第12話『シチュエーションに対応したロールプレイ』
「うーん」
『どうかされましたか?』
「いや、結構マシュマロがたまってるなあって思ってさ。色々リクエストが多くてさ」
永眠しろさんが設置しているマシュマロには、様々な匿名のコメントが投げ込まれている。
暴言やセクハラの類はSNS管理担当である氷室さんがこっそり処理してくれているようだが、逆にそれ以外はすべて文乃さんの希望通り彼女が受け取っている。
単純に、配信の感想や好意を伝えるものが一番多いが、その次に多いのがリクエストだ。
特に、ASMR配信についての企画案が多い。
文乃さんにとっても、こういうリクエストはありがたい。
先日の散髪ASMRのように、彼女も私も全く知らなかったASMR企画を試すことができるようになる。
『確か、以前貰ったリクエストの中には両手指かきなんてものもあったようなきがしますね』
「そういうのもあるねえ」
マシュマロは、私にも共有されているので、どんなリクエストかは当然私も知っている。
「耳かきASMRオンリーやってみたいね?」
『いいですね』
そうして、耳かきのみのASMR配信が決定した。
まあ、これについてはまだやっていなかったことが不思議なレベルである。
「うーん」
『何か悩んでいるんですか?』
せっかく企画が決まったというのに、まだ何か悩んでいることがあるというのだろうか。
あるいは、このASMRについて何かしら悩んでいるのだろうか。
「いや、声ありと声なしどっちがいいのかなって」
そういえば、声なしでASMRやって欲しいというリクエストもあったな。
『とりあえず声ありにして置いたらどうです?それで、次やることがあったら、声なしにするとか。どっちもやるっていう前提にしたほうがしろさんのスタイルには合ってるかなとは思うんですけど』
しろさんのASMRのスタイルは、広く、より多くの人にがモットーだ。
一人でも多くの人を癒したいと考えているから、様々な
だから、それどころかより一層マイナーな箏ASMRや、金属音ASMRのようなことだってやる。
因みに、箏動画はもうすでに四本くらい出ている。
曲の数だけバリエーションを出せるから、ネタ切れになることはないだろう。
箏を持っている人なんて限られるし、演奏できる人もほとんどいないからある意味彼女固有の武器なんだよね。
多くの視聴者に知ってもらい、視聴者がおのおのの意志で自分の好きなものを聞いて癒されてくれればいいと考えている。
広告をつけていない以上、収益にはならないが、再生数が彼女にとっては一番重要であると言えるかもしれない。
「そうだよね、よし、それでいってみようか」
その後、しろさんとは色々と話し合った。
耳かき用の道具であったりだとか、スケジュールだとか色々だ。
『他に、何かやりたいことってありますか?』
「色々あるよ?認知シャッフル睡眠法とか、オノマトペとか」
『オノマトペ、は結構やってませんか?』
オノマトペ、とはペタペタ、すりすり、などの擬態語である。
ちょくちょくASMR配信でも使っているはずだが、オノマトペのみの配信をやりたいということだろうか。
「そうだね、オノマトペだけの配信とかやってみたい。実際、配信では間が持たないかなと思ってるんだけど、動画とかならいけるかなと思ってるんだよね」
『なるほど。あえて動画を出すのもいいですよね』
「動画だと、シチュエーションボイス系とかやってみたいなあ」
『ああー。同棲している彼女が、とかいう奴ですよね』
シチュエーションボイスとは、特定の状況を設定して聞いている人に向かい主人公が話すセリフを録音したものである。
聞いている人が当事者になれるよう対話をしており、相手の声を含まないストーリー展開となっていること、そして視聴者とのやり取りを想定して独特の間を取ることなどが特徴である。
CD、データ販売、動画としての投稿などが主となっている
そのため視聴者は「自分に、配信者が話しかけてくれてる」という気分になれて、臨場感や高揚感が味わえるところが大きな魅力である。
通常のASMR配信以上に、距離感が近く、一対一を意識したコンテンツとなっている。
ある意味、先日やったロールプレイに近いともいえる。
ふと、彼女はニヤニヤしながら私の方を見てくる。
いわゆる、腹立つ顔というやつだ。
まあ、かわいいからいいんだけどね。
「もしかして、君はそういうシチュエーションが好きなのかな?同棲のシチュエーションとか、添い寝みたいなやつ?」
『ああ、まあ、好きですね』
ちょっと自分の性癖を知られたみたいで恥ずかしいんだけど。
割と、昔は「シチュエーションASMR」とかを聞きながら作業してましたよ。
早く寝たいなあ、と思いながらやっていたのは悪しき思い出である。
「具体的にはどういうのが好きなの?耳かき、ヤンデレ、それとも添い寝とか?」
『ああまあ、ヤンデレ、添い寝が好きですねえ』
ふむふむ、と文乃さんは何かを納得したようにうなずいている。
かわいい。
「せっかくだから、リハーサルをしてみてもいい?」
『シチュエーションボイスの、ですか?』
「うん」
『それは、なぜでしょうか?』
「君が、好きなものをやってみたいんだよね」
『そうですか……』
なんだか、照れるなあ。
◇
「いやー、終わった終わった。ごめんね、待たせちゃって」
少し、彼女の声はいつもより高い気がする。
まあ、「彼女」というシチュエーションならそうなるのだろうか。
こんなに可愛くて、優しい人が彼女ならきっと幸せなんだろうなと思う。
この肉体でそんなことが、実現するはずもないが。
「配信が楽しくてね、ついつい遅くまでやっちゃったよ」
しろさんの声は、いつもより低く、心なしかかすれている。
少なくとも、普段配信で聞いている声よりは。
むしろ、配信外の文乃さんの声に近いかもしれない。
電話で声が高くなるように、しろさんと文乃さんでは声色が若干違う。
文乃さんの方が、やや自然体で、気が抜けている。
今日は、そちらの方に近い。
「ごめんって。もう、本当にごめん」
後ろから、ぎゅっと腕を首に回してきた。
それを、音だけで、空気の揺れだけで知覚できる。
本当に、彼女と同棲しているような距離間でぴったりと密着している。
「配信と、君どっちが大事ってそれはまあ、ベクトルが違うからはっきりとしたことは言えないというか……」
少し、甘えるような声を出す。
「いやでも、君が配信に劣っているということは絶対にないよ?」
「せっかくだから、今日は一緒に寝ようよ。甘えたいしさ」
そういって、ごそごそと布団に入り込む音が聞こえる。
よりぴったりと、密着してきた。
吐息がかかる、心臓の鼓動がとくとくと伝わる距離まで密着して。
色々なことを話しながら、眠そうな声で、最後に一言。
「お休み」
『…………』
可愛すぎて、悶絶してしまった。
◇
『…………』
「お休み」と言ってから、数十分後。
文乃さんはすうすうと、寝息を立て始めたいた。
演技、ではないね。
多分、本当に寝ている。
まあ、普段の配信に加えて、とある企画の準備とか色々やることが多かったみたいだから仕方がないかもしれない。
リハーサルだし、今は起こす必要もないだろう。
けれど、一言だけ言わせてほしい。
最高の、文句のないリハーサルだと思えたから。
『お休みなさい、文乃さん』
本当の彼女に対して言うように、優しく、穏やかに、愛おしさをこめて。
私は、言葉をかけてから、朝まで待った。
可愛らしい文乃さんの寝顔を見ながら。
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