第42話『悪意と金欲の男』
文乃さんの自室ではなく、応接間にて、文乃さんはソファに座って話を聞いている。
ちなみに、私は箱に入ったまま、文乃さんの隣に置かれている。
万一を警戒してのことだそうだ。
「お嬢様、警備は万全となっております」
「ありがとう、内海さん」
壮年の男性が、文乃さんに話しかけている。
スーツの下からでも、鍛え上げられた肉体がわかる。
この人、ただの運転手なんだよね?
実はSPとかじゃないよね?
元々警備をしていたとか言われても驚かないよ、私は。
まあ、これならば何かあっても文乃さんを守ることができそうだ。
「まず、この部屋には私と氷室、そして雷土がいます。加えて、別室には、万一に備えて陸奥と火縄、あと
もう一名?
この屋敷にいる使用人は、他にもういなかったはずなんだが。
お義父さんやお義母さん直属の使用人かな?
彼らの仕事も手伝う、秘書のような存在が何人かいるとは聞いている。
あるいは、屋敷全体を管理している使用人か。
もちろん、私は実際に見たことはない。
どちらも、文乃さんの部屋には入ってこないからね。
前者はそれこそ海外にいることさえざらだし、後者もあんまり文乃さんには関わっては来ないから。
これは、過去のトラウマを取り除くために、文乃さんが自殺する前から関わっていた使用人とはあまり関わらせないようにしているらしい。
一時は、お義父さんたちも文乃さんには会うまいと距離を置いていたんだとか。
閑話休題。
文乃さんは、私とは違うことが気になったらしい。
「万一?」
「例えば、何らかのアクシデントで外から攻撃があった場合です」
「そんなことあるかなあ?」
「ですから、万が一、です。正直、彼だけを制圧するならば私一人で十分ですから」
こほん、と咳払いをして、内海さんはちらりと壁に目をやってから言葉をつづけた。
「それと、もう一つ、条件があります」
「何?」
「旦那様から、条件を出されております。それは、口論などになってしまった時点で強制的に隔離させていただくということです」
「ああ……」
妥当ではある。
あくまでも、お義父さんや使用人の皆さんは文乃さんの生存と安全を最優先にしている。
そもそも、本人の同意があるとはいえ、GPSや盗聴器などを使っていることもあり得る。
付け加えれば、文乃さんと私には父が私を愛しているわけがない、という前提がある。
だがしかし、内海さんたちにはそれが理解できない。
父親が、子供に対して微塵も愛情がない、ということを察しろという方が無理な話ではある。
つまるところ、彼らは父が文乃さんに報復するのではないかと警戒している。
一応私の死の原因と言えなくもないから、そういう解釈も理解できるのだが、少なくともそういう理由で争いになることはあり得ないんだよね。
別の意味で争いになる可能性はあるので、この態勢は助かるんだけど。
と、こんこん、とドアをノックする音が聞こえた。
瞬間、使用人と文乃さんの間に緊張が走る。
ドアを開けたのは、火縄さんだった。
文乃さんを見ている時限定の、明るい様子はどこへやら。
今は表情が硬い。
そして、その後に。
父が、入ってきた。
白いものが混じった、というより白に黒いものが混じったような髪をしている。
着ているスーツはかなりくたびれている。
何年も前から、同じものを使い続けているのだろう。
もしかしたら、あの日からずっと買い替えていないのかもしれない。
いや、流石にそれはないと思いたい。
記憶にある姿より、かなり老け込んでいる。
十年もあっていないから当然かもしれない。
ぺこり、と一礼してソファに座る彼を見ながら、少しだけ悲しくなった。
何故かはわからないけれど。
「今日は、お時間を取って下さってありがとうございました」
「…………」
元々、私の勘は父の思考を読むためだけに生まれた。
だから、今この瞬間も彼の思考はほとんど読むことができた。
このような場所に呼ばれていることへの戸惑い、金持ちや強者に対する嫌悪、そしてそれすらも塗りつぶすほどの打算と悪意。
文乃さんが何を望んでいるのかはもうわかっている。
そして、彼女の望みが絶対にかなわないことも。
父側が、そんなことをするはずがないということも。
『文乃さん』
「大丈夫」
『…………』
これはダメだ。
もう、文乃さんを止める手段がない。
メイドさんたちが、ワゴンにティーセットを乗せて運んできた。
ティーセットには、紅茶にクッキー、スコーン、ケーキなどが置かれている。
「お食べにならないので?」
最初に、父が発した言葉がそれだった。
「え、ええ。お腹がいっぱいなので」
「そうですか」
そういうと、彼はまず、バッグからビニール袋を取り出した。
そして、スコーンとクッキーをそのまま袋の中に突っ込んでいった。
さらに、皿も何枚か手に取り、それらを全てバッグの中にしまっていく。
『「「「…………」」」』
「何か?」
「いえ」
文乃さんも、背後にいる使用人の皆さんも、ついでに私も絶句する。
社会人として、人としてあまりにもありえないような行動を堂々ととっている彼に。
そしてなおかつ、それを何とも思っていないことの醜悪さに。
本当に、ここまで落ちて腐ってしまったのかと、今更ながらため息が出る気分だ。
まあもう呼吸器官はないんだけど。
文乃さんは、一つ咳払いをして、紅茶を飲み干す。
ティーカップを置いてから、話し始めた。
「あの、今日はお話ししたいことが」
と、それを父が阻む。
「それで、振り込みはいつになるんですか?」
「え?」
まあ、そんなことだろうと思ったよ。
この人は、そういう人だ。
離婚した後、貯金だけを生きがいにしてきた。
それこそ、私からバイト代を強奪してまで。
昔ならいざ知らず、今の彼は金のことしか頭にない。
思えば、私の思想だった『弱肉強食』もブラック企業ではなくて、彼に由来していたのだろう。
「あなたのせいで、息子は死んだわけでしょう?慰謝料はもらえないかもしれないが、少なくとも見舞金くらいはもらってもいいはずだ」
「ううん……」
言葉に詰まっている。
たぶん、この反応からしてこういう申し出を再三していたんだろうな。
まあただの勘だが。
むしろ、彼女はそれを知っていて釣ったのかもしれない。
私に、かつての息子にあわせたい文乃さんと、どうにか難癖をつけて金を巻き上げたい父。
それぞれの思惑があって、今の状況がある。
とはいえ、どうしたものかな。
一応、雷土さんと氷室さん、内海さんが文乃さんの傍にいる上に、別室では陸奥さんと火縄さん、そして
何かしらトラブルに発展すればすぐに父は拘束され、退去させられるだろう。
というか、父が何かしなくても、もうメイドさんたちがぶちぎれそうなんだよね。
具体的には、父がお菓子とお皿を持ち帰ろうとしたあたりから。
文乃さんが止めているから何も言わないし、何もしないけど激発寸前ですよ。
何なら現在進行形でキレてますよ。
キレない方がおかしいともいえるけど。
「息子さんについて、どう思っているのですか?」
「ああ、それはもちろん悲しかったですよ。当然でしょう?」
それは、本当だろう。
父は、私が死んだと聞いた時に本当に悲しいと感じたはずだ。
「危うく、億単位の賠償金を請求されるところでしたから」
何しろ、鉄道を止めて死んだのだから。
文乃さんの小さな口から、歯ぎしりの音が聞こえた。
◇◇◇
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