第36話『絵本のような物語を』

「坊ちゃま、起きていらっしゃいますか?」



 覗き込むように、あるいは問いかけるように文乃さんは言葉を発する。

 コメント欄が、それに答える。



【起きてる】

【ZZZ】

【眠いよ】



「坊ちゃまは、まだ眠れていないようですね。今日は、ご本を読み聞かせしてあげましょうか」



 一応もうすでに寝ている視聴者もいるはずだが、そこには構わずしろさんは配信を続けた。 

 基本的に、しろさんはASMR配信中にコメントを拾わない。

 雑談配信の際はともかく、全体の流れを台本を組むことで作り上げるASMR配信ではノイズになりかねないからだ。

 今回のようなロールプレイ主体の配信では、特にそう。

 



 ともかくしろさんが、そっと取り出したのは一冊の絵本。

 通販でこの日のために購入した、のではなく昔彼女が読み聞かせをしてもらった時に使われていた本なのだとか。

 しろさんは本をぱたり、ぱたりとめくりながら読み始めた。

 それは、外国の絵本作家が書いた、青虫の絵本だった。

 青虫が、色々な果物を食べていくというお話。

 絵本は、子供が触っても壊れないように分厚くしているものが多いのだがこの本は絵本の中でもいわゆる仕掛け絵本という奴であり、その都合上通常の絵本よりもさらに分厚くなっている。

 ぱらぱら、という軽快な音ではなく、ぱたり、ぱたり、というゆったりした音なのはそのせいだ。

 本に穴が空いており、穴を通って、芋虫が果物のを食べ進むという絵本だ。

 子供が目を開いて本を読んでいけば、その魅力に取りつかれていたことだろう。

 というか、私も昔読んだ覚えがある。

 絵本っていいよね。

 内容なんてまともに覚えていないというのに、絵と読んでもらったことだけは覚えている。

 本当に、あの頃は良かった。



 やがて、本を読み終わったしろさんはぱたんと本を閉じた。

 私の隣で、横向きに寝転がって、私に視線と吐息を送る。

 ASMR配信では、こうやって合間合間にかすかな吐息を吹き込むのも技術の一つだ。

 わかっていても、心地よいと感じてしまうのだけれど。



「かわいいですね。本当に、もう眠くなってきてしまいましたか?」



 しろさんは、そう言いながら頭をなでる。

 しゃわしゃわ、という音が響いてくる。

 いやらしさというものは一切ないが、なんだか落ち着くのだ。

 頭を撫でられるという行為には、性的なニュアンスは一切ないのである。

 ふと、頭をなでる手が止まった。



「おや?これはいったいどういうことでしょうか」



 疑問符を浮かべながら、それでいて少しだけ楽し気な声をあげながら彼女は妖艶な態度を崩さない。



「坊ちゃま、どうして両腕を伸ばしていらっしゃるんですか?」



 からかうような声音で、問いかける。

 にっこりと、悪戯が成功した子供のような顔を浮かべている。



「もしかして、私にぎゅっとしてほしいんですか?」



 耳元に顔を近づけて、囁いてくる。

 唇を触れさせるか触れさせないかという状態で、吐息が耳の中で反響する。

 熱が伝わって、私の内部からも熱が発生しているような気がする。



「仕方ありませんね。少しだけですよ?」



 そう言って、しろさんは私に抱き着いてきた。

 胸部装甲が、顎のあたりに押し当てられて、唇は耳元に触れている。

 メイド服に包まれた柔らかい体が、小さい私の体を覆っている。



「ふうーっ。とってもかわいい、安らかな顔をしていますね。今にも溶けちゃいそうな、あどけない顔」

【んんんんんんんっ】

【ママァ!】

【最高が過ぎる】



 吐息で、言葉で、あるいは全身を使って。

 しろさんは、ゆっくりとじっくりと私を、視聴者を甘く融かし続けた。

 


「お休みなさいませ、坊ちゃま」



 そんな言葉で、締めくくるまで。 



 ◇




 配信が終わって、メイドさんたちがあわただしく機材を片付けて。

 後には、私とメイド服を着たままの文乃さんだけが残された。

 もうメイド服を着る必要もないのだが、脱ぐ気力も残っていないらしい。

 メイドさんたちが脱がせばいいのかもしれないが、一人不安要素がいるからなあ。

 ともあれ、私はいつも通り言葉をかける。



『お疲れさまでした』

「ありがとう」

「いつも、ありがとうね」

『急に、どうしたんですか?』

「いや、いつも思っていることだから。今日だって、君が相談に乗ってリハーサルに付き合ってくれたからできたことだからさ」



 今までやってこなかった新たな挑戦。

 それを終えて、文乃さんは改めて感謝を伝えたいのだと、そういった。



「正直、君が隣に居てくれるから頑張れるんだよね」

『そんなこと』



 そう、否定しようとしたが、ノータイムで反論される。



「あるよ。あのね、私は一人でできることってそんなに多くないって思うんだ。サムネイルだって、機材の設定だって、私は全然できないし。経営戦略も、練れないし。何より、私自身をケアするのは私以外にしか、君にしかできないことだから。私に対して一番奉仕してくれているのも間違いなく君だしね」



 だから、今回の件では特に力になれたのだと、文乃さんは言いたいらしい。

 まあただの勘だが。

 客観的に見て、文乃さんは、しろさんは強い。強くなった。

 もしかしたら、もう私なんていらないんじゃないかと思えるほどに。

 けれど。

 彼女が、まだ私を必要としてくれるのは。

 自分の歩みの、隣に居て欲しいと私を欲してくれるのは。



『嬉しい、です、ね』



 それが、どれほど独善的な心でも、あるいは心すら持たない消えかけの亡霊の思いだったとしても。



『文乃さん?』

「すぅ」



 彼女は、どうやら本当に寝たらしい。

 なるほど、彼女の本当の寝顔は、本当にあどけない。

 さっきまで、妖艶な女性を演じていたのが嘘のように。

 きっとどちらも本当なのだけど。



『お休みなさい』



 この幼い寝顔を独占できたらいいなと、そんなことを考えながら私は一晩中見守っていた。


◇◇◇

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