはかわいい。泣き顔も綺麗だと思うけど、文乃さんはこういうかわいい方が似合っていると思う。



『父と最後に会話したのはもう十年前になります』

「そうだったんだね」



 そもそもあれは会話、と言えるのだろうか。

 大学の入学手続きの際に、奨学金申請の保証人になってくれるよう頼んだのが最後だった。

 



『それでも、父は気付きました。声の主が自分の息子であると』



 今の父にはもう、私に対する愛情は残っていない。

 けれども、私を愛していたという事実は消えない。

 母に似た私を嫌悪しながら、それでも完全に突き放すことはなく、家に置き続けたこともそうだ。

 傍から見ても、私から見ても地獄だったが、それでも当時の私にとってはその地獄こそが居場所だった。



『父が、私を覚えていた。それだけで、私は十分なんですよ』



 最低の人間だった。絶対に許せないとも思っていた。

 文乃さんを傷つけようとしたことは、絶対に許さない。

 けれど、確かに。

 私が親だと思えるのは、父一人だけ・・・・・なのだ。



 いや、それは私のとって本題じゃないんだ。

 大事なことは、もっと別のこと。



『だから、文乃さん』



 眼球はないけど、心から文乃さんを見据えて、言葉を紡ぐ。

 結局、自分の気持ちを伝えるというのは本当に難しくて。

 全力を尽くしても、全霊を注いでも、伝わるとは限らないし、真逆に取られてしまうことだってある。

 それでも、人は声を枯らして伝えようとするんだ。



『父と会わせてくれて、ありがとうございます』

「会えてよかった?」

『はい、自分なりに決着とか、あと今回のことで覚悟・・も決まったので』

「そっか、よかった。……覚悟?」



 文乃さんは、安堵しながら首をかしげた。

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