第24話『咀嚼して、断片が見える』

 今日は、咀嚼ASMRをやる日だ。

 これまでの、ASMRとは少し毛色が違う。

 過去にやってきたASMRは、耳かきや心音などはあっても、あくまでも彼女の声をメインにしてきた。

 が、今回は、声以外の音をメインとしているASMRとなっている。



「どうしよう……」



 例によって、例のごとくまた文乃さんは緊張してらっしゃる。

 どうしたのだろうか。

 いや、これはあれだ。

 初めてのことをやるときにいつも緊張している。

 初配信も、そして初ASMRの時もそうだった。



『琴の時は大丈夫だったんですけどね。なぜでしょう?』

「たぶんね、琴はうんざりするほど稽古でやらされたからだろうね。人前で、やらされることだって普通にあったし」

『ああ、なるほど配信とか関係なく、はじめて人前でやることを緊張するんですね』



 まあ、私は人じゃないしね。

 それこそかぼちゃと変わらないということかもしれない。

 別に緊張しないということであれば、それでもいいと思うけども。



「うーん、多くの人が見ている場合だと、緊張するんだよね。君は身内みたいなものだし」

『…………ありがとうございます』

「なぜお礼?」



 ああもう。

 本当に。

 こういうところが、嫌いになれない。

 コックに頼んで、予めフライドポテトとフライドチキンを作ってもらっていたらしい。

 また、生野菜や果物も持ってきてもらったんだとか。

 出てきたものを見ての反応は。




『……これは、また』

「すごいよねえ」



 フライドポテトも、フライドチキンも、その嵩がおかしい。

 肉やイモは恐らく普通なのだ。

 衣が異様に多い。



「ザクザク音を立てたい、というオーダーを出してたからね。多分それで衣の量を増やしてくれたんだとは思うけど……。これは、噛み切れるかなあ」

『ボリューミー過ぎますもんね』



 通常のフライドチキンの倍近い厚さがある。

 いや、本当にこれどうやって揚げたんだろう。

 中まで火は通っているのだろうか。

 まあ、そこは本職の力を信じるしかないか。

 私に出来ることは、ただマイクとして、一リスナーとしてここにあるだけだ。

 


 ◇



「こんばんながねむー。今日は、咀嚼ASMRをしていきますね」


【楽しみにしてたよ】

【ASMR配信者としての道を模索していくスタイル】



「あと、今日はノイズになるといけないのであんまりしゃべらないよ。その旨については、ご了承ください」



【了解】

【咀嚼大好き勢への配慮助かる】

【しろちゃんは、ちゃんとこういうところに配慮してくれるから好き】



「じゃあ、まずはフライドポテトから食べていきます。通常より太いですね」



 彼女は、皿にあるポテトを一本取り上げ、口に運ぶ。

 そして、耳元に顔を寄せて咀嚼した。

ぱきっという心地よい音がした。

 普通のフライドポテトと違う。

 油をふんだんに使っているのか、明らかに普通に売られているものよりも表面が固い。

 それゆえに、小気味よいさくさくという音が耳に入ってくる。

 一本目を食べ終えると、少しだけ時間をおいて彼女は二本目を口に入れてまたザクザクという音を響かせた。

 なるほど、あまり聞いていなかったジャンルではあったが、こういう音を聞くコンテンツなのか。

 これはこれで悪くないな。

 山登りで、落ち葉が敷き詰められた地面を歩くような。

 海沿いの、砂粒と貝殻が混じった浜辺を踏みしめるような。

 力強く、それでいてうっとうしくはない。



【これは癖になる】

【なんかポテト食べたくなってきた】



 続いて、しろさんはフライドチキンをつまみ上げる。

 因みに、彼女は手で食べている。

 一応、フォークと箸が皿のそばに置かれているのだが、まあいいだろう。

 だれしも、時にはマナーの悪い食べ方をしたくなるものである。

 フライドチキンの衣は、普段コンビニで見るそれよりも一段分厚い。

 文乃さんの小さな口で噛み切れるのかどうかわからないそれに、かぶりついた。

 ぱき、ぱきと衣をかじる音がする。

 分厚くて噛み切ることができず、衣を削るにとどまっているようだった。

 だが、それもまたよし。

 ぱきぱきと、徐々に衣が崩れていく音は、まるで焚火の木々がたてる音ににも似ていて、心を落ち着かせてくれる。


 そうやって食べながらも、何事かパソコンを操作している。

 ちなみにだが、彼女のパソコンのキーボードは音が出にくい特別仕様であるらしい。

 配信をしながらパソコンを使っていても、音が乗りにくいそうだ。

 それでも、多少は乗ってしまうのだろうが。



「次は、キャベツを食べます」



 そういって、彼女が手に取ったのは生のキャベツだった。

 それこそ、焼き肉屋で出てきそうな、みずみずしいキャベツ。

 因みに、私はたれがついていない方が好みだ。

 彼女が白い歯でキャベツをかみ切る。パリッという音がする。

 そのまま、口に入れて噛んでいくとシャキシャキという水気を含んだ音がする。

 そして、耳元から口を放して飲み込む。

 


「うーん、いい歯ごたえだねえ」



【そうさ。キャベツってこんな音だった】

【いい音だなあ】

【しろちゃんに食べられてるなあ】



「お次は、キュウリだね。これも昔は苦手だったっけ。もう克服できたからいいけど」



【食べれなかった野菜多いんだね】

【ナス、トマト、ピーマンに続いてキュウリも苦手だったのか】

【これは草】



 パリポリと、野菜スティックをかじるときの音が響く。

 いやあれ、仕事中に食べやすいんですよ。

 今は仕事中でもないためか、こういう音でも癒される。

 しろさんが出している音だからだろうね。

 だからこんなにも癒される。



「あとは、林檎で最後かな」



 リンゴにかぶりつく。

 しゃく、しゃく、しゃくと。

 みずみずしい林檎をかじる音が響く。

 個人的には、これが一番好きかもしれない。

 なんだか、小動物がそばにいるような気持になる。



「あれ?」



 しろさんが、声を上げる。

 心なしか声色が高い。

 理由は、画面を観ればすぐに分かった。



「あ、ごめんね。ちょっと画面映っちゃった」




 しろさんが映っている配信画面以外の、映ってはいけないウィンドウが配信に映ってしまったのだ。

 Vtuberはライブ配信が主体ゆえに、こういう事故も時々起きる。

 視聴者側にも、全くとは言えないが、あまり動揺はなさそうだ。



【いいよ】

【大丈夫】

【一応アーカイブ消したほうがいいかも?】

【油で手が滑ったのかな?】




「ごめんねー。アーカイブ確認したうえで、最悪部分的にカットしてアップします」



 そんなハプニングもあったものの。

 咀嚼配信は、おおむね好評だったし、同接も多かった。

 結果的には、配信としては大成功だったと思う。

 ……疑問は残ったが。



 ◇



 配信が終わって、彼女はポチポチとスマートフォンをいじりながら、パソコンを操作している。

 たぶん、スマートフォンを操作しているのはメイドさんに連絡を取っているのだろうな。

 個人勢というのは、本来一人で活動するのが普通だが、こうして理解を得られているのは間違いなく早音文乃さんの強みであろう。

 そしてパソコンを操作しているのは、アーカイブのチェックをしているらしい。

 画面を私も観れる状態にあるので、見るつもりが特段なくてもわかってしまう。



「うーん、表示されちゃったのはNGワードが設定されたウィンドウだけか。本当に何でこれだけ共有されたんだろ?」

『まあ、これなら危険性はなさそうだしいいんじゃないですか?』



 そんなことを会話しながら、私は別のことを考えていた。

 NGワード。

 それは、配信をする側ができる設定の一つだ。

 卑猥な単語であったり、暴言であったり、配信者側のメンタルやコメント欄の民度を保つために設定されている機能である。

 しろさんのチャンネルでも、いくつか設定されているようだった。

 今回、その設定画面のウィンドウを出しっぱなしにしてしまったことで、それが誤って配信画面に映りこんでしまったようだ。

 そのリストに、指定されていたのは、一つだけ。

 奇妙なワードがあった。


――騒音、という言葉が。



『……?』



 確かに、良い言葉ではないだろう。

 だが、わざわざ言われる可能性も、基本的にはない言葉だ。

 なのにNGワードにする必要があるのだろうか。

 それならばもっとNGにするべき暴言やセクハラなどが多数あるはずだ。



 メイドさんが謎の基準で選んだ可能性も考えられる。

 でもこれは、たぶんない。

 なぜなら、彼女のパソコンのウィンドウに設定画面があったから。

 彼女自身で設定したと考えるのが無難だ。

 何より、メイドさんたちはどこか一歩引いた態度でしろさんに接していることを考えても、まずありえない。


 

 もう一つは、彼女が真っ当に考えてこれを入れたという可能性。

 この世にある彼女が思いつく言葉の中で、彼女が最も言われたくないのがこの言葉だったのではないかということだ。

 そもそも、彼女が過去に誰かに言われたことがあるのだとしたら、どうだろうか。

 誰かに言われてトラウマになっているのであれば、言われたこともないのにNGワードにされるのも無理はない。

 それは、ネット上の人物ではない・・・・・・・・・・・のではないかと思った。

 まあ、ただの勘なのだが。



『……文乃さん』

「どうかした?」

『いえ、今日は疲れたでしょうし。お休みになっては?』

「そうだね、ありがとう」



 私は、今思いついた仮説を話さなかった。

 そもそも、どの道私に何ができるわけでもないしな。

 見なかったことにするのが、一番な気がする。

 それでも。

 いずれ、私は彼女の心に踏み込まなければいけないような気がしていた。

 まあ、あくまでただの勘なのだが。

 彼女は、何故か私になついているように思える。

 彼女は、私を最初の友人だと言っていた。

 そのせいか、距離を測れていないようにも見える。

 だからだろうか、うぬぼれでなければ、彼女は私に心を大きく預けている。

 そして彼女がいつかそれを打ち明けたいと思ったら、私に聞く以外の選択肢はないのだ。

 だって、彼女の言葉を拾うのが今の私の存在意義だから。

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