第5話『彼女の名前は』
机の上に置かれた私を前に、ゲーミングチェアに座った少女が向かい合っている。
この状態、結構顔が近いな、とどうでもいいことを私は考えた。
脱ぎかけていた服を正しており、膝に手を置いた状態で背筋をピンと伸ばした状態で。
彼女の顔つきは、険しい。
表情から感情を勘で判断するなら、困惑と疑問と恐怖といったところだろうか。
無理もないけどね。
いきなりマイクがしゃべりだしたら、それはそんな反応にもなる。
とはいえ、冷静に思考できる状態でもあるだろうと考えた。
騒いだり誰かを呼びつけたりしていないのが、私の話を聞く意思があるということだ。
そう考えたので、私が自分が持っている限りの情報を、偽りなく伝えた。
それが最善だと思ったから。
私の話が終わるまで、彼女はほぼ黙っていた。
そして話が終わると、口を開いた。
「……つまり、あれかな。君は、元々人間で、死んだ後に生まれ変わってマイクに転生したと?」
『そうですね』
「それで、さっきから私に声をかけていたと?」
『ええ、そうですね。メイドさんたちにも声掛けを何度も行っていたのですが、聞こえなかったようで』
「私が着替えようとしたところで、さすがにまずいと思って呼びかけたら、私が反応してくれたと?」
『ええ、そうです。完璧に理解してくださってますね』
凄いな。
私の話が完璧に伝わっている。
と、彼女は急にぶるぶると震え出して、叫んだ。
「いやそんなわけあるかあ!どこのなろう系だよ!」
『いやでも、実際に起こっていることですからね。こうして会話も成り立っていますし』
「……それは、そうだよね」
先程までいたメイドさんたちには声が全く届かなかったのだが、どういうわけか、彼女だけは私の声が聞こえるらしい。
このダミーヘッドマイクの機械としての機能はあくまでも集音であってスピーカーの役割はない。
なぜ彼女だけが私と意思疎通ができるのかはわからない。
よくあるのが、子供だけに認識できるというパターンだ。
妖怪とか妖精とかは子供だけが認識できるというパターンがある。
あるいは、私が
『それにしても、よく聞き取れますよね』
「君の声のこと?そういえば、どうして氷室さんたちは聞こえなかったのかな、はっきり聞こえてくるのに」
『そうなんですか?』
あまり、声を張っているわけではないんだけど。
今の彼女の言い方だと、まるで聞こえない方が不自然な気がする。
どう聴こえているのだろうか。
彼女に、尋ねてみると。
「なんというか、独特なんだよね」
『と言いますと?』
「耳から入ってくるというより、頭の中に直接響いてくるというか」
『そうなんですか?』
もしかすると、本当に声を出しているわけではないのかもしれない。
所謂テレパシーを発しているだけなのかも。
「テレパシー、かあ。言われてみればそんな気がする。まあそもそも口ないしね」
『なんかあっさり受け入れますね』
「まあ、ダミーヘッドマイクがしゃべってるのは事実だしね」
受け入れてくれるなら、その方がありがたいんだけどね。
まあ目の前で起きていることだから受け入れるしかないのかもしれない。
「それで、どうするの?」
『どうする、とは?』
「君は、結局のところこれからどうしたいのかなと思って。生まれ変わって何かしたいことはないのかなと。それこそ前世の心残りとかさ」
『あー』
そうか。
そう見えるのか。
まあ確かに幽霊みたいなもんだからね。
この世に何かしら未練が残っているわけでもないんだけど。
仕事で摩耗されていた精神が完全に解放されたので、自由だ。
しいて言うなら、奨学金返済の残りを父親に押し付けることになったことが心残りだろうか。
まあでも、あの人には結構バイト代とかも抜かれてたし両成敗だと思ってもらおう。
奨学金の保証人になってくれてたのも、バイト代を献上するのが条件だったしね。
『いや、特にないですね。むしろ、正直このままマイクとしてここで生活を続けたいんですが』
「……そうなの?」
『ええ、本当に未練とかはないです。大切な人も、いませんし、生前での心残りも特にありません』
「そっか、じゃあ私と同じだね」
『…………そうですね』
彼女が自殺未遂をしたことを、私が知っていてはおかしいので適当にごまかしておいた。
『貴方さえよければここに置いていただきたいんですが、廃棄されたらもう生まれ変われない可能性が高いですし』
「いやいや、別に捨てたりはしないって」
『それはよかったです。不良品とか言われたらどうしようかと』
「霊魂が宿ってるものを不良品だからって廃棄したらそれこそ祟られそうなんだよね」
『まあそれはそうかもしれませんね』
「…………」
『冗談ですよ?』
本当にそんなつもりはないので、そんなに距離を取らないで欲しい。
というかその椅子、キャスター付きだったんだね。
絨毯が痛むからやめて差し上げろ。
「ところで君の名前は何て言うの?」
『唐突ですね』
「いやまあ、君が人であることが分かった以上、名前くらいは聞きたいなあと」
『ええとですね』
一応、流石に生前の名前は憶えている。
だが、それを言いたくはなかった。
理由は二つある。
一つは、せっかく生まれ変わったというのに、生前の名前や記憶をいつまでも引きずるのも嫌だったから。
生前の、夢も希望もないブラック企業社員としての記憶をもう保持しておきたくないのである。
生まれ変わった以上、生まれ変わった気持ちでいたいのだよ。悪いか。
もう一つは、目の前の彼女のことだ。
以前のように、彼女は自殺をしようとは思っていないように見える。
少なくとも、目は死んでいない。
もし、彼女が私の名前を万が一知っていたらどうだろうか。
例えば、私の名前というのが電車に轢かれたということでどこかに。
彼女が、それを思い出してしまうかもしれない。
思い出したくもないであろうことを、思い出させてしまうかもしれない。
というか、私たぶんこの子の前で肉塊になってるんだよね。本当にそれは申し訳ないと思う。
ただの不注意だったからな。
始末書書かなきゃ……ああもう書かなくていいんだっけ。
何よりも、彼女は今夢と未来に向けて動こうとしている。
今日セットしたばかりの私自身を見れば明白だ。
だから、彼女自身の過去に目を向けさせるようなことはしたくなかった。
『名乗るような名前は特にありません。君、とでも呼んでくれればいいですよ』
「なんか浮気者みたいだね」
『いやいや別に、恋人とかいたこともないですし』
「ああ、ふーん。そうなんだ」
『それはともかくとして、貴方の名前も教えていただけますか?』
「ああ、うん、そうだったね」
彼女は、器用に椅子を足で押して、離していた距離を一気に詰めてきた。
足元にすごい高そうな絨毯があるから、やめた方がいいと思うんだけどな、その移動方法。
いやなんというか、以前接待で使わされた、高級ホテルにあった奴とよく似てるんだよね。
……経費で落ちなかったら、即死だった。
「私は早音文乃と言います。現役女子高生、そして――」
少しだけ、声色が変わる。
雰囲気が変わる。
ごく普通の女子高生であるはずの彼女が、まるで別人に成り代わったように。
たまに、見ることがある。
優れたものには、オーラが宿る。
いわゆる天才と言われる、ほんの一握りの強者だけが持つもの。
芸能界などでは、売れっ子のタレントや俳優が必ず持っているといわれるもの。
成功者が成功し、強者が強者である所以。
それを今、彼女もまた発揮していた。
まばゆい程のオーラを放ち、彼女は。
「新人Vtuber、
彼女が持っている、もう一つの名を告げた。
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