第11話『散髪ASMR』

 金野ナルキさんや、がるる・るる先生とのコラボ配信以外にも、しろさんはコラボ配信をするようになっていた。

 そんな彼女ではあったが、ソロ配信をおろそかにしているわけではない。

 頻度こそ、以前より落ちたがそれでもソロ配信はコラボ配信とは別で毎日行っていた。

 一日二回の配信のうち、どちらかがコラボ配信になるだけである。

 コラボばかりしていると、視聴者に向き合うソロ配信の時間が取れなくなる。

 それは、しろさんの望むところではなかった。



「というわけで、今日は散髪ASMRやっていきますね」



【きちゃ!】

【久しぶりの企画系ASMR、俺じゃなきゃ見逃しちゃうね】

【リクエストした甲斐があった……】

【今日、もしかして敬語回かな?】



 この散髪ASMRというのは、以前にマシュマロで視聴者から来ていたリクエストの一つでもある。

 系統としては、一種のロールプレイに近い。

 しろさんが美容師になりきって、視聴者は客として散髪してもらうというシチュエーションとなっている。



「じゃあまずは、刈布をかぶせていきますね」



 刈布というのは、美容院などで首から下を覆うテルテル坊主のような布のことだ。

 服や靴、体に髪の毛が付着するのを防いでくれる。

 今回のために、わざわざ購入したらしい。

 そこまで高価なものではないみたいだけどね。

 ごそごそ、という音がして刈布が頭を通過して、首から下をすっぽりと覆う。

 まあ、私は首から下とかは特に存在しないんだけどね。

 高さを調節するための棒があるくらいかな。

 三脚みたいなやつ。

 


 刈布をつけ終わると、ついで、しろさんは霧吹きを取り出した。

 これは、取り寄せたものではなくて庭を管理するためのものを借りてきたそうだ。

 ……そこまで値が張るものでもないはずだが。

 しろさんは、根が貧乏性なのかもしれない。



「次に、霧吹きをしていきますね。これは、癖直しと言って髪についた癖を直すことに加え、水分を含ませて髪を切りやすくする意味合いもあります」



 ふむ、散髪の霧吹きにまさかそんな意味があろうとは知らなかった。

 そもそも、散髪の工程なんて深く考えないからね。

 店員が話しかけてきたりして、気が付いたら終わっているということもあるくらいだし。

 因みに、私としろさんはあまり話しかけて欲しくないタイプだ。

 まあ、私達を知るものであれば、納得してもらえるとは思うが。



「結構、ボリュームがある感じだからさっぱりした感じにしちゃいましょうねー」



 余談だが、今日の私の頭にはウィッグが取り付けられている。

 それも、しろさんが言った通りかなりボリュームがある。

 おまけに結構長い。

 女性用のウィッグらしく、肩ぐらいまで髪が伸びている。

 ビジュアル系のバンドメンバーでもないと、男性でここまで伸ばさないのではないだろうか。

 まあ、私はあんまりバンドに詳しくはないんだけど。

 伸ばしてる人はそこそこいる気がする。

 髪が長い方が、髪型で個性を出しやすいからね。

 私は前世では髪をギリギリまで短くするタイプだったし、今に至ってはモアイ像である。

 なので、あんまり個性は出せなかったかな。

ファッションに興味がなかったから、出すつもりもなかったけど。

 そんなわけで、私にとって今日ははじめて髪を長く伸ばした日といっても過言ではなかったわけだが。



 ◇



「ぶふっ。いや、あの、これはふふっ。だめだこれアハハハハハハハハハ!」

『……そんなに面白いですか?』

「い、いや待って今話しかけられたらアハハハハハハ!」

『…………』



 ◇



 ダミーヘッドマイクが――モアイがウィッグを被っている、という絵面が相当に面白かったらしく、文乃さんは日中はずっと笑っていた。

 まあ、私は直接見ていないからわからないけど、確かにシュールな絵面ではあると思う。

 結局、私に長髪は似合わないということなのかもしれない。

 リハーサルも、いつもの倍以上時間かかってたからね。

 まあ、昼間に散々笑われたかいあって、今はしろさんも笑わずに配信とロールプレイに没頭できている。

 そう考えれば、悪くないかもしれない。

 そもそも、文乃さんがそこまで笑うこと自体少ないからね。

 いいものが見れたので、私も文句はない。

 


 そんなことを考えているあいだに、しろさんの配信は次の工程に進もうとしていた。



「みなさんが普段どのような感じで散髪しているのかはわからないんですけれど、今日の散髪はバリカンとかは使わずに散髪用の鋏だけで散髪していきます。これは、冥界のローカルルールですので」



【なるほどね】

【冥界にはバリカンないのかな】

【坊主にしたいとき、剃刀を使うしかないってってことか。たまげたなあ】

【ローカルルールって、大富豪とか麻雀の説明じゃん】



 しろさんは、改めて散髪用の鋏を手に取った。

 ちなみにだが、こちらも刈布同様しろさんが通信販売で購入したものである。

 散髪用の鋏は、髪をすくために、櫛のような形になっている。

 正確には、すきばさみというらしい。

 もっさりした感じを出さないために、スッキリさせるために、ボリュームの多い髪を間引く役割がある。



「じゃあ、散髪を始めていきますね」



 しょき、しょき、しょき、と繊維を刃が断ち切る音が、マイクをとおして視聴者の耳まで届く。

 髪は、同じ太さの鉄より丈夫だと聞いたことがある。

 模造品に過ぎないウィッグがそこまでの強度を有しているわけではないだろうが、音自体は普段の散髪の音と大差ない。

 金属とそれに近い強度のものがぶつかり合って生まれるのは、しょきしょきという綺麗な音だ。

 鋭くて、それでいて決してうるさくはない涼し気でさわやかな音が響く。



「髪が、毛根が引かれる感覚に意識を向けてみてくださいね?」



 触覚などないはずなのに、音に想像力が刺激されるのか、記憶が呼び起こされているのか、髪が引っ張られる感覚がある。



「おかゆいところはございませんか―?くすぐったくないですか?」



【癒される】

【気持ちいい】

【ZZZ】

【なんだかとっても眠いんだ……】

【今日はロールプレイだからか、完全に敬語なのもまたいい……】



 視聴者さんも、コメントを見る限りは心地よい音だと感じているらしい。



「さて、おおむね切れたところで、今度は別の鋏を使っていきます」



 今度の髪切りばさみは、刃の部分は普通だった。



「さっきの鋏も、今手に持っている鋏も、ステンレス製なんだよね。理由は、散髪するときはどうしたって水に触れることがあるので、さびにくいステンレスの鋏を使うんだって」



 VtuberのASMR配信は、実際に何が行われているのか視聴者にはわからないので、想像するしかできない部分もある。

 そしてしろさんの説明は、想像を助けている。

 金属でできた鋏が、強靭な髪を断つ音は、とてもさわやかで。

 聞く人を、それこそ夢の世界にいざなってくれるような、安心できる音だ。

 音を聞いているだけで、画面を観ているだけで、ぼんやりと実際に自分が散髪してもらっているイメージが形成されている。

 ……なんだか懐かしいな。

 散髪なんてもうずいぶん行っていないからね。



「私は、女子高生ですからね。散髪をするのは初めてだけど楽しいですし、みんなが喜んでくれるのは嬉しいですね」



【幸せ】

【ありがとう】

【良く眠れそう】



「最後に、ドライヤーをかけていこうと思います」



 普段、彼女が使っているらしいドライヤーにかちりとスイッチを入れると、暖かい風がぶおーんという音を立てて吹き出してきた。

 ドライヤーの熱は、聴覚しかない私には伝わらない。

 だが、出力を加減しているだけあって、五月蠅くはない。

 むしろ、穏やかで心地良い音が髪と頭皮をなでる。

 誰かに髪を乾かしてもらうのって、こんなに気持ちいいのか。



「では、今日はお疲れさまでした」



【おつねむ―】

【お休みなさい】

【またこういうのやって欲しいな】



 初めての、散髪ASMRは、好評に終わった。

 同時に、永眠しろさんのロールプレイには需要があるということが、明らかとなったのであった。

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