第44話『last moments』

 やはり、声は届いた。

 文乃さんや成瀬さんの時も思っていたが、どうも私の声は生前に出会っていたときのみ届く。

 だから、生前で一番関わった人にも届く。 



 既に動いていた内海さんによって羽交締めになっている父を箱の隙間から見る。

 


 十八年間、一緒の空間にいた。

 心が通っていたかはともかく、私の人生で一番長い時間を過ごしていたのは目の前の男だ。

 最低の父だったと思う。

 金を奪い、体を傷つけ、心を歪めた。

 文乃さんとともに生きる中で、第二の余生を過ごす中で、自分の歪みに気付く中で。

 父は、本当に最悪の人間だったと、そういう存在でしかないと思う。



 けれど、殴られることよりも、金銭を取られることよりも嫌だったのは。

 ふさぎこんで、沈んでいる父の小さな背中を見ることだった。

 苦しまないで欲しかった。

 自分の今までの人生を、全否定しないで欲しかった。

 私や、母への憎しみから解放されて欲しかった。

 胸を張って、生きていて欲しかった。

 だから、ここで終わらせなくてはならない。


 

 私の、残り少ない・・・・・時間を使って。



「待って、私は君にそんなことを言わせるために」

『文乃さん』

「うん?」

『ここは、私に任せていただけませんか』

「…………」



 文乃さんの言いたいことはわかる。

 きっと、彼女は私と父に、仲直りをしてほしかったんだろう。

 断じて争わせる為ではない。

 自分と、父もできたことだから。



 支離滅裂な発言を繰り返し、金をせびる男。

 そんな人物普通に考えれば、追い返すのが道理である。

 けれど、文乃さんはそれをしなかった。

 事を荒立てても、文乃さんには何のデメリットもない。

 むしろ、父をつけ上がらせてしまう方がよほどデメリットが大きいはずなのに。

 



 私も、出来ることなら彼女の願いを叶えて和解したかった。

 けれど、無理だ。

 かつての私と、今の私では違うから。

 私より、血が繋がっていた家族より。

 ずっとずっと、大切な人ができたから。

 大切な存在を傷つける人に、伸ばす手はないと決めているから。



『父さん、随分やつれましたね』

「…………」

『私が死んでから何かありましたか?』

「…………」



 返答はない。

 うつむいているので、表情もわからない。

 ただ、感情はある程度読み取れる。

 私の声を、自身の息子と認識し。

 死んだはずの息子の声がどうして聞こえたのかと困惑し。

 さらに、文乃さんが私の声を聞いていることから幻覚ではないと判断し。

 死んだはずなのに、どうしてとまた思考がループする。

 無理のない、正しい反応だ。

 それには構わず、私は続ける。



『ここで、何をしているんですか』

「……どこだ」



 父は、目を見開いて、ぎょろぎょろとあたりを見回して何かを探している。

 正直、自分の息子を探すような視線ではない。

 怨霊でも見るような目だ。

 あながち間違いでもないか。



「何処にいる!」



 それには答えない。

 どのみち、このまま話し続ければ分かることだから、本当に答える意味がない。



『どういうつもりで、文乃さんを問い詰めているのですか。何の意味があって』

「何の、意味があって、だと?金のために決まってるだろ!そうでなきゃ誰がこんなところに!」

「あのさ」



 まずい。

 このタイミングで彼女が喋るのはまずい。

 爆発しかねない。

 あくまでただの勘だが、絶対に当たると言い切れる。



「どうして、『君』があんな考え方をするのか、どうしてこういう人間・・になっていたのか、よくわかった気がするよ」



 文乃さんが、怒りの感情を口にする。



「気に入らないことがあれば叫んで、喚いて、暴れて、当たって。考えるのは家族のことでも、悲劇のことでもなく、お金のことだけ」

「……な、な」



 父が、固まっている。

 これは、まずい。

 彼の感情、そして文乃さんの感情。

 そこから、十秒先に何が起きるのか予測できる。

 止めないと。



 何をしてでも。

 悪魔・・になってでも。



『母さんが』



 ぴたりと、動きが止まる。

 それは離婚してから、一度たりとも口にしたことはない人。

 母のことを私に言われたのははじめてだったはずだ。



『母さんが、出ていったのは私のせいじゃない』



 一瞬の躊躇と、隣にいる人の息遣い。

 勝ったのは後者だった。



『お前が、弱かったからだ』

「――っ!」



 私に、出来ることは少ない。

 手を出すことはできないし、足を伸ばすこともできない。

 言葉を発することと、感情のベクトルを操作することだけ。

 怒りを、冷ますことはできない。

 他者の感情を察しても、それを自在に操ることはできない。

 漫画の超能力者ではないのだから、そんな器用なことはできない。

 出来るのは、爆発から逃げることと、逆に感情の暴走を受け止めることだけ。



 私の言葉で、文乃さんに対しての怒りが、私に向けられた。

 父は、見つける。

 今までの状況証拠から、あるいは私の声の位置から、はたまた文乃さんの視線から。

 箱の中にあるダミーヘッドマイクこそが、声の大元であると看破する。

 ゆえに、彼はいつも彼が行ってきた方法で、それに対応しようとする。

 そうなるように、誘導したのは、私だ。

 いつもやってきたことだ。

 かつては、自分に価値があると思えなかったから。

 今は、自分よりずっと価値があると思える人に出会えたから。



 父はがむしゃらに足を伸ばして、カップを蹴り上げる。

 それはソファに当たって跳ね返り。

 乗せられていた台から、私を叩き落とした。

 落ちた拍子に箱が空いて中身である私がテーブルの上に飛び出す。



「おおお!」



 踵を高く上げた父が足を私に打ち下ろす。



 ばきり、という何かが致命的に壊れる音がした。



 外側の、プラスチックでできた外層が割れたのだ。

 加えて、内部機構にも甚大なダメージが生じている。

 私にはわかる。

 これはもう、ダメだ。

 理由はわからないが、私にはこのダミーヘッドマイクの状態が理解できていた。

 同時に、自分の意識が薄れ始めている。

 どうやら、私の意識はこの機械の状態と連動しているらしい。

 


 兆候・・はあった。

 時折、言葉を発しようとして詰まってしまうということが。

 元より二年間ほぼ毎日使用されてきた。

 精密機器であるダミーヘッドマイクに何らかのエラーが起きてもおかしくない。

 さらにいえば、家の外に持ち出されていたのもよくなかったのかもしれない。 

 別に文乃さんに非があったとも思わないけど。



 悔いがないなんて言わない。

 今の生活に満足していたし、未練はある。

 けれど、もうどうしようもないことだ。

 だから、せめて言うべきことを言おう。

 この、転生して得た命が完全に尽きるまでに。

 


『私は、貴方の息子だ』

『けど、ここにいる文乃さんは違う』



 私にとって、一番大切な人。

 様々なことを諦めてきて。

 それでもたった一人だけは諦められなかった人。

 だから、譲れない。

 彼女に危害を加えることだけは、許容できない。



『私たちの問題に、この子を巻き込まないでください。ましてや』



 そこで、一拍おいて言葉を続ける。

 語気を強める。



『貴方だけの問題に、巻き込むんじゃない』



 お金に困っているのかもしれない。

 けれど、私が死んだときの賠償金のみならず、葬儀費用すらも早音家が立て替えたと聞いている。

 いつ死んでもおかしくなかった私の葬儀費用が浮いたのだ。

 金銭的には上々だろう。

 だったら、もう文乃さんにたかるのは間違っているはずだ。



「……俺は、悪くない。俺は、悪くない。全部、貧乏が」



 ふらふらと、父は拘束されたまま座り込んだ。

 そして、ずるずると別室に連れ出されていった。

 私は気づいた。いや、ずっと前から気づいていたんだ。

 母に出て行かれたあの日、父はすべてを失ったのだ。

 妻はどこに行ったかもわからなくなり、残された息子も母に顔立ちが似ていることもあって憎しみを助長するだけの存在になり果てた。

 そうして、彼にはもう何も残らない。



「ねえ!待って!返事をして!いやだいやだ!」



 文乃さんの声が聞こえる。

 まずい。意識が、遠のきかけている。

 私の仮説は正しかった。

 宿っている機械が壊れれば、その中にいる私もまた機能しなくなる。

 つまり、二度目の死を迎えようとしている。

 最後に思ったのは、ああ、またかということ。

 また、彼女を悲しませてしまった。

 


 元々、あるはずのない第二の生だ。

 この屋敷で意識を取り戻して、文乃さんと再会してから、今日に至るまで。

 本当に、悔いはない。

 けれど、一つだけわがままが許されるなら。

 全部・・、伝えてから消えたかった。

  


(また、踏みつけられて終わるのか)



 そうして、私の意識は途切れた。

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