第41話『If he loved me』

 文乃さんが、パジャマ姿で呟いた直後。

 空気が、張り詰めた。

 柔らかくて三人くらいなら入れそうな巨大なベッドも。

 恐らくはもう長らく使っているのであろう、細かい傷がついた勉強机も。

 逆に、最近になって買い替えたゲーミングチェアも。

 机に置かれた永眠しろさんに関するほぼすべてが詰まっているパソコンも、そのわきに置かれたスタンドマイクや予備のダミーヘッドマイクも。

 すべて、いつもと変わりないはずだ。

 だというのに、二人の間を流れる雰囲気だけは全くの別物。

 昨日まで穏やかだった空間は、冷えてしまっている。

 それは、十二月に差し掛かり寒くなっているから、ではない。

 私が、心を一方的に閉ざすというかつてない状況だからに他ならない。



『会いたくありません』

「…………」



 私は、文乃さんの言葉を否定することなんてめったにない。

 私の記憶が正しければ、過去に一度だけ。

 文乃さんが私の正体を知って、Vtuberとしての活動を辞めようとして時だけだ。

 それに並ぶほどに、私にとっては抵抗があった。



『会って、何の意味があるんですか。あの男は、私を傷つけ、奪い、貶めてきた。どんなことがあったって会いたくありません』

「そうだね」

『それに、あの人も、私と会いたくなんてないでしょう』

「うん、私もそう思う」



 文乃さんは、真顔で答えた。

 私の眼をまっすぐに見て、はっきりと答えた。

 私は彼女のことが好きだが、その中の一つが、こうして私を見てくれることが。

 こんなにまっすぐ目を見て、心を送り込んでくれる人は、彼女以外にいない。

 あるいは、彼女もまた誰かに見て欲しかっただけかもしれないが。



「色々やり取りを重ねる中でわかった、君のお父さんは私の父と違って君を愛していないと思う」

『でしょうな』



 ないはずの胸がきしむのを堪えて、文乃さんと言葉を交わす。

 今更何の未練があるのかと自嘲しながら。

 実際、文乃さんの父や母が彼女に厳しくしていたのは良くも悪くも愛情の裏返しだ。

 自分が歩んできた道を、歩んでほしいと思っていたのだろう。

 それが、思いつく限りもっともきれいで幸せな道だから。

 たいして、私の父が私につらく当たってきた理由は真逆。

 私に、興味がないから。

 好きの反対は無関心だとはよく言ったもの。

 関心がないから、視界にいれたくない。

 そして、なおかつ興味がないものがそばにいることが我慢できなかったんだろうね。

 実際、家を出たら金銭を要求されることもなくなったし。



「私ね、お墓参りに行ったことがあるんだ。君が埋まっている」

『ああ……』



 そういえば、ついこの前には、私の命日があったはずだ。

 私がここに来てから一年半たっているからね。



「けれど、そこには誰も来てなかった。花が供えられた形跡もなかった」

『…………』



 父は、私の命日をどのように過ごしたのだろうか。

 彼は、ずっと家と会社だけを往復する生活を繰り返していた。

 だから、自分がそこにいたかのように見える気がする。

 会社に行き、また家に帰り。

 コンビニで買った食事を胃に収め、ソファに座ってぼうっとしたまま朝が来るのを待っている父のことが。

 まあ、葬式に関しては喪主を務められそうなのが彼しかいないがために、おそらく動かざるを得なかったはずだが。



「だから、彼は君を愛してないと思うよ」

『そう思うのなら、なぜ私を父とあわせようとするのですか?』



 愛情の通っていない親子というのは、普通の他人よりもたちが悪い。

 おまけに片方は肉体も戸籍も手放している。

 碌な結果にはならないはずだ。

 だというのに、一体なぜなのか。



「決着を、付けてもらうため」

『決着、ですか』



 その言葉を聞いて、少しだけ腑に落ちた気はした。

 文乃さんは、私を死なせてことを悔いていた。

 だが、私と互いに本音をぶつけ合うことで、前に進むことができた。

 毎日私が愛を囁く必要性ができたこと以外は、万事解決したといってもいい。

 成瀬さんは、私に対して、文乃さんに対して自分の感情を打ち明けることで過去に対して自分なりの納得を得たように思う。

 少なくとも、彼女はもう私のことで思い悩んでいる様子はない。

 いろんな意味で吹っ切れたというか、応援しようとしているというか。



 私は、どうだろうか。

 私の価値観は、父に植え付けられたものだ。

 弱肉強食という信条は、圧倒的強者である父に踏みつけられたから。

 金銭を重く見るのは、父が金のことばかり考えていたから。

 だから、今の私がある。

 文乃さんと出会って、そこからいくらかは脱していると思う。

 けれど、完全に吹っ切れているともいえないだろう。

 野球映画を観ただけで、フラッシュバックしてしまうくらいなのだから。



「君も私も、色々あった。本来は、君の問題に私が首を突っ込むべきじゃなかったのかもしれない」

『…………』



 肯定は出来ない。彼女の行為と厚意を無下にしたくないから。

 否定はできない。父のことは、もう二度と思考の片隅にすら入れておきたくないと思っていたから。

 けれど、文乃さんの言うことはひとつの正論だった。

 文乃さんが、私の思いを知って、私を死なせた罪悪感を乗り越えたように。

 成瀬さんが、自分の恐怖心と愛情を私と文乃さんに打ち明け、迷いと後悔を振り切ったように。

 私にも、未来に進むために壁を乗り越える必要があるはずだと言いたいのだろう。

 彼女の善意は不快ではなく、間違っているとも思えなかった。



『ひとつだけ、条件があります』

「何かな?」

『万一に備えて、いつでも使用人の皆さんで文乃さんを保護できる状態をつくってください。貴方の安全が世界の何よりも重要です』

「ふえっ。う、うん」



 顔を真っ赤にして、文乃さんはうなずいた。



「一応、内海さんと氷室さんからそうするように言われているからね。そこは安心していいよ。全員で私を見張りながら、守ることになるはず」

『そうですか。それは安心ですね』



 文乃さんを信じていないわけではないんだけど、ちょっと抜けてるところあるからね。



『…………』



 苦しめられてきた。

 傷つけられた。

 けれど。

 未練がある。

 思い出がある。

 魂に刻まれた、愛情の残滓がある。

 


『……会いたくはないです』

「うん」

『でも』



 そこで、言葉に詰まる。



『もしも、会いたいと思ってくれていたらって思ってしまうんです』

「そっか」



 それから五時間後、文乃さんのスマートフォンに、私の父が来たと連絡があった。


◇◇◇

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