第14話『タイツとオイル』
タイツ。
脚を覆う防寒具であり布を構成する糸の太さが25デニール以上のものを指す。
因みに、25デニール以下のものはストッキングと呼ばれている。
ストッキングはタイツとは用途も異なっている。
タイツが、生地が厚く純粋に防寒具として使われる一方、ストッキングは見た目を着飾るためにあるものという側面が強いようだ。
因みに特定の界隈でタイツとストッキングを間違えるとめちゃくちゃ怒られるらしい。
閑話休題。
しろさんは側にあったタイツを取り寄せると足で私を挟んだままの体勢で片足ずつ脚に入れていく。
今回は、オーソドックスな黒いタイツだ。
しゅるしゅる、しゅるしゅる、という衣擦れの音が聞こえる。
何度も聞いているはずの音なのに、不思議な緊張感がある。
タイツを私の傍で履いているというシチュエーションがそうさせるのかもしれない。
私は元々タイツにあまり執着していない。
ともすればタイツとストッキングの違いすらよくわかっていなかった。
とはいえしろさんのタイツとなれば別。
【素晴らしい】
【これはおセンシティブ】
視聴者の反応も良い。
期待に満ちている。
まだ着ていない状態でこれならば、タイツを着た時、一体どうなるのか。
それが彼らの心を一つにしていく。
もしかすると、視聴者の皆さんはあまり彼女が着替える現場に立ち会うことはあまりないのかも知れない。
心音の時とかは最初から脱いでいたりするからね。
実際の格好は見えないのは残念なようなそれで安心するような。
「じゃあ、初めていくよ。すりすり、すりすり」
先ほどの生足とは違う。
糸で紡がれた繊維と私のプラスチックで作られている耳と擦れ合ってすりすりという音を立てる。
生足だった先ほどよりも涼やかで、気持ちのいい音が響き渡る。布一枚空けているということもあってか、リラックスして聴くことが出来ている。
「次は、指で耳かきをするよ」
そう言って、しろさんはタイツを纏った足の親指を両方の耳へと入れていく。
耳の表面をなぞるのではない。
足の指を耳の奥まで突っ込んでいった。
「ゴシゴシ、ゴシゴシ。どうかな、くすぐったくないかな?」
普段の指かきとも、耳かきとも違う。
足の親指が当然手よりも太く、なおかつ不器用だ。
だからこそ、得体のしれない何かが私の耳を蹂躙しているような感覚があってぞくぞくさせられてしまう。
「じゃあ、次なるステップに移行しようかな」
しろさんが、そういって、足を移動させないまま何かの入った小瓶を取り寄せてきた。
いや、私はその中身が何か知っている。
リハーサルで使っていたし、なおかつ何度もASMR配信で活用しているものだったから。
視聴者も、勘のいい人たちは気づいているのかもしれない。
しろさんは、蓋に手をかけて、きゅぽん、という音を視聴者にも聞かせて。
「ここからは、オイルを使っていきます」
【ふあっ】
【待って待って、ここでオイル使ってくるの?】
【おいおいおいおい死ぬぞ俺たち】
しろさんは、ふたを開けてオイルを掬いあげる。
そして、タイツを着た生足に塗りたくり始めた。
ぬちゃ、ぬちゃ、という音が聞こえる。
液体がかき混ぜられる音が、しろさんの下半身から生み出される。
ぐちゃぐちゃという音を聞いてしまうと、なんだかよからぬことを想像してしまう。
「ふふっ、オイルを塗り終わりました。じゃあ、改めて始めて行きましょうかね」
どこか妖艶な雰囲気を漂わせながら、しろさんはオイルまみれのタイツを履いた足をマイクにそっと添える。
ずりゅ、ずりゅ、と先ほどよりもずっと大きく、いやらしい音が脳内に響く。
ないはずの心臓が、血管が、脳が、ばくばくと震えていた。
水音は配信上では流してはいけないのだが、まあこれぐらいなら問題はない。
「ふふっ、どうかな?大丈夫かな?痛くない?」
オイルまみれの足で、耳を、頭頂部を、順番に踏んでいった。
さらに、親指を使って耳の内部も攻めていった。
【気持ちいいよ、痛くない】
【最高です】
【えちちちちちち】
視聴者たちも、この配信が始まって以来一番コメントが盛り上がっている。
オイルマッサージと、足踏みと、そしてタイツ。
それらすべてによって配信が盛り上がっている。
それからしばらくして、配信の終わりがやってきた。
しろさんが体勢を変えて耳元まで顔を寄せてくる。
「今日は楽しんでもらえたかな?じゃあ、おつねむー、お休みなさい」
【お疲れさまでした!】
【またやって欲しい】
【今回の配信で何かが目覚めそうだよ。ありがとう】
大好評のうちに配信が終わった。
◇
「つーかーれーたー!足がしんどい!」
『お疲れさまです』
配信が終わった直後、文乃さんは足を下ろして倒れこむ。
しかしてまだ終わってはいない。
タオルを掴んで私の頭部を丹念に拭いてオイルを落としていく。
私についていたオイルが全部落ちると、そのまま文乃さんはオイルまみれになった靴下を脱ぎ捨てて絨毯の上に寝転がる。
『文乃さん、とりあえず寝るならベッドにしましょう。床で寝るのは良くないですよ』
「はーい」
私を持ち上げつつ、ゆっくりと文乃さんは起き上がってベッドに横たわる。
文乃さんはそのまま枕元まで私を運ぶと、寝転がったまま話しかけてきた。
「今日の配信、どうだった?」
『素晴らしかったです』
新たな境地にたどり着いた永眠しろさんの配信。
シチュエーションも、技巧も、大まかな流れも、セリフ回しも全てが完璧だったと思われる。
けちのつけようがないのだ。
そんなことを言うと、文乃さんは照れながら笑ってくれた。
かわいい。
その後も、ベッドの上で談笑していたが、ふと文乃さんが切り出した。
「ひとつ訊きたいんだけどさ」
『何ですか?』
「君ってMなの?」
『…………』
文乃さんが、爆弾のような質問を投げかけてきた。
さて、質問の意味を考える。
なにしろ、先程足によって頭を踏まれるというドM御用達のような配信で喜んでしまっていた私である。
文乃さんも、配信をしている最中に私が歓んでいるのは聞いていたわけで。
それはドM疑惑をかけられてしまったとしても仕方がないのではないかと思われる。
とはいえ、ここはしっかりと否定しておかなくてはならない。
私にもプライドというものがある。
特殊性癖の持ち主だなんて汚名を大人として、文乃さんの前にさらすわけにはいかないのだ。
『そうかもしれません……』
「うん、だよね」
あっさりと自白してしまった。
いやだって、ここでそういう性癖がない、と言ってしまうともう二度とやってくれない可能性があるから。
二度と文乃さんに踏んでもらえないのはあまりにも辛すぎる。
欲望には勝てなかったよ。
『人生で、そんなことなかったんですけどね。自分がそういう性癖なんじゃないかって思うことは』
ダミーヘッドマイクに転生したことによって、自身の嗜好が無意識のうちに変質しているのか。
または、安心できる環境にいることで、心に余裕ができたからなのか。
もしくは、文乃さんと出会ったことで目覚めてしまったということなのか。
「まあ、でもそういうのはある日突然きづく、というのもあるらしいからね」
『そうなんですか』
知りたくなかったよ、あと知られたくもなかったよ。
文乃さん、流石にこれは引いただろうか、と思っていると。
「いいねえ」
『うん?』
文乃さんは、目を輝かせていた。
ドン引きするでも、非難するでもなく、純粋にいいものとして受け止めている。
「ドM向けのASMR配信、やってみようかな」
『どんなことをやろうとしているんですか?』
「まあ、踏んでもらう系のASMR配信をするとかはもちろんとして、罵倒ASMRとか、蝋燭とかもやってみたい」
これはいわゆる創作意欲的なものだろうか。
あるいは、何かしらが目覚めているということか。
『文乃さんは逆にSなんですかね』
「うーん、どうだろう。よくわからないけど」
文乃さんが寝転がったまま、視線を宙にあげて考える。
「君が踏まれて喜んでるとき、嬉しいような、切ないような気持になって、ドキドキしちゃったんだよね。かわいいなって」
そんなとんでもないことを、照れながら言ってきた。
どうしよう。
文乃さんが世界で一番可愛い件について。
◇
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