第26話『永眠しろの信念と意味』

『……これ、私が来た意味あります?』



 段ボールに入れられ、梱包材に包まれ、視界が確保されるように、目の部分だけ穴が空いている。

 正直、ほとんど視界がきかない。

 ダミーヘッドマイクたる私には、目が存在しない。

 しかし、マイクの目の部分をふさがれると、何故か視界がきかなくなる。

 箱の穴が空いているとはいえ、視界の半分近くはふさがってしまっている。

 

 気づいていなかったが、早音邸は山の上にある。

 リムジンでゆっくりと下っていきながら、私と文乃さんは取り留めのないことを話していた。

 因みに、運転手さんには私の念話は当然聞こえていない。

 が、リムジンゆえに彼女が最後部座席に座っていると、彼女の声も聞こえない。

 


「きれいだねえ」

『確かに、美しいですね』

 


 季節は既に秋。

 赤や黄に染まった葉も多く、色とりどりの景色は目を楽しませてくれる。

 こうやって景色を見るのも、私としろさんにとっては随分と久しぶりだ。

 山道は蛇行していることもあって、正確な距離を掴みづらい。

 山一つ下っていることは間違いないが。

 ふもとに降りて、平坦な土地に出たところで彼女が口を開く。



「あ、この山のふもとまでが早音家の土地だよ。というか、あっちの山々は全部そうだね」

『ええ……』



 何でしれっと山をいくつも確保しているのだろうか。

 しかも、彼女の言い方からして、山一つを大したものだとは思っていなさそうだ。

 まあただの勘だが。

 維持費だってかかるだろうに。



 なんでも、山というのは植林をしたりして土砂災害が起きないようにしたりと、手間がかかるんだそうだ。

 先祖伝来の土地を押し付けられていた、職場の知り合いが言ってた。

 あの子は、どうなったんだろうか、今どうしているのだろうか?

 まあ、知る由もないか。



 それからまたさらに時間がたち、リムジンは無事に高校へと到着していた。

 しろさんは、私の方を見ながら、車から降りる。

 普通に危ないから、ちゃんと外を見ながら降りるように促した。

 ちなみに、しろさんはいつも通りブレザーを着ている。

 どうも、前の学校の制服らしい。

 最近は、涼しくなってきたらしく、別に夏服を着る必要はないというわけだ。



「じゃあ、行って来るね」

『……行ってらっしゃいませ』



 耳元で、囁きながら「行ってきます」は反則級だと思います。

 なんかこう、シチュエーションを色々と想像できてしまうというか。

 

 

 ◇



 それから、彼女が戻ってきたのは四、五時間たってからのことだった。

 もう少しかかると思ってたんだけどな。

 高校って朝八時半に始まって、三時半くらいに終わってたイメージがある。

 もしかして、一日だけの授業って、午前中だけなの?

 通信制高校、特殊な学校だとは聞いていたけど、結構自由なんだね。

 因みに、運転手さんはその間基本的にずっと車の中にいた。

 トイレに行くときと、食事の時に車を止めたくらいだ。

 今日一日かけてわかったことだが、リムジンの扱いは難しい。

 止められる場所も非常に限られるからね。



「ただいま」

「おかえりなさいませ、お嬢様」

『おかえりなさい』



 文乃さんと私を載せた車は、ゆっくりと道を進んでいく。

 リムジンから見る川と、その周囲にある公園。

 久しぶりに、自然の風景という奴を見た。

 夕方ということもあって、そこには複数の親子連れがいる。

 ボールなどで遊ぶ子供たちと、それを見守る親もいれば、ベビーカーを押して散歩する人もいる。

 ここは、育児に励む親たちの社交場のようになっているのだろう。

 私にも、こういう普通の家族の一員として過ごすような時期があったのだろうか。

 そんなことを思いながら、ぼんやりと親子たちを見ていると。



 彼らと、目が合った。

 いや、目が合ったというのは気のせいだろう。

 ダミーヘッドマイクに気付くわけがないし、気づいてもダミーヘッドマイクと目を合わせるという意識はないはずだ。

 きっと、彼らはリムジンを見ているだけなのだろう。

 正直珍しい車だから、それをじっと見るのは無理もない。

 私も、仮に就職前であれば好奇心を抑えられずまじまじと見ていたのだろうと思う。



 いや、それにしては視線の質が……。

 あくまでただの直感だが、これではまるで。



「お嬢様」

「ああ、見つかっちゃったね。もう移動しようか」

『……?』



 彼女は、運転手に届くように、声を少しだけ張り上げて指示を出した。

 声を張っているはずなのに、元気はなさそうだった。

 いや違う。

 元気はないのに、無理やり元気であるかのように見せようとしているように、感じ取れる。

 あくまでも、ただの勘なのだが。

 ともかく、彼女の指示に従って、リムジンはゆっくりと移動を始めた。



『なんだか、変でしたね』

「……何が?」

『いえ、何でもないですよ』



 リムジンを見つめる、家族連れの視線。

 明らかに彼らはこちらを睨んでいた。

 そこに、好奇の視線はない。

 恨み、怒り、或いは嫌悪。

 間違いなく、そういう感情を向けていた。



「まあ、そうだね。もう少し行けばわかるから、そこで説明するよ」

『…………?』



 彼女のぞくぞくする囁き声を聞きながらも、私の脳みその半分は、疑問に覆われていた。

 ……いや、やっぱり二割くらいかもしれない。

 車は、とある道沿いに止まった。

 周囲の景色は、まだ水の張っていない田んぼがほとんどを占めていた。

 そしてその田んぼと田んぼの間に、特徴的な建物が一件だけ見える。

 多分、あれは小学校だろうな。

 柵の内側に、プールが見える。

 二個くらい建物がある気がするが、小さいかまぼこ上のものが体育館で、大きなコの字型のものが校舎だろう。

 もしかすると、ここは彼女の母校かもしれない。

 体感時間的にも、もうここはかなり早音家に近いはずだ。

 ここに通っていたとしても、不思議はない。

 しかし、だからといってなぜここで車を止める必要があるのか。



「内海さん、少し、窓を開けてくれませんか?」

「かしこまりました、お嬢様」



 内海というのは、運転手さんの苗字であるらしい。

 彼の操作によって、窓が、ゆっくりと開いていく。

 すると。



『これは……』



 音が、響いてきた。

 金属と金属がぶつかり合うような。

 それでいて、トライアングルのようなさわやかな音ではない。

 むしろこれは、トンカチで釘を打ち付ける音を何倍にも増幅させたかのようなこの音は。

 まさしく、騒音としか言えないものであった。

 彼女は、しばらくしてまた内海さんに窓を閉めてもらっていた。

 騒音が聞こえなくなったタイミングで、私は彼女に念話を贈った。



『……何の音ですか?』

「うるさいだろう?」

『まあ、そうですね』



 事実だ。

 車の中にいたから今までわからなかったが、こんなにうるさいとは。

 騒音で苦情とか来ないんだろうか。



「このあたりには大きな工場がいくつかあってね。そのせいで、騒音がひどいんだ」

『確かに、随分とひどかったというか、とんでもなかったですね』



 あの地点で、周囲に工場は見えなかった。

 だが、それでもなお工場由来の騒音が響いていた。

 私が単に見落としていた可能性もあるが、これ工場の傍は、地獄なんじゃないか?

 これだけ音が響いていれば、法的に問題がありそうだが。



「一応、法的な基準はクリアしてるんだよ。音量とか、騒音をまき散らす時間とかね。少なくとも、それで問題になったことはないみたい」

『それはよかった……んですかね?』



 法が許しても、苦情とかは来るだろうに。

 工場関係者さんたちは大丈夫なのだろうか。

 まあそれを私が気にしても仕方がないのだけれど。

 ふと、視線を文乃さんの方にやると、彼女はじっと遠くを真剣な顔で見ていた。

 配信モードの時よりもさらに、緊張した面持ちだった。

 彼女は、おもむろに口を開いた。



「音って不思議だよね」

『……はい?』

「振動でしかないものだから、強い音は不快でしかない」

『そうですね』



 音は空気の震えにすぎず、大きければ不快なものであり、場合によっては耳に大きなダメージを負うこともある。

 生前、聞いた中で一番不快だった音は何だろうか。

 工事の音か、黒板をひっかいた音か、あるいは飛行機の着陸音だっただろうか。

 たいてい、嫌な音というのは爆音というイメージがある。

 この近くにあるという工場が何を作っているのかは知らないが、相当大きな音であることは疑いようもない。

 間違いなく騒音と呼ばれる類のものだ。

 


「けれど、それでありながら、音で癒されることもある。ヒーリングミュージックだとか、ASMRだとか」

『そうですね』

「同じ音なのに、随分違うんだなって思ったんだよね。人を傷つけるはずの存在が、使い方次第で人を癒せるなんて不思議で、尊いなって」



 彼女のかすれたような囁きは、きっと機械音に紛れて内海さんには届いていない。

 けれど、私にははっきり届いていた。

 その言葉が、意味するところも。



『……それが、文乃さんがVtuberをはじめた理由ですか?』

「そうだよ」



 彼女の目は、窓の外に向けられていた。

 その目には、炎が灯っているように見えた。

 それは彼女を取り巻く環境への怒りか、あるいはそれを覆さんとする彼女の情熱か。 

 もしかすると、その両方であるのか。



「私は、音で誰かを傷つけるのではなくて、音で誰かを幸せにしたい。それが、私が永眠しろとして叶えたい夢なんだ」



 彼女は、遠くを見ている。

 あくまで勘だが、多分見ているのは、学校や田んぼなどの風景ではないと思う。

 おそらくは画面の向こうにいる、顔も本名も性別も知れない、無数の人たちを。

 救いたいと望んで、毎日配信に臨んでいる。



『きっと、できますよ。いや、できてます』

「そう思う?」

『ええ。デビューした時からずっと、傍でしろさんを見てきましたから』

「……ありがとう」



 今日まで、彼女にはどれだけの人が救われてきた。

 既にチャンネル登録者数は千を超えている。

 加速度的に、ファンは増えている。

 それは、彼女に救われる人が増えていることの証明だ。

 なにより、彼女がどれだけの努力を重ねてきたか。

 毎日四時間以上の配信に加え、ASMR企画のリハーサルや、ボイストレーニングなども行っている。

 SNSやU-TUBEへのコメントのリプライなど、ファンサービスも怠らない。

 これに加えて、食事中も映画やアニメを観て雑談のネタを仕入れたり、入浴中も声の出し方を練習したりと、本当に寝る以外のほぼすべてを活動にささげている。

 それを見てきて、どうして彼女の夢を否定できる。



 ふと、もしかすると、彼女の考え方は強者の傲慢なのかもしれない、という考えが頭をもたげる。

 たまたま恵まれた人が、気まぐれで人に優しさを押し付けているのかもしれないと。

 私の腐った心が囁いてくる。

 この子も、あいつらと同じではないのかと。



 その考えを、私が前世で積み上げた醜怪な思考回路を、回らない首ごと振り払う。

 あまりに彼女に対して失礼であり、何より無粋だから。



「今日は、君と出かけてよかったよ」

『私も、文乃さんの話がきけて良かったです』



 私に出来ることがあるのであれば、支えよう。

 あいにく、支えるための、手も足も出せない身分だが。



「あ、そうだ。今日なんか気分がいいからゲリラ配信するね。雑談と、マシュマロ読み一回ずつで」

『今からですか!』



 ……やっぱり、この人どこかねじが外れてるよなと思ったのだった。

 もちろん、それが彼女のいいところではあるのだけれど。

 ちなみに、その日の配信は概ね朝に投稿した、箏動画の感想で埋まっていた。

 結構、好評だったようで、何よりである。


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