第25話『マイクと人、はじめてのお出かけ』
「というわけで、今日は学校行って来るよ」
『忘れ物はないですか?』
「ハンカチよし。ちり紙よし。生徒手帳よし。あとは、動画の予約投稿もよし、完璧だよ」
今日は、文乃さんにとってお待ちかねの、おおよそ二か月ぶりの登校日である。
文乃さんは、以前見た制服に身を包んでいる。
彼女曰く、通信制高校に通っているが、特に服装の規定はないらしい。
しかし、彼女の意志で前の学校の制服を着ているそうだ。
彼女曰く、着ていく服がほかにないとのこと。
私が思うに、彼女の実家は金持ちだ。
いやまあ、私の主観のみならず客観的に見てもそうだろう。
つまり、所有している服も上等なものが多いのだろうと思われる。
だから、その状態で登校すると浮いてしまうのではあるまいか。
浮かなさそうな服もあるにはあるけど、部屋着しかないのではあるまいか。
普段ずっと部屋着で過ごしてるんだよね。
朝部屋着で起きて、風呂場で着替えて、そのまま翌日の夕方までずっとそのままである。
なので、実はこの部屋で着替えること自体が二か月ぶりだったりする。
言うまでもないが、私はちゃんと彼女の着替えが見えないように、後ろを向いていた。
というか、私の方からお願いして頭の向きを調整してもらった。
因みに、彼女の衣擦れの音が響いて、それはそれでどきどきした。
もはや心臓がない状態でこんなことを言うのもなんだが、彼女は心臓に悪い。
やたら着替えるのが遅いから、かなり精神力を削られるし。
閑話休題。
どこか、学校に行こうとする彼女は嬉しそうだ。
まあ少なくとも私が知っているだけも二か月ぶりの外出だ。
もはやルーティーンと化している彼女のVtuberとしての仕事も、今日だけはお休み。
まあ、気分転換というのは大事だ。
ずっとこの部屋にいれば、気も滅入るだろう。
部屋は出ているが、おそらくこの屋敷からは一歩も出ていない。
必要に迫られてのこととはいえ、たまの外出も必要だろう。
私は、この部屋で夕方までぼんやりと待っていよう。
何しろ、特にやることがない。
できれば映画を垂れ流しにしてくれるとありがたいが、さすがにそんなことを言えるわけもない。
電気代勿体無いしね。
ちなみにだが、私は充電が切れたとしても意識はなくならない。
逆に言えば、原則二十四時間意識が飛ばないため、思考を整理する時間が与えられない。
しろさんのASMRで、あとはそれに付随する刺激で、意識が飛びそうになることがある。
だが、例外は逆にそれだけだ。
「あのさあ」
『何ですか?』
「よければ、君も一緒に出掛けない?」
『……はい?』
思わず、聞き返してしまった。
いや言葉の意味は分かるが、意図までは測れなかった。
生前の私なら、現実に経験があるかはさておき、まだわかる。
人が人と出かけるというのは、この世の中ありふれた行為と言えるだろう。
だが、今の私は人ではない。
マイクである。
『いや、あの、流石に無理があるのでは?壊れません?』
マイクというのは、精密機械だ。
ちょっとした刺激で簡単に壊れてしまいうる。
正直なところ、機械部分が壊れたとて私の意識がどうなるのかはわからない。
ただ、壊れてしまえば彼女に私を手元に置いておく理由はないだろう。
私は二度目の生(厳密には生ではないが)を今楽しんではいるが、それは彼女たちにとって何の関係もない。
彼女は私を友というが、客観的には違う。
私は彼女を切り捨てられないが、彼女はいつでも私を切り捨てられる。
いつ処分されても、私には文句を言う権利すらないのだ。
それゆえに、私としては壊れるリスクを冒したくなかった。
そういうリスクが大きすぎると思っていたのだ。
「いやまあ、それについては問題ないと思うよ」
『……そうなんですか?』
「うん、絶対に壊れないように梱包材に包んで、万全に万全を重ねるから、さ」
『ふむ』
まあ良く考えれば、一応私は一度トラックか何かでこの屋敷まで運ばれているはずだ。
厳重に梱包さえしていれば、私も外に出ることは出来るだろう。
ただ、疑問はある。
『そこまでして、私を外に出したいんですか?』
正直、心情的な面がいまいちピンとこない。
別に出かけるなら、一人で出かければいいと思う。
誰かとともにいたいのならば家族や使用人と過ごせばいい。
そういえば、私は最後に家族や友人と会ったのいつだったけ。
思い出せないな。
家族はなるべく会いたくなかったし、友人と言ってもそこまで親密な友人はいなかったと思う。
まあ一番は仕事が本当に忙しかったからだとは思うけど。
そもそも、就職する以前の記憶がもはやほとんどない。
まるで、遥か昔のことのようだ。
大学生時代とかはまだ比較的最近のことだったはずなんだがなあ。
いやまあ、ほとんど勉強とバイトでつぶれてた感はあったけど。
閑話休題。
わざわざ私を、喋るマイクを連れ歩く必要性は全くない。
なぜ、私を傍に置こうとするのか。
それが理解できない。
文乃は、少しだけ顔を赤らめて目を逸らした。
口をもごもごとさせて、何かを言い淀んでいるように見える。
なんだろうか。
口を動かすのを止めてから、こちらを改めてみてきた。
「それは、その、笑わないで聞いてくれるかい?」
『冗談を言われない限り、笑ったりはしませんよ。マナーですから』
基本的に、笑うことはない。
そもそも、消耗していることが前提だったから笑う気力など残っていなかった。
意外とエネルギー消耗するんだ、笑うって。
上司が冗談を言ったら、笑うのもマナーの一つ。
ここで重要なのは時間だ。
笑いすぎると、本題に入る隙を逃してしまうためマイナスになる。
かといって、笑っている時間が短すぎると失笑、あるいは作り笑いであるのように見えてしまう。
もちろん笑わないのは論外である。
正直業務ですり減った状態で冗談を言われても嫌悪感しかわかないんだが、それでもそうしなくてはならない。
ならなかった。
金のためには、権力の前には人は心をすり減らして奴隷になるしかないのだ。
悲しいね。
「友達と、お出かけすることって今までなかったからさ、だから君と出かけたいんだ」
『…………』
「君は私にとって、最初の仲間で、友達だから」
私は。
常に、弱者と強者で他人を区別する、してしまう私は。
彼女を、大切に思いながら、支えたいと考えながら、それでも自分とは相いれない生き物だと規定してしまっている私は。
人としての心も、体さえも失った私は。
本当に、彼女の友なのだろうか?
私にはわからない。
けれど、彼女が望むのならば。
「嫌、かなあ。もしそうならごめんよ」
『嫌ではありませんよ。貴方が望むのであれば、是非』
「良かった!火村さんたちに頼んでおくね!」
そういうと、彼女はどたばたと走り出した。
「ぐえっ」
そのまま、何もないところで転んで顔から転んだ。
『だ、大丈夫ですか?』
「あ、うん、ごめんね」
そういって、また彼女は部屋を出て走っていった。
随分、落ち着きがない。
多分、よほど外出が楽しみだったんだろう。
前日から楽しそうだったし。
思えば、彼女が嬉しそうだったのは私と出かけるつもりだったからだろうか。
もしそうならば、嬉しい限りだ。
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