第51話『恐怖心』

「お嬢様、掃除、終わりました」

「ありがとう、氷室さん。あとは、外で待機しておいてください」

「承知しました」



 文乃さんの声によって、氷室さんたち三人が部屋の外に出ていった。

 メイド三人がアパートの一室で掃除をしているという光景は滅多に観られない光景があった。

 



 きれいさっぱり、余計なものが片づけられた部屋。

 汚部屋を作り出した成瀬さんはもちろん、文乃さんも当然掃除なんてできない。

 そして、文字通り手も足も出ない私は論外。

 なので、リムジンに一緒に乗り込んだメイド三人によって、清掃が行われた。

 三人とも、流石メイドさんというべきか。

 わずか一時間足らずで、彼女たちはゴミの山に作られた部屋を完璧に片づけていた。

 


 ちなみに、今日来ているのは私と文乃さんに加え、メイド三人と運転手である内海さんだ。

 彼はもうずっと一時間車内で待機してもらっている。

 カラオケの時同様、文乃さんに何かがあればすぐにでも飛び込んでくるはずだ。



 この一時間、成瀬さんはずっと無言だった。

 私達を迎え入れてさらに、メイドさんたちが入ってきたときに驚いていたけど逆に言えばそれだけ。

 私と文乃さんを、ゲーミングチェアに座らせてからは、ずっと無言で床の上に座り込んでいる。

 文乃さんも、話しかけることはせずにずっと私を抱えたまま黙っている。

 まあ、文乃さんの場合はメイドさんたちが出ていくまで待っていたというのもあるんだけど



「掃除、ありがとう」

「いえ、別に。お話しするためには、場づくりが重要ですから」



 成瀬さんの口から最初に出たのは、部屋を片付けてくれたことに対する礼である。

 私は嗅覚がないのではっきりとはわからないのだが、たぶん文乃さんの反応からして相当臭うのだろう。

 さっきまでハンカチを鼻と口にあててたし。

 まあ一人暮らしならそんなものかもしれない。

 ちなみに私は汚くなかったよ。

 なにせ、家による時間も短かったし、何よりものがほとんどなかったからね。  



『成瀬さん、過去に何があったのか話せる範囲で話していただけませんか?貴方の口から』

「先、輩」



 私は、今日ここに来た理由の一つを訪ねた。

 今日ここに来た理由は三つ。

 過去に何があったのか知ること。

 現在の、二人の関係性を修復すること。

 そして、未来の問題を解決するための方法を模索すること。



「最初は、大学生のころ……」



 すうっ、と息を大きく吸い込んでから成瀬さんは語り始めた。

 大学生の時、親にマルチ商法に巻き込まれたこと。

 でも、結局売ってはいないこと。

 けれど、それが原因で周りに縁を切られてしまったこと。



「それって、成瀬さんは悪くないんじゃないんですか?」

「悪いとか悪くないとか関係ないよ。もう、世論は完全に私が悪ということで固まっている。どうやってもそれは覆せないんだよ、経験則だけどね」

「そんなこと」

「いいんだよ、ごめんね。しろちゃんを巻き込んじゃって」




 成瀬さんは、自嘲気味な笑みを顔に貼り付けていた。

 彼女の心の中には、一つの諦観があるのだろう。

 かつて、ブラック企業にいた私と似た種類のものだ。

 どうせ変わらない。変えられない。

 彼女が、謝罪会見などを行わなかったのもそれが理由だ。

 以前マルチ商法についての誤解を解けなかった。

 誰もが、彼女から離れていった。

 だから今回もそうなるはずだと、



「私からも、訊いていいですか?」

「何?しろちゃん」



 それまでほとんど口を開いていなかった文乃さんが質問をした。



「『彼』のこと、どう思っているんですか?」

「『は?』」



 成瀬さんも、私も何も言えなかった。



「恩人って言ってましたね。以前、一緒に泊まった時に」

「言ったよ」



 確かに、私は一応面倒を見ていた。

 ただまあ、恩人というのは大げさな気がする。

 あと、今の状況とは何の関係もないと思う。

 むしろ、炎上をどうやって収束させるべきかを話し合う場だと思っているのだが。

 もしこれでこじれたら、文乃さんと成瀬さんの関係を修復できなくなる。

 


「でも、それだけじゃないでしょう?」

「それは」

「何を思っているのか、知りたいんです。


 

 確かに、私も隠し事をしているのかなとは勘で察していた。 

 そして今、私の勘は答えにたどり着く。

 彼女の隠していることとは、私に起因していると。

 



「嫌い」


 

 それは、ずっしりとした重々しい声。



「アンタのことが嫌いだった!ずっとずっと、私の方を見て、何かを見透かしてくるようなアンタが嫌いだった!」



 泣き叫ぶような、喚き散らすような。

 感情のありありと乗った声を吐き出す。



私の前からいなくなる・・・・・・・・・・アンタなんか……嫌いだ!」

『…………』

「成瀬さん」

「消えていく、両親も、友達も、先輩も、ファンも……。どれだけ頑張っても、取り戻そうと頑張っても、全部全部零れ落ちていく」



 ようやく、成瀬さんのことが理解できた。

 彼女の本音を聞くことができた。

 私だけではなく、人とのつながりが断ち切れてしまうことが、彼女は怖いんだ。

 怖くて、立ち向かう気力すら残っていないんだ。

 恐怖心こそが、彼女の人格を構成する核なのだ。

 



「だから、嫌なんだ」



 その言葉が、本心だった。



 顔を伏せている成瀬さんの表情は見えない。

 けれど、ぼたぼたと、涙の雫が彼女の瞳から零れ落ちる音は聞こえた。



 やっと気づいた。

 あの日、私がしろさんに誕生日を祝ってもらった時に。

 金髪の女性が、成瀬さんがいたことには気づいていた。

 けれど、あの時私は遠くから見ていたから気づいていなかった。

 今、初めて分かった。

 あの時もきっと彼女は、泣いていたのだ。



「悲しかったんですね、成瀬さんは」




 私は、わかっていなかった。

 事故で死んで、全てが終わったと思っていた。

 賠償金は早音家が立て替えてくれたし、会社にはいかなくていいし、父にはもう怯えなくていい。

 何もかもリセットして、新たな人生をやり直せると。



 けれど、そうではないのだ。

 Vtuberがどこまでいっても、「中の人」というリアルの側面からは逃れられないように。

 きっと、この私もあの私・・・と地続きで、切り離せるようなものではない。

 そもそも、それはこの私の仕組みが体現している。

 私は、生前に関わった人としか会話できないのだから。

 


 私が死んだからと言って、生前にやってきたことは変わらない。

 私が積み上げてきた数少ない人間関係は終わっていない。

 私の死で、傷ついた人の心の傷は、きっと癒えていない。




 じゃあ、何をすればいいのか。

 私が、私としてすべきことは何なのか。

 私に出来ることは何だ。

 そんなの、たった一つに決まっている。



『成瀬さん、まだ間に合います』



 言葉を、かけることだ。


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