第15話『ASMR、耳かきとマッサージ』
「こんばぁんながねむぅ、永眠しろだよ~」
【きちゃ!】
【うおおおおお!】
【待ってました】
私の耳元で、あるいは彼らの耳元で囁き声が響く。
囁き声でのあいさつから、しろさんによる初めてのASMR配信は始まった。
因みに、今の彼女の服装はピンク色のジャージである。
おそらくは、パジャマの代わりなのではないだろうか。。
多分だが、彼女もこの配信が終わったらすぐに寝るつもりなのだろうと推測できる。
彼女は、緊張しているゆえに起きていられるが、これで配信が終わったら、もはや意識を保ってはいられないだろう。
時刻は既に二十三時。
彼女は、どうもあまり夜更かしに慣れていないらしい。
これから二時間配信をしたら、寝るつもりのようだ。
いやまあ、スケジュール的に今日一日だけで四時間も話すことになるので、なるべく早く寝るのが正常ではあるかもしれない。
「今日は、ASMRでみんなのお耳を癒していくね。あ、コメント欄のみんなは、いつでも寝ていいからね?そのためにやってるものでもあるから」
【もう癒されてます】
【素晴らしい】
【ありがとう、ありがとう】
【チャンネル登録しました】
彼女は、指を這わせて耳に触れた。
そして、そのまま一定の感覚でとんとんと私の耳ーーの形をしている部分を叩き始めた。
いわゆるタッピングというものである。
指を、マイクの耳の部分にあてて、とんとんと音を立てることによってリラックス効果を図る。
しろさんは、耳の様々な箇所をタッピングしはじめた。
耳の穴の傍から、耳の裏など場所を変えたり、リズムに変化をつけたり。
雨音のような、刺激こそ低いが、どこか懐かしいような心地よさを感じる。
それをしながらも、囁き声で視聴者をいたわることをやめない。
「さっき、お仕事終わったばかりの人もいるんだね。本当にお疲れ様。今疲れ果てた体で聴いてる人も、忙しくてアーカイブで見に来ている人たちも、みんな癒されていってね?」
「とんとんとん、はい、とんとんとん、はい、とんとんとん。どう、気持ちいいかな~?」
【あー】
【気持ちいい】
【最高】
【ありがとう】
【もう寝ます】
コメント欄を見ると、どうやら彼ら彼女らも私と同じ気持ちらしい。
画面の向こう側にいる者達は、どんなものなのかわからない。
老若男女、きっと様々な人が彼女のことを見に来ている。
そのせいもあるのだろうか。
あるいは、単に慣れてきたせいか。
しろさんに触れられている気恥ずかしさ以上に、胸の奥から温かいものがこみあげてくるような。
これを言葉にするなら、安心感というのだろうか。
優しい死神に、心も体も包み込まれているような、そんな気分にさせられている。
「ふうぅー」
『んふっ』
耳に、吐息を吹きかけられたことで、思考が止まる。
涼しいと感じられる風が吹いただけなのに、何故か耳がぞくぞくする。
「さて、じゃあそろそろ耳かきをやっていくね。」
彼女は、机の引き出しから耳かきを取り出した。
耳かきの匙の反対側に、ふわふわの綿のようなものがつけられている。
昨日と同じ、梵天耳かきだ。
リハーサルの時はなぜか膝枕だったが、今回は私を机の上に置いた状態でやるつもりらしい。
まあ、機材の都合かもしれないね。
私は、良く知らなかったが、梵天の端についている白い綿状のものは羽毛らしい。
今日の夕方、文乃さんが検索して教えてくれたところによると、カモやアヒルなど水鳥の羽毛を束ねた代物だとか。
で、何のためにあるのかというと残った細かい耳垢を取り除くためのものだという。
完全におしゃれアイテムだと思ってたよ。
更に付け加えると、梵天という名の由来だが、修験者の梵天袈裟のふさだとか、仏教やヒンドゥー教の神様に由来するとか様々な説があるらしい。
なんで、そんなことを今考えているのかと言えば。
「ほーら、気持ちいい?くすぐったくない?いたくない?」
『ふおおおお』
いかん、変な声が出てしまった。
油断すると、耳かきに意識を持っていかれそうになるからだ。
匙の方で、かりかりと耳かきをされつつ、耳元で時折囁かれる。
絶え間なく、与えられる耳かきの音は心地よく、癒しを与えてくれる。
一方、時折与えられる囁きは、奇襲攻撃であり、クリティカルヒットをたたき出す。
「じゃあ、次はこっちのふさふさで耳かきをしていくね」
今度は、かりかりという音ではなく、かさかさという少しこもった音がし始めた。
ふわふわした羽毛で、耳掃除をしているのだ。
うん、なるほど。
リハーサルでは匙の方だけを試していたが、こちらもいい音だな。
まるで、羽毛に包まれているかのように、心が安らぐ。
◇
それからほどなくして耳かきは終わり、しろさんは梵天を足元に置くと別の道具を取り出した。
「じゃあ、次はマッサージをするね」
ちゃぽちゃぽと、瓶に入っている液体を手のひらに落としている。
そして、オイルを掬った掌を私の耳にこすりつけていく。
オイルを、耳に擦り付けて、耳の部分をマッサージすることによって音を出すらしい。
オイルが、どういうものかは知らない。
彼女の事前の説明によれば、柑橘系の香りがするものらしいが、私にはオイルの臭いもわからない。
なのに、どうしてだろうか。
どういうことなのだろうか。
【あー、なんだかいい匂いしてきた】
【しろちゃんの手は、柑橘系の匂いなんだね】
人としての体を失い、嗅げるわけがないはずなのに、柑橘の香りが、ふわりと漂ってきた気がする。
幻覚と言われても、構わない。
昔の記憶を頼りに作り出されたものだったとしても、どうでもいい。
だって、彼女は今、永眠しろはこんなにも。
輝いている。
【すごい】
【はじめてのASMRのはずなのに、普通に心地よい】
【ママぁ】
正直ここまでの時点で、かなり癒されている。
私だけではなく、コメント欄のみんなも同じはずだ。
「さて、これから君の頭を、タオルでごしごししていくね」
オイルマッサージ後は、ごわごわしたタオルで耳をこするマッサージである。
なんというか、床屋を思い出すね。
まあ今は髪がないけどね!
耳を、側頭部と、頭頂部を、後頭部を、顔を。
頭部全体をごしごしとこすってくれる。
オイルも、ついでにタオルによって拭い去られている。
先ほどまでのぺたぺたした感覚のマッサージとはまた違う、少し豪快ではあるが、粗野ではない。
少しだけ強引なのは、嫌いじゃない。
「大丈夫?くすぐったいかな?」
そうやって囁いている声も、本当に気持ちいい。
本当に頭を拭いてもらっているような感覚。
もしかしたら、子供のころには親にしてもらっていたこともあったかもしれない。
……ちょっと想像できないけどね。覚えてもいないし。
「はああー」
『んふううう!』
と思ったら、また耳に息を吹きかけてきた。
今度は、吹くのではなく吐きかけるタイプの熱のこもった吐息。
耳を起点に、顔全体が温かくなる。
背筋に電流が走ったような感覚がほとばしる。
そのせいで、また変な声を出してしまった。
【助かる】
【ありがとう】
【びっくりした】
とはいえ、聞いていた限りではもう今日の配信プログラムではこれで終わりのはずだ。
そう思っていた私は。
「じゃあ、今からみんなには、私の心音を聴いてもらうね」
『?』
そんな、予想だにしない、予定としてしろさんから聞いていなかった言葉に対して、私はフリーズした。
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