第2話「父との会話」
早音家の食卓。
普段、私が使うことは滅多にない。
だいたい、メイドさんかコックの陸奥さんが部屋まで持ってきてくれるし、食べ終わると食器を持って帰ってくれる。
大体生活のほぼすべてが自分の部屋で成立するようになってしまった。
芸事もやらないしね。
しいて言うなら、配信では使えるからと箏はまだやっているくらいだろうか。
でも、茶道や華道もASMRに活用できるかもしれない。
今度、『彼』と一緒にリハーサルをしようと思っている。
閑話休題。
食卓は、私以外の誰かと食事をするために使う。
成瀬さんが一度だけ来た時も、ここは一緒に食事をするために使用されていた。
そして今、食卓が本来の用途として使われていた。
テーブルの上には、シミ一つ、皺ひとつ存在しないテーブルクロスが敷かれている。
さらにその上には、磨き上げられた銀色のナイフとフォーク、なおかつ白い皿が置かれている。
皿の上にある料理も、彩りよく、見た目だけで素晴らしいものだとわかる。
普段、私一人の時とは気合の入り方が違うね。
まあ、私がリクエストする料理がこういう格式ばったものじゃないというだけで、手抜きをしているわけじゃないんだけど。
私の上座には、一人の男性が座っていた。
高級そうなスーツがよく似合っている、壮年の男性。
整った髪形、若々しい顔つき。
娘の私から見ても、見た目はいいと思う。
優秀なビジネスマン、という感じを受ける。
ただし、中身はわからない。
それは、何も中身が伴っていないぼんくらということではない。
むしろ逆。
中身が詰まりすぎていて、何を考えているのかまるで理解できない。
『彼』の影響か、少しだけ他人の感情に敏感になっている。
といっても、これまでできなかったことができるようになったという方が近い。
氷室さんたちが、損得抜きに私を心配して、愛情を注いでくれていることが理解できた。
成瀬さんが好意を持って接してくれていることも、私を挑発して焚きつけようとしていることも理解できた。
いじめで心を閉ざしていた私に、『彼』がもたらしてくれたものの一つだ。
けれど、父からは
何も私に対して感じていないのか、あるいはビジネスの場で作り上げた仮面が分厚すぎるのか。
にこやかな表情が、帰ってきてから一時間以上、一秒たりとも崩れない。
あるいは『彼』でさえ、読み取れないのかもしれない。
「お久しぶりですね、お父様」
「ああ、久しぶりだね、文乃」
余談だが、三人そろって会食をしたことは一度もない。
元々、ずっと仕事人間だったので、父がこうして仕事を離れているあいだは、母がその穴埋めをやっているのだろうなと推測した。
もちろん、想像でしかないのだけれど。
けれど、両親に不満はない。
むしろ、これまでまともに顔を合わせることもまれだったことを考えれば、彼らなりに気遣ってくれているのだろうということぐらいは分かる。
大富豪と言っても差し支えないレベルの人たちだし、その気になれば仕事などしなくても一生遊んで暮らせるのだろうが、まあ二人にとっては仕事が生きがいなのかもしれない。
私も、ある意味似たようなものだからね。
「そういえば、配信を観させてもらったよ。懺悔麻雀、面白かったね」
「ありがとうございます」
父も母も、配信を観ているらしい。
あと、氷室さんたちが観ていることも知っている。
一般的に、実の家族や友人、知人に配信を観られたりすることは恥ずかしいものとされているらしい。
マオ様が、おねえさんに配信を観られてしまい、それを嫌そうに愚痴っている切り抜きを見て知った。
嫌がるマオ様は非常にかわいいが、正直私はその気持ちがあまりよくわからない。
あるいは、どこかで家族に対して距離を感じているのだろうか。
マオ様や、多くのVtuberと違い、家族を身近な存在と感じていないから、そんな考えになってしまうのだろうか。
実際『彼』に配信を聞かれるのは、まだ恥ずかしいしね。
もう、流石にだいぶ慣れたけど。
ともあれ、両親と私の間の心の距離は非常に遠いのもまた事実である。
しいて気になることがあるとすれば、私が耳を舐めたりするような配信などを、どんな気持ちで見ているのだろうかということだ。
別にいいのだけれど。
そもそも本当に見ているのかどうかもわからないし、考えない方がいいかもしれない。
「最近、学校はどうだい?楽しいかい」
「楽ではありますよ。外出も、二か月に一度で済んでいますから」
「進学は考えているのかい?」
「いいえ、全然」
私は、大学や専門学校に行くつもりはなかった。
成績は悪く、どのみち大していいところに行ける気はしない。
つまり、進学する意味を感じていない。
『彼』にさえも反対されていたが、そこは譲れない。
そもそも私は、学校というものが大嫌いなのだからどうしようもない。
「つまり、このまま働くつもりだと?」
「はい」
卒業後は、Vtuberとして働くつもりであった。
チャンネル登録者数が増えて、既に採算がとれるところまで来ている。
ただし、現時点ではまだカツカツだ。
他の使用人がともかくとして、氷室さんたちの人件費まで考えるとギリギリになってしまう。
というか、食費や生活費などを勘定に入れていない。
サポート三人を養える体制にするためには、どうすればいいのだろうか。
現状趣味ゆえに実家がサポートしているが、このままではだめだ。
そもそも長期的に活動してもらうなら、給金を上げたりしなくてはならない。
趣味の範囲でならうまく回っているが、仕事として考えるならまるで回っていないのだ。
では、一体どうすればいいのか。
その出口は、意外なところからもたらされた。
「文乃、一つ仕事をお願いしたいんだがいいかな?」
「はい?」
驚きのあまり、私はぽとりとフォークを落としてしまった。
一瞬、もう家業を継ぐつもりはない、と言いかけてそうではないことに気付く。
仕事ということは、いわゆる案件配信のことだろう。
Vtuber永眠しろに対して、企業が仕事をあっせんする。
「最近、子会社の一つが、どうやら配信者やVtuberに商品の宣伝をしてもらおうということになっているらしくてな。お前さえよければ、どうだ」
「宣伝する商品が、どういうものかわからないと回答できませんよ」
なぜ、私はこんな言い方をしているのだろうと思った。
いや、今はそれについて考えている必要はない。
「商品は、飴だな。実食して、その様子を配信してもらうことで宣伝するというものだ」
「飴、ですか」
飴、キャンディ、宣伝。
具体的なことを訊いた瞬間、私の頭は高速で動き始めた。
まず私の、永眠しろの長所を生かすならASMR配信をしないという選択肢はない。
咀嚼ASMRなら、飴とのシナジーもある。
実写カメラを展開して、飴を映し出す。
そして、飴を食べる音をASMRで流せばいい。
気づけば、完全に案件配信をする前提でプランを組んでいた。
それが、どういうわけか私には受け入れがたかった。
「少し、考えさせてください」
「ああ、そうしてもらって構わない」
父は、朗らかな笑みを浮かべたままうなずいていた。
私は、どうしようかなと思っていた。
案件配信。
案件を受けられるようになれば、むしろ今抱えている問題がすべて解決する。
案件は、広告収入やスーパーチャット以上に安定した利益を得られる。
そうすれば、実家の援助抜きにメイド三人を雇えるし、機材などもまかなえるようになるかもしれない。
ただ、ためらってしまう理由もあった。
実家にさらにサポートを受けることの申し訳なさ。
何よりも、父親に対してどう向き合っていけばいいのかまるで分からないことが、私を悩ませていた。
『彼』ならば、正しい答えを出せるのだろうか。
◇
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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