第37話『命の管理者』
ロールプレイを行い、大好評だった先日の配信。
改めて、文乃さんは別のロールプレイをやろうとしていた。
「うーん、今度は何をしようかな」
『マシュマロに来てないんですか?』
「昨日は来てなかったんだよね。あれ、何件か来てる」
おそらく、しろさんが先日行った永眠しろさんというキャラクターを脱ぎすてた配信を観て、「こういうロールプレイを見たい」と思ってくれた方がリクエストをしてくれたんだろうなと思う。
ちなみに、しろさんのところにマシュマロ自体は結構来る。
質問、純粋な好意や応援、リクエスト、布教したいコンテンツなど、マシュマロのシステムとメイドさん達に弾かれるクソマロ以外は大体配信で取り上げたり、SNSで返信していることが多い。
もちろんすべてではないけど。
『どれかいいのはありますか?』
「そうだね、色々面白そうなのはあるんだけど……これかな」
文乃さんは、そんなことを言って新しいマシュマロを表示する。
そこに書かれていたのは。
【仕事の疲れ等で定命待たずに死にそうになってる人に定命全うさせるために世話を焼き、活力を取り戻させる死神さんシチュボ】
ああ、なるほど。
死神ロールプレイね。
これは興味深い。
永眠しろさんは、もちろん死神である。
だが、死神というキャラクターをことさら押し出しては来なかった。
だからこそ、あえてここでの死神ロールプレイは妙手だと思う。
このマシュマロを選んだのはいい判断ですよ。
「そうだねえ、まず口調とかは普段と意識的に違うようにしておきたいかな」
『なるほど』
「なんだか、このマシュマロだと圧倒的に年上の、それこそ数百年とか生きている感じの死神とかがいいと思うんだよね」
『確かに、そもそもしろさんのお姉さんボイスに需要があるのはわかり切ってますからね』
「あ、ありがとう。と、ともかく声も昨日のメイドさんとかに近い方がいいよね」
それはまあ、本当にそうだと思う。
お姉さんボイス、需要あるからなあ。
「何をするのがいいかな、人の世話をすることなんてめったにないからさ」
『看病ASMRとか、介抱ASMRとか調べて聞いてみましょう』
「おっ、それは確かに」
文乃さんは、またしてもパソコンとスマートフォンを起動して聞き始めた。
私も、ヘッドホンをつけてもらう。
「ほうほう、食事を作ったり、身の回りの世話をするのが一般的なんだね。介抱なんてしたことないから全然わからなかったよ」
『私もそういう経験はほとんどないですね』
しいて言うなら、あくまでも上司を介抱した時くらいか。
あの人、何を思ったのか、たまに酒を飲んだまま出勤してくるときあるからな。
千鳥足になって物にぶつかって周りに当たり散らすのは勘弁してほしかった。
色々なASMRを見ている最中、文乃さんがぽつりとこぼす。
「死神ってさ」
『はい?』
「死ぬべき時が来ると、人を死に導くんだってね」
『そうらしいですね』
私は、文乃さんを自分の死神だと思っている。
彼女が自分と同じ、希望を持っていない人間だと思って。
死んでほしくなかったから止めようとして。
結果的に、そこで死んだ。
自分が死ぬべき時は、あの時あの瞬間だったと思っている。
過程はどうあれ、一人の少女の自殺を止められた。
何より、今はなぜか転生して彼女の傍にいて、幸せな日々を送ることができている。
だから、救われたとも思っている。
「私は、人に死ぬべき時なんてものがあるとは思ってないんだ。だから、人には少しでも長く生きて欲しいし、幸せになって欲しいと思ってる」
『それが、死神としての文乃さんの考え方ですか?』
「そうだね。少しでも長く生きて欲しい。そういう善意が、今回の配信では必要だもんね」
そんな認識について話しながら、文乃さんは台本を作っていった。
◇
「こんばんは」
いつもとは違うあいさつで、しろさんは入ってきた。
「ふむふむ、何やら埃が積もっておるようだな。さては、また掃除をさぼっているのかな?」
声が、かなり遠くから聞こえてくる。
それこそ、耳元で囁いてくるかのような普段のASMRとは比較にならないほど遠い距離だ。
だが、それでいい。
もとより、ダミーヘッドマイクの長所は間合いを正確に伝えること。
音源が近ければ近く、遠ければ遠くから聞こえさせることが私の役割。
ゆっくりと、かつ音を立てすぎないようにしずしずと、しろさんは私の眼前まで近づいてきた。
そして、キスするかしないという距離で止まった。
「相変わらず、死にそうな顔をしておるな。死神である我より死神に見える」
【声が、違う】
【いつもより威厳がある】
【お姉さんというより、もっと上の長命種みたいな】
「クマがあるし、ちょっと痩せておらぬか?あと普通に考えてもう人であれば寝る時間ではないのか?」
まじまじと近づいて、彼女は一呼吸おいてからまた口を開いた。
「なるほど、今日もいや、昨日も仕事が忙しかったというわけか。本当に、社畜というのは難儀だのう」
【そうだね】
【何でこんなに解像度高いんだ】
【癒される】
【うう、何だか泣けてきた】
「じゃあ、とりあえずそこにいてくれ。これから、ちょっと料理するからのう」
「なぜ料理、と申すか。貴様、その食生活で健康が維持できると思っておるのか?」
はあ、とため息をつきながら、しろさんはまた私から離れている。
ただし、声が聞こえないというほどではない。
せいぜいで、一メートルくらいか、それより近い。
といっても、しろさんは料理を作ることができない。
そもそも、こういう家庭環境だとまともに家事をすることなんてまずないよね。
文乃さんのお義父さんも、家事は全然できないらしいからね。
親子そろって、掃除のやり方一つ知らないのだとか。
そんなわけで、彼女たちは料理なんてできるはずもなかった。
なかった。
しかし、文乃さんの努力は、それを可能にした。
しろさんの机の上には、まな板と、万全を期してプラスチック製の包丁が置かれている。
そして、ニンジンやジャガイモ、ブロッコリーといった野菜も。
「今日は、野菜の具沢山スープを作ろうと思っておる。コンビニ弁当やゼリー飲料ばかりでは寿命を迎える前に死にかねんからの」
とんとん、と包丁が食材を切っている。
刃が食材を切り、木製のまな板に刃が当たる。
猫の手も完璧だし、手つきもまだ固いが、逆にそれくらいの方が安全だ。
耳に響く音が、心地よい。
【ああ、癒される】
【これ通い妻なのでは?】
【いや同棲だろうな】
視聴者さん達も、純粋に癒されている。
やはり、しろさんの根本的なあり方は変わらない。
そして、包丁で食材を切り終えると、しろさんは傍にあったもう二つの器具に触れる。
アルコールランプと、コーヒーメーカーだった。
中には、水だけが入っている。
さすがに、ガスコンロを使うのは許可できないというメイドさん達との協議のうえで、妥協案としてできたのがこのアルコールランプである。
そこに、しろさんは点火する。やがて、私の傍でぽこぽこと水があるいは泡が立つ音がした。
「というわけで、お湯を沸かしておる。スープができるまで、こうして少しだけ話そう」
そういって、しろさんは私の耳元まで接近してくる。
つい、五十センチほど先でぽこぽこと音を立てているアルコールランプがBGMになっている。
さすがにガスコンロは使えないんだよね。
何しろ、文乃さんは料理ができない。
そんな彼女に包丁を持たせることはいざ知らず、コンロを使うことは許可されなかった。
残念ながら当然だったので、しろさんも反論しなかった。
「いいか、前にも言ったが、お前の寿命はまだまだ先なのだ。だというのに、お前は働き過ぎて死にそうになっている。それは、世の理に反しておる」
あくまでも、仕事だからな、と付け加える。
だがその声は、冷徹とは程遠い、むしろ穏やかで温かかった。
【そっか、そういうシチュエーションがあるのか】
【こうやってお世話してもらえるのもいい】
「さて、じゃあ体を拭くからな。服を脱いでもらおうかの」
『おおっ』
【ん?】
【ガタッ】
【ちょっと待ってください。僕は今冷静さをかfjshふぃfじゃ】
【欠いてて草】
視聴者は大いに盛り上がった。
ついでに、私も盛り上がった。
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