第43話『そして、現実に戻る』

『…………』



 文乃さんが、私の正体に気付いてから早くも二時間が経過していた。




 部屋の中には、誰もいない。

私と、家具や機材だけが残っている。彼女はここにはいない。

 真っ青な顔で、部屋を飛び出してどこかに行ってしまった。

 私にできたのは、声の限りに叫んで呼び止めることぐらいだが、もうそれもやっていない。

 別に叫ぶことによる肉体的疲労は特にないが、もう時間を考えると無駄ではないかと判断したから。

 以前試したのだが、私の声ってある程度距離が離れると届かないんだよね。

 文乃さんがこの部屋の外に出ると、ほとんど聞こえなくなる。

 まあ、声とは違うとはいえ何かを文乃さんの脳に送り込んでいる以上、射程に限界があるのは当然と言えるだろう。

 閑話休題。

文字通りも手も足も出ない、声も届かないので祈ることしかできない。



 だから、私がすべきはしろさんの身を案じることではない。

 彼女が戻ってきた場合どうするか、を考えるべきだ。

 何を語るべきなのだろうか。

 私が、一年前にあった「彼」であるということはもうバレている。

 これをごまかすのは無理だと思われる。

 彼女の中で、疑問は既に確信に変わっている。

 それを崩すのは、不可能に近い。

 まして、それが勘違いではなくてれっきとした事実であればなおのこと。

 事実であることを肯定して、どうするか。

 何を言えばいいのか、あるいは何も言うべきではないのか。

 そんなことを考えていると。

 




 がちゃり、と大きな扉が開いた。

 そこから、文乃さんが入ってくる。

 まるで、この部屋で初めて文乃さんにあった時と同じ状況。

 ただし、彼女の様子は、以前とは異なる。

 部屋を飛び出していった寝間着のまま。

 そとに出ていたらしく、服や髪が汚れている。

 何なら、木の枝まで引っ付いている。

 そして、もう一つ。

 内海さん、だったか、運転手の老人に抱えられていた。

 以前見た時と違い、彼の服装も髪も乱れているが、それを笑うものはいない。

 彼が必死になって、文乃さんを探したことを示しているから。

 パニック状態の彼女を、ここまで強引に運んできたことを表わしているから。

 


「お嬢様、すぐに氷室達が来ますので」

「うん。ごめんね」

「いえ、仕事ですから」



 そんなやり取りをして、内海さんはでていった。

 後には、私と彼女だけが残された。



『どうやって、文乃さんを捕捉したんでしょう?』



 いきなり、早朝に出ていった文乃さんを見つけるなど普通に考えれば不可能だ。

 屋敷の外に出る前なら何とかなっただろうが、屋敷の外まで出てしまうともう追跡するのは難しい。

 それこそ、彼女は以前に山のふもとの駅まで到達している。



「……ああ、これだね」



 そういって、文乃さんはポケットの中から、スマートフォンを取り出す。

 パジャマの胸ポケットの中に入っていたそれは、いつも彼女が肌身離さず持ち歩いているものである。

 それを見て、私も気づいた。



『GPS、ですか』

「うん、半年前からなんだよ。何かあっても、すぐに捕捉できるようにってね」



 ……彼女が自殺未遂をした日から、ということだろう。

 まあ、両親としては当然のごとく心配するだろうしね。

 脱走を許しているあたり、警備が万全ではないともいえるけどね。

 まあ、そういうの専門じゃないんだろうね。

 運転手と、配信のサポート担当のメイド、あとは厨房を担当するコックさんとかだからね屋敷にいるの。

 まあでも、内海さんは何かしらやってそうだけどね。

 女の子とはいえ、パニック状態になった人ひとり抱えてここまで来るのだ。

 余程鍛えているのだろう。

 まあ、それは今気にすることじゃないか。

 今考えるべきは、目の前の彼女のことだ。



『文乃さん。どうして、逃げだしたのか話していただけませんか?』



 私は、私が彼女に正体を知られた時に確実に文乃さんに精神的苦痛を負わせることになるだろうとは思っていた。

 ゆえに、あえて正体を明かさなかったが、逃げだすとは思っていなかった。

 そこまで、私の存在がトラウマになっているとは思っていなかったのだ。



「踏みにじる側の人間であれ」

『……はい?』



 唐突に、しろさんがぼそりと呟いた。

 重々しい口調で語られるそれは、彼女の言葉ではないかのようだった。

 いや、あくまでただの勘だが、本当に彼女の言葉ではないのだろう。



「父に、幼いころに言われたんだ。早音家の人間は、そうあるべきだって。それしか道がないんだって」

『……まあ資産家の家系ならそうなるでしょうね』


 

 「労働者より、雇う側の方が儲かる。どれだけ労働者が頑張っても関係ない」というあまりにも無慈悲な研究結果を発表したのは誰だったか。

 けれど、そんなことはあるいは発表する前からわかり切っていたことだ。

 労働者は働いている時間しか給料を稼げないが、雇用主は自分が休んでいるあいだも労働者が働くので金銭が入ってくる。

 何かをしなくては生活できない持たざるものと、何もせずともらくな生活ができる持つもの。

 そこに格差があるのは当然と言える。

 その格差は彼らにとって特になる以上、そういった言葉が受け継がれるのは当然だった。



「でも私は、そんな風になりたくなかった。あんな風に、なりたくなかった」

 文乃さんが、何を言いたいかは理解できた。

 彼女を追い詰めてきた者たちのようになりたくないということだろう。

 具体的なことは、わからないけど。



 それから、文乃さんはぽつりぽつりと彼女の過去を語り始めた。

 小学校から、高校に至るまでずっといじめられ続けてきたこと。

 その背景には、早音家の評判がよくなかったことと、家族に厳しい教育を受けており誰にもいじめられていることを打ち明けられなかったこと。

 攻撃されていることと、味方がどこにもいないことを苦にして、自殺を図ったこと。

 そして、私を巻き込んでしまったということ。

 その後、私について調べるうえで、Vtuberの配信やASMRについて知り、それがきっかけでVtuberになろうと思ったこと。

 そして、駅で遭遇した私であると気づかないままダミーヘッドマイクになった私と出会い、今日まで相棒として活動してきたこと。

 おそらくは、彼女の人生のほぼすべてを、文乃さんは私に教えてくれた。



「私は、なりたいと思ったんだ。人を踏みにじり、傷つける存在ではなくて、人に踏みにじられる存在でもなくて」



 私は、気づいていなかった。

 そして、今気づいた。

 文乃さんと、私。

 境遇も、年齢も、性別も違うはずなのに。

 根底にあるものが、考え方がよく似ていたのだ。



 弱肉強食。

 私はそれを仕方がないことだと割り切り、文乃さんはそれは嫌だと拒絶した。

 


「弱っている誰かに対して、手を差し伸べる。そんな人が一人いるだけで、救われる人もいるはずだって」

『合ってるじゃないですか』

「合ってる?」



 彼女は、正しい。

 彼女の配信でどれだけ多くの人が癒され、救われたことか。

 私だって、その中の一人だ。

 それを何度も、何度も心からの言葉で伝えてきたはずだ。




「君が、それを言うの?君が?私が正しいって、そういうの?」

『そうですよ』

「違う、違うだろう、そうじゃないだろう、どうして本当のことを言ってくれないの・・・・・・・・・・・・・・?」

『……?』


 

 私には、彼女の言っている意味がわからない。

 頼みの綱である勘も、大雑把な感情がわかるだけで、複雑な思考までは読み取れない。

 だから、わからない。

 彼女の心情も、私が何をすべきかも。

 事ここに至って、私はまだ迷っている。

 大人であるはずなのに、彼女の仲間であるはずなのに。

 ショックを受けている文乃さんに対して、何を言えばいいのかがわからずにいる。



『……とりあえず、今日はゆっくり休みましょう。今日は夜から配信だから、まだ時間があります』



 私が下した判断は、保留だった。

 彼女が何を思っているのか、正確なところはわからない。

 だが、精神的に不安定になっていることまではわかる。

 だから、一度落ち着く時間をとるべきだと。



「今日の配信は、するつもりはない」

『……そうですか。まあ、休養したほうがいいかもしれません』

「そうじゃない。そういうことじゃあ、ないんだ」

『え?』


 


 少女は、様々な感情が混ざった瞳で、淡々と言葉を紡ぐ。



「もう、いい」

『……はい?』



 何を言っているのか、私にはわからなかった。

 だが。



「もう、Vtuberは引退するよ・・・・・。永眠しろとしての活動はできない。意味がない」

『…………っ!』



 その言葉に、理解させられた。

 彼女の夢も、それに付随する私と彼女の関係性も。

 それらはもう、破綻しているのだと。

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