第40話『後悔より生まれた力』
「なあ、今度の週末どこかに行かないか?」
「いいわね、どこに行きましょうか」
私は、何と答えただろうか。
いや、何度も繰り返されたやり取りだからその時によって、答えは違うかな。
まあ、基本的に二人とも私の行きたいところを優先してくれたよ。
もちろん、予算の範囲内だったけど。
この時は、近くの公園に行くことになった。
交通費を含めてもなお
かなり広い公園で、周りには人がたくさんいた。
私は、父とキャッチボールをしていた。
小さなグローブとつけて、ゴムボールを投げる。
小学校低学年では硬球とかは重すぎるからね。
逆に、ガチ感あるよなあ。
多分、当時の父としては普通に野球をやって欲しかったんだと思う。
「お、いい球投げるなあ!」
私の投げた球を、父もまたグローブをはめた左腕でつかみ取る。
元々、高校まで野球をやっていたらしく、本当に野球に打ち込んでいたんだとか。
キラキラと目を輝かせながら、ボールを投げ返す。
それは子供でも取れるように極限までに加減された球であり、私もしっかりと受け止める。
「野球やるか?」
そんなことを、目を輝かせながら言っている。
野球は、そこまで楽しいわけじゃなかったと思う。
体を失くしてもなお言えることだが、正直運動自体はやりたいとは思わない。
それくらい、運動が好きではなかった。
けれど、父が喜んでくれるのは嬉しかった。
なので、少年野球のチームに入った。
母は、他の子供のお母さんと一緒に手伝いに来てくれていた。
父も、かなり見に来てくれた。
自分の子供が野球をしているというのが、嬉しくて仕方がなかったんだろう。
結構テンションは、高かった。
まあ、あくまで周囲の迷惑にならない程度だったと思われる。
母が、他の男と家を出る前の話。
私の人生において、最も幸せだった時代だ。
◇
母が出ていった日、父は私の意思を無視して、野球チームから私を抜けさせた。
そして、私の野球道具を全て処分した。
多分だが、あの日父は完全に壊れたんだと思う。
自分にとって、一番大事なものが失われた瞬間に。
私の幸せに興味がなくなり、私を応援する気力なんて、残っていなかった。
その後は、絵に描いたように、あるいは悪夢のように私の人生は暗転していった。
金銭的な理由から友達や彼女は出来ず、ブラック企業に入ることになり、特にこれといったこともできずに命を終えた。
父はと言えば、趣味の野球観戦もしなくなり、ただ金銭のみに執着するようになった。
かといって、それを何に使うでもない。
ただ、貯めこむ。
服装にも、食事にもまるで気を遣わず、機械的に仕事をし、家に帰る。
そして感情を取り戻したかと思うと、大体私に攻撃する。
そんな流れで、私の能力も磨かれていったということだ。
けれど、今になって思えば。
母について。
髪型や服装が、急に派手になったわけじゃない。
家事をさぼっていた記憶もない。
されど、今思えば気づくべきだった。
母が、何の理由もなく上機嫌な時があることに。
母が、時折明るい声で誰かと電話している時に。
そして、母はある日突然消えた。
私と父を捨て、これまでの生活を捨て、思い出を捨てた。
私は、思うことが一つだけある。
もしも、私が気付いていたら。
母を、止められていたのかもしれない。
父は、あんなに苦しまなくて済んだかもしれない。
家族は、そのまま仲良く過ごせたのかもしれない。
ああ、そうだ。
私の能力は、そういう後悔から生まれたんだ。
文乃さんが、かつては私を死なせてしまったことを悔いているように。
成瀬さんが、私の心をいたわれなかったということを後悔しているように。
私の心にも、後悔がある。
能力を伸ばしたのは父でも、産んだのは母だったのだろうね。
彼女がどうしているのかは知らない。
多分父も知らないだろう。
ともあれ、私は過去を悔やみ続けている。
そしてそれを解決する方法は、無い。
もう、どこにもない。
私はもう、人間ではないのだから。
◇
『もう、朝か』
記憶の旅から帰ると、もうすでにうっすらと明るくなっていた。
最近、調子が良くないことはわかっていた。
だからだろうか、あんなふうに記憶をたどったのは。
記憶をたどってわかったのは、結局過去は過去であり、変えようがないという当然の話。
何より、私にとって父はもう関わりたくもない人でしかない。
だから。
「おはよう」
『おはようございます』
文乃さんが、ふわふわもこもこのパジャマを着たまま起きてきた。
普段なら、眼福だと興奮する所だったのだが、今は違う。
一つには、今嫌な思い出がまだ頭に残っているから。
もう一つは、文乃さんが酷く真剣な顔をしているから。
「君に会わせたい人がいるんだ」
『嫌です』
即答した。
文乃さんの言葉を、拒絶するなんて普通はない。
けれど、この申し出だけは拒絶せざるを得なかった。
一番、会いたくない人だったから。
「君のことで話があると言って、君の父を呼び出した。今日、来る予定だ」
そう、文乃さんは宣言した。
◇◇◇
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