第10話『バグ・イーティング』

 ASMR講座配信を行ったり、マオ様と文乃さんが混浴したり、はたまた文乃さんとがるる・るる先生がとある重要な仕事・・・・・について話し合ったり。

 重要な仕事については、ナルキさんやそれ以外の人も巻き込んだプロジェクトだ。

 私も、何度か文乃さんに頼まれて相談に乗っていた。

 いずれ、配信される時が来るはずだ。

 閑話休題。

 それから一週間ほどたって、案件配信の日がやってきたのだ。



『案件配信やっていきましょうか』

「そうだね……」

『緊張していますか?』

「結構してるね、何しろ案件は、は、初めてだもん」



 声が震えている。

 だが、緊張はそこまで酷くない。

 少なくとも、これまでの配信と比べればという話だ。

 初配信や、初コラボ配信、一周年記念配信と比べるとそこまででもない。

 咀嚼ASMR自体は何度かやっていたし、慣れがあるのかもしれない。

 違うのは、食べるのがバグ・キャンディという名の虫の形を模した飴であるということ。

 そしてもう一つは、これが案件配信であるということ。

 実際のところ、しろさんは案件を受けたい、わけではない。

 どちらかと言えば、案件を受けることで信用を得る、つまり足場を固めることがしろさんの目的だ。



「こんばんながねむー。今日は人生初、案件配信やっていきます」

【きちゃ!】

【死神だから人じゃないんだよなあ】

【『バグ・キャンディ』好きだから助かる】

【待って、これお手々写ってる!】



「はい、改めて配信の流れを説明していきますね」



 今回の配信は、ただしろさんのLive2Dが写っているだけではない。

 しろさんの手元が写っている。 

 しろさんは、黒い手袋をつけた状態で、手に色とりどりの飴を持っている。

 普段タッピングなどをしている細い指が、細やかにかつ滑らかに動いているのが視聴者にも見える。 

 まずは、しろさんが案件の詳細を説明する。

 紹介する商品は、早音製菓の新商品、『バグ・キャンディ』。

 虫をかたどっているが、絶妙にデフォルメされており可愛らしいデザインをしている。

 口に入れるのには抵抗を覚えないようなデザインになっている。

 サイズも、当然食べられないようなレベルではない、普通にコンビニで売っているキャンディのサイズ。



「これを、実際に食べて、感想を言いつつ、宣伝していくというASMR配信になっております。良かったら、概要欄に貼ってあるリンクから飛んでもらって、購入していただけると非常に嬉しいです」



【買います!】

【今出先だけど、後で買おうかな】

【指細いな】

【飴のサイズと手袋の種類がわかれば指の長さと太さ特定できないかな?】

【しろちゃんの指、すごい綺麗だよハアハア がるる・るる】

【何人か危険人物混じってて草】




 最初にしろさんが手に取ったのは、テントウムシのような見た目をしたイチゴ味のキャンディ。

 それをつまんだ状態で、良く見えるように映してから口元に運ぶ。



「う、ん、コロッカロッ」



 口に飴を含むと軽快な音が響く。

 飴玉が、唾液で濡れた舌によって口内を動き、歯とぶつかって軽快な音を立てる。

 しろさんの歯も、舌も見たことがある私自身としては具体的な動きまでが想像できてしまう。

 あの舌で、何度も直に舐められているのだ。

 どうしてもこう、ね。

 色々と余計なことを考えてしまうというか。

 ある程度以上に興奮が高ぶってしまうと、今の私は自然に声が出てしまう。

 なので、心を静めることを意識する。

 普段なら声を出してもいいかなとも思うんだけど、今日は咀嚼ASMRだ。

 万一、私のせいでASMR中に口内を怪我してしまったら取り返しがつかないことになる。



【あー癒される】

【イチゴの香りがする】

【もうぽちったわ】

【甘いな、みんな。俺は現在進行形で食っている】

【何、だと!】



 案件告知してから一週間以上がたっているからもう買っている人もいるかもしれない。



「じゃあ、次はスパイダーを食べるね。これ綺麗だよねー」



 そういって、しろさんが取り出したのはレモン味のキャンディーだ。

 クモの巣を象った黄色の薄い飴を、口元へと運ぶ。

 パキリ、という小気味よい音を立てて綺麗に生えそろった前歯がクモの巣をへし折る。

 そして、その一部を口内でぱきぱきと砕いていく。

 楽しそうだね。

 個人的には、レモン味のキャンディーが結構好きだった。

 まあ一番好きなのはハッカ味だったけどね。

 辛いものとかもそうだけど、刺激が強いものが好きだったんだよね。

 ちなみに、味覚も痛覚も失っているので酸味も辛みもわからない。

 いやでも、どうだろう。

 スースーする感覚は、もしかしたら感じられたりするのかな?

 今度試してもらおうかな。

 いや、今はそんなことに関わっている余裕はない。

 しろさんは、続いて残ったクモの巣もパキパキと砕いていた。

 今迄の私の記憶と比較的近いものは、パインアメだろうか。

 あれよりも薄いけどね。



「うん、おいしいね。スッキリした爽やかなレモンの味だね」



 完全に噛み砕いて、飲み込んだレモン味キャンディーへの感想をそうやって締めくくった。



「じゃあ、お次はメロンのバッタ型だね。メロン味のキャンディって食べたことないなあ」



 お次はうまいこと、ショウリョウバッタをデフォルメした飴だった。

 なんというか、ここまで可愛らしいデザインになるんだね。

 わざわざ実写で手元を写すだけのことはある。

 虫であることはわかるのに、虫特有の気持ち悪さが微塵もない。

 しろさんが、わざわざVtuberとしてのタブーを侵し、実写で手元を写しているのは飴の優れた見た目を魅せるためだろう。



「うん!おいひいね!今までに食べたことない優しくて、まろやかな味だよ。これが大人の味ってやつなのかな?」

【メロンは確かに食べたことないかもなあ】

【好きだなあ、しろちゃんのコメント】

【食レポうまくね?】

【メロンが大人の味は微笑ましいな】



 コメント欄も食レポを純粋に楽しんでいた。

 この配信は飴の宣伝をするのが目的。

 ただ、しろさんはそんなことを意識していないかのように、あるいは意識しないようにと振舞っているのか、純粋に楽しんでいるようだ。

 そして私も、視聴者もそんな彼女を見て楽しんでいた。

 こうやって、純粋に楽しんでいるところを見て、購買意欲をしろさんのファンが掻き立てられる、というのが案件配信である。

 



「ではでは、今度はカブトムシにしよう」



 しろさんが、選んだのはカブトムシを象った茶色い飴。

 確か、コーラ味だったか。

 しろさんは、口に入れる。

 そして、わかりやすく顔を歪める。



「うーん、コーラ味ってこんな風にシュワシュワしているんだね。炭酸が入ってるのかな?」



 どこか、難しい顔と声色をしながら、コーラ飴についての感想を述べていく。

 苦虫をかみつぶしたような顔をして、バリバリと飴を噛み砕く音を響かせる。

 これはこれで爽快だ。



「ちょっと、あんまり、あれかもしれないですね。すうーっ、好みが分かれる可能性があるかもしれませんね、はい」

【あっ】

【あんまり炭酸飴好きじゃなかったか】

【まああの刺激が苦手っていうのはわかる】



 炭酸ねえ、苦手な人は苦手だよね。

 私は特に嫌いではない。

 就職してからは、あるいは高校に入学したあたりからは結構飲んでいた気もする。

 好きというほどではないけど、辛いものとか刺激物はそれなりに好きだった。

 今思えば、ストレスが強かったんだろうな。

 実家、あるいは職場がストレスのもとだったが。

 小学生のころは、別にそんなストレスなかったんだけどね。

 ――ははは、まだお前には炭酸早かったかな。

 ――まあ父さんもあまり炭酸は得意じゃないけどな。

 ――ビールもそんなにたくさん飲めないし。

 嫌な記憶が、蘇った。

 頭を振って、実際には振れないが振ったつもりになって、意識の外に記憶を追い出す。

 今は、今この瞬間だけに集中したい。



 その後も、しろさんは次々と飴を紹介していった。

 オオムラサキをモチーフにしたブドウ飴、クワガタ虫のような形をしたオレンジ飴、あるいはシロアリに似たミルク飴。

 それら一つ一つを味わいながら、丁寧に舐める音と歯が飴に当たる音を響かせる。

 ころころ、かろかろ、という音が耳に響く。

 やがて、全ての『バグ・キャンディ』を食べ終わり。



【お疲れさまでした!】

【買います!】



 案件配信は成功に終わったのだった。

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