第42話「彼女の現在、あるいは原罪」

 「彼」が死んだとき、彼女は茫然としていた。

 目の前で、スーツを着た男が突如肉と血になったのだ。

 無理もない話ではある。

 実際、人身事故に巻き込まれた駅員や運転手がトラウマになり退職するのはよくあることらしい。

 血と肉片が汚い花火のように飛び散るさまは、確かにショッキングではある。

 しかし、彼女の脳内にあったのは、眼前の光景への嫌悪などではなかった。

 むしろ。



「……どうして?」



 心の底からの疑問だった。

 その疑問は、様々なことに向けられる。

 どうして、彼女が死のうとしていることに気付いたのか。

 どうして、彼女が死のうとするのを止めようとしたのか。

 どうして、彼が死ななくてはならないのか。

 


 彼女なら、文乃自身ならばいい。

 はっきりいえば自殺を選んでいる以上、自分が死ぬことは仕方がないことだ。当然だ。

 例えば、自分をいじめてきた同級生やそれを黙認してきた教師でもよい。

 人を傷つけ、苦しめ、踏みにじり、それでいて何とも思っていないクズ共。

 生きている価値があるとは到底思えなかった。

 彼らなら、文乃の代わりに死んだとしても問題はない。



 だが、「彼」は違う。

 何の罪も犯していない善良な人間だった。

 少なくとも、自殺しようとしている人間を全力で止めようとするくらいには。

 結果としては彼の行動は成功だったかもしれない。

 自分のせいで死んでしまった、自殺としようとしたばかりに巻き込んでしまった結果を目の当たりにした文乃にはもう自殺しようとする気力すら残っていなかった。

 事態を把握した駅員や、状況の収拾に向かった警察、そして行方不明となった文乃を探し回っていた両親と使用人。

 そういう大人たちが来るまで、彼女は茫然としたまま動けなかった。

 彼が、死の直前まで身に着けていたもの。

 イヤホンと、スマートフォンだった。

 足を滑らせた時、体から外れたのだろうと推測できる。

 とはいえ、その時は特に何も思わなかった。



 父と母に、文乃はすべてを打ち明けた。

 いじめられていること。

 自殺しようとしたこと。

 そして、「彼」に自殺を阻まれたが、「彼」がバランスを崩してそのまま死んでしまったこと。

 父も母も、随分と加害者たちに怒っていたが文乃にとってはあまり興味のないことだった。




 気づいてやれなくて済まなかったと謝る両親に、彼女は、一つお願いをした。

 これさえ聞いてくれれば何でも言うことを聞くと、あらゆることに対して従うと。

 



 それは、転校だとか、Vtuberデビューではない。

 彼女が真っ先に願ったのは、賠償金の肩代わり・・・・・・・である。

 「彼」は彼女を助けたのは事実だ。

 が、その事実があったとしても同時に電車を止めてしまったことに変わりはない。

 なので、遺族に請求されるであろう賠償金を文乃の父がすべて肩代わりすることになった。

 数千万という、常人なら発狂してしまうほどの額でも、早音家当主にとってはワンコインでの買い物に等しい。

 とはいえ、両親は彼女の願いを聞き入れたものの、条件を出した。

 彼女を守るための、約束を提案したのだ。



 そして、父から出た条件は三つ。

 一つ、今後一切単独での外出を認めないこと。また、はぐれても・・・・・いいようにGPS機能のついた端末を携帯すること。

 つまり、いつでもどこにいるかを把握できる状態にしておくということ。

 二つ、今いる高校から静養のために通信制の高校に転校すること。

 これは、一つ目の条件を守るためでもある。

 彼女を家から出したくない、というのが偽らざる父の本心だったのだ。

 彼にしてみれば、今度こそ自殺が成功してしまったらと思うと不安だったのだろう。

 仕事にかまけてさほど娘に関わってこなかったが、心配なことには変わりないのだろう。

 三つ、心身療養のために趣味を持つこと。

 学校にも実質的に行かなくなり、精神的に支柱がなくなることを懸念したようだった。

 父は、文乃の自殺未遂の理由をいじめだけではなく、早音家の教育方針が厳しすぎたことでもあると解釈しているようで、ある程度甘やかすことが肝要と考えていた。

 まあ、間違いとまでは言えないが。


 

 しかし、彼女にはこれと言って趣味と言えるものはない。

 学校生活は文字通り灰色であり、今まで両親から望まれた存在となるために勉学と習い事に励んできた彼女には趣味と言えるものができるはずもなかった。


 彼女には、何も思いつかなかった。

 しかし父との約束である以上、彼女は何としてでも何か趣味を見つけなくてはならない。

 ふと、思い出したことがあった。

 それは、「彼」が死んだときのこと。

 彼の体から、スマートフォンが離れて落ちた時。

 画面で、彼は何かの動画を見ていなかったか。

 それを知りたいと思った。

 「彼」のことを知りたいと。

 そして、彼女は記憶を頼りに検索を開始して、とある動画にたどり着いた。

 それは、彼女にとってVtuberとの、なおかつASMRとの出会いだった。



 ◇



 ほどなくして、彼女はASMRやVtuberにはまっていた。

 それだけではなく、アニメや漫画といったいわゆるサブカルチャーにもはまっていた。

 朝起きてアニメやVtuberの動画を観て、夜はASMR配信を聞きながら眠る。

 そんな生活をしばらく続けて、彼女はずいぶんと安定した。

 少なくとも、いじめを受けていたころよりはずっと。

 「彼」の生活を支えていたものに、彼女もまた救われたのだ。

 そして、彼女は思った。



 ーー自分も、Vtuberになりたい。

 ーー声で、音で、誰かを幸せにできる仕事に就きたい。

 


 それは、自分の存在を騒音呼ばわりされたからか。

 あるいは、「彼」の心を癒していたVtuberになることで少しでも罪滅ぼしをしたかったのか。

 とにもかくにも、彼女にはVtuberに、ASMR配信者になるという意思があり。

 早音家の総資産は、彼女がVtuberになることを可能にした。

 父親としても、趣味によって彼女の精神が安定するならばそれに越したことはないと考え、リスクが高い配信者を始めるという決断にも反対はしなかった。

 Vtuberとしての活動のサポートを専門とする使用人を雇い、大金を積んで、機材やLive2Dなどの必要なものはすべてそろえた。

 そうして、彼女はVtuberになり。



 ◇



 配信を開始する前日に、「彼」と再会した。

 もっとも、最初に見つけた時は、まるで気づかなかった。

 一つには、パニックになってしまったからだ。

 何しろ、物言わぬ、意思も持たない機械がいきなり話しかけてきたのだ。

 意味が分からないし、半狂乱になるのは当然である。

 もう一つは、言うまでもないが外見の変化である。


 ただ、早音の名前を聞いても特に動揺しなかったことを考えるに地元の人間ではなかったということはわかった。

 地元の、文乃を攻撃してきたクズ共ならともかく、特に何も悪いことをしていない彼が死んでしまったのは少しだけ悲しいことでもあると思った。

 幸いなのは、彼が死んだことをさほど残念にも思っていなかった。

 名前も含めて、生前の話をしてこない彼だ。

 もしかすると、過去に嫌なことがあったのかもしれない。

 


 彼は、アニメや漫画、Vtuberなどのサブカルチャーに詳しかった。

 Vtuberはかなり最近の配信者まで知っていたようだが、アニメや漫画は数年前のものしか知らなかった。

 それ以外、手掛かりと言えるものはない。

 家族などにあわせることができるなら、それに越したことはないと思っていたが……肝心かなめの本人が名前すら明かそうとしない。

 その状態で、彼の生前を特定するのは無理があった。

 なので、未練がないという彼の言葉に甘えておくことにした。



 そして、今日彼女は気づいた。

 彼が、自分の命を救い、そして命を散らした・・・・「彼」であるということを。

 

 

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