第39話『野球映画で過去を想う』
同時視聴配信というものがある。
しろさんがもう何回も行っているコンテンツであり、視聴者からの人気がかなり高い。
割と同時視聴配信というのは内輪向けのイメージがある。既に獲得したファン層はよろこぶだろうが、新規にファンを獲得するのは難しいとされている。だがしかし、しろさんの同時視聴配信は例外である。なぜならば。
「はい。こんばんながねむー。今日は同時視聴ASMRやっていくよ」
【きちゃ!】
【デート配信だ!】
【耳元囁き助かる】
【初見です】
耳元で、しろさんが囁いてくる。本当に恋人みたいだよね。視聴者さんたちもそう思っているような気がする。 今回見る映画は、野球をテーマにしたアニメ映画だ。
話の内容としては全国大会を目指している主人公が、チームメンバーと衝突しつつも、最終的に一丸となって全国大会への出場を勝ち取るというものだ。
わかりやすい、王道中の王道であるスポーツものなのだが。
「えっ、これなんで出塁しないの?」
【ファールだからやで】
【しろちゃん、もしかしてルールわかってない?】
開始早々、視聴者から突っ込みが入る。
「ええと、確かあれだよね。反則ってことでしょ?あれ?じゃあなんで退場してないんだろ?」
野球にはフェアゾーンとファウルゾーンが存在し、ファウルゾーンに打球が飛んだ場合はワンストライク以下ならストライクのカウントが増加し、ツーストライクならノーカウントになる。
つまりどれだけ遠くに飛ぼうが、ファウルゾーンに落ちたら出塁することはできないというわけだ。
閑話休題。
割と基本的なことすら知らないしろさんに対して、コメント欄の反応はさまざまだ。
【ファールすらわかってないのは草】
【サッカーと混ざってるんだよな】
【かわいい】
【まあ確かに普段野球見ない女子高生ならこんなものか】
「う、うう。いやでも、複雑すぎない?」
『まあまあ、わからなければまた解説しますので』
【まあ理解できなくても雰囲気で見れるから】
【そこらへん知りたくなっちゃうのは真面目なんだろうね】
視聴者や私と掛け合いをしつつ、しろさんの視線は基本的に画面から離れない。
それにしても。
映画を観ているのだが、あくまでも私には音声は聞こえない。
テレビ画面上に映し出された副音声で大まかな内容は理解できるが。
ただ、内容は私の中でそこまで重要ではない。
何しろ、今重要なのはしろさんと一緒に見ているということ。
例えば、映画デートで、映画を観るのは確かに大事かもしれない。
だが、隣に居る人の横顔を眺めて、その美しさに見とれてしまうこともまた、同じかそれ以上に大事なことであるはずなのだ。
だから、これでいい。
少なくとも、しろさんと一緒にいられるなら、コンテンツ自体はそこまで問題じゃない。
なんなら、もう一回後で一緒に見ればいいわけだし。
やがて、映画はクライマックスに差し掛かる。
あと一回勝てば、全国大会出場というところまで、主人公のチームは駒を進めた。
相手は、去年の全国出場校であり、主人公のいなかったチームを、ボコボコに負かした因縁の相手でもある。
そして、九回の裏、ツーアウト満塁。
一点を追う主人公たち。
バッターボックスに立ったのは、主人公。
四番打者である彼を前に、敵は敬遠を選ばない。
いや、同点になってしまうから選べない。
ごくり、としろさんが固唾をのむ。
白い喉が、こくりと動く。
いかんな。
さっきから、意識がしろさんの方に引っ張られて過ぎている。
「はっ、はっ、はっ」
【こんな時でもセンシティブ】
【無意識なんだろうな】
【だからこそいい】
そして、主人公のバットが、ボールを捉えて、バックスクリーンまで運んだ。
試合は終わり、主人公を胴上げする所で物語は終わる。
「ふおおおおおおおお。すごい、すごいねえ、すごい、すごい」
声を抑えながら言っているせいで、ちょっと「すごい」が変な意味に聞こえてしまう。
鼻息も荒いため余計にセンシティブ。
そもそも、近くにいるのもよくない。
カップルシートに座っているカップル並みに距離が近い。
カップルシートなんて使ったことないけど。
「すごいよかったね。なんというか、みんな目的、夢のために全力っていうか。私はスポーツなんてまともにやったことないんだけど、それでもカッコいいって思ったよ」
【わかる】
【これきっかけに、スポーツものとかハマってくれたらいいな】
【スポーツものは、野球のみならず一大ジャンルだからね】
「私も、一応Vtuberとして活動するうえで夢や目標ってあるし、努力しているつもりだから、共感できるところは沢山あったんだよ。仲間、相棒に支えられるシーンとかさ」
確かに。
しろさんがここまで歩んでこれたのも、いろんな人とのかかわりがあったからだと思う。
他のVtuberさんや、支えてくれる使用人の方々、さらにはご両親。
あとは、私もその中に入っていると思う。
「今日は、いい作品を見れて楽しかったです。じゃあ、お疲れさまー」
【おつねむ―】
【映画デート配信楽しかったです】
【またスポーツ系も見たいな】
視聴者さんも、各々でコメントを書き込んでいく。
やっぱり、こういう距離が近い配信もいいものだよね。
◇
配信が終わって、文乃さんは私と二人で反省会をしていた。
私としては、かなり盛り上がったし、別に反省するようなことはないと思うのだが。
「うーん、やっぱりルールがわかってた方がいいかな。君は野球のルールとか知ってる?」
『ああ、まあある程度は』
少なくとも、アニメやドラマを楽しめる程度には知っているつもりだった。
「野球ってさ、そもそも得点を競うゲームだよね?ファールって何?」
『ええとですね』
まず、何から説明すればいいのか、と考えながら私は野球のルールについていろいろと説明していった。
意外と、知っていることでも説明するというのは難しい。
基礎知識がない相手に説明している人たちは偉大だよ。
それこそ、しろさんだって解説系の配信をこの前したわけだけども。
スポーツものというのはちょっと難しいかもしれないね。
私も野球についてはある程度知ってはいるのだが、逆に他のスポーツはそこまで詳しくない。
ちょっとジャンルを間違えたかもしれないが、まあこれも経験と言える範疇だろうね。
「ねえ、あのさ」
『はい?』
「いや、何でもない。明日言うことにするよ」
『そうですか』
わからなかったが、納得することにした。
文乃さんが寝てしまったので、私は一人になった。
一人になったとき、大抵はその数時間を文乃さんの寝顔と寝息を楽しむためだけに使う。
こと彼女が絡むと、口から出てくる唾液すらも愛おしく感じられてしまうから、不思議だ。
ただ、今日は違った。
野球に関する作品を見たからだろうか。
少し、昔のことを思い出していた。
私は、夢を見ることができない。
元々、眠りから覚めた時には夢を覚えていないということがほとんどだった。
だが、死んでからはそもそも眠らないので夢を見ることはない。
だが、近いものはある。
過去に意識を向けると、かつての記憶が実感を持って蘇ってくる。
「なあ、見てみろ、ツーアウト満塁だぞ!逆転のチャンスだ!」
野球中継を見ていた父が、叫び声をあげる。
テレビの向こうでは、父の応援する球団が逆転を決めたところだった。
「うおおお!やっぱり、野球はすごいなあ」
「もう、貴方ってば本当に野球好きよね」
「いやいや、そりゃそうだろ。この子だってもう少ししたら野球の楽しさがわかるはずさ」
母が、少し呆れたような、それでいて愛情をたたえたような瞳で父を見ている。
父も、そうやって母と話をするのが楽しくて仕方ないようだった。
そうだ、食卓を囲んでいるのだった。
そして、チャンネルの優先権が父にあるので、野球を見ていたんだ。
「そういえば母さん、授業参観っていつだっけ?」
「あらいけない、カレンダーに書き忘れてたわ。再来週の木曜日よ」
「お、そうか。じゃあ有給申請しておかないとな」
「あら、本当に?大丈夫なの?」
「何を言っているんだ。自分の愛する子供の参観日だぞ。観に行くに決まってるじゃあないか」
父は、良くも悪くも素直な人だった。
陽気で、活発で、嘘がつけない人。
趣味も、野球観戦くらいのもの。
母は、穏やかな人で、私を主婦として育てながら父を支えていた。
二人とも、家族を愛していたように見えていた。
そう、思っていたんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます