第4話『気づいた彼女』

「「「おかえりなさいませ、お嬢様」」」



 メイド三人が、恭しくお辞儀したまま彼女を出迎える。

 彼女はメイド三人をちらりと一瞥して、口を開く。



「ありがとう。もう機材の設定はできてる?」



 彼女の声を、私は初めて聞いた。

 あの時、彼女は一言も発さなかったから。

 いや、もしかしたら線路に落ちた時に何か言っていた可能性はあるが、どのみち聞こえていなかったので関係ない。

 彼女の声は所謂、萌え声というやつだ。

 音程としては高いが、聞き苦しいほど甲高いわけではない。

 むしろ、透き通っていて、聞き取りやすい。

 癒される声だと思う。

 それでいて、少しだけかすれている。

 ハスキーボイスと言うのだろうか。

 まるで、アニメのキャラクターが、そのまま話しているかのような声であった。

 それこそ、こんな声で耳元で囁かれたら最高だろうな。

 私が彼女の声に対して癒されている一方で、彼女たちとメイドさんとの会話は進んでいた。



「はい、完成しております。すでにいつでも、お嬢様はパソコンの電源を入れさえすれば配信が開始できる状態となっております」

「それは上々ね。ありがとう」

「いえ、仕事ですから」



 メイドさんたちからは感情が読み取れない。

 意図して、感情を消して接しようとしている様に見えた。

 まあ、ただの勘なのだが。

 ともかく、感情というものを見せずに仕事をする姿は、まさにプロだ。

 そういう人は信頼できる。



 世の中には、直接的にはそうでなくても、不機嫌さを全面的に押し出してくる輩もいるからな。

 アンタのことだぞ、生前務めていた職場の社長。

 部下からすれば、アンタの休日の釣果とかゴルフのスコアなんて関係ないんだからな?

 後直属の上司もひどかった。

 不機嫌さを露骨に表に出して、部下をコントロールしようとするタイプ。

 フキハラっていうんだったっけ?

 何でもかんでもハラスメント呼ばわりするのもどうかと思うが、あんなのただのパワハラでしかないもんね。

 閑話休題。



 いつのまにか、彼女が、じっとこちらをつまりマイクやパソコンがある方を見ていた。

 最初は、これから彼女自身が恐らく使うであろう機材が気になるのだろうか、と思ったがどうもそんな風には見えない。


 

「ところで、なんだけど、さっき誰か変な声出さなかった?」

「……変な声、ですか?私には何も聞こえませんでしたが」

「……いえ、なんでもないわ。気のせいだったみたい」



 彼女は、きょろきょろと見まわしていたが、気のせいだと判断したようだ。

 もしかして、声聞こえてたりするんだろうか。

 一瞬、ぎくりとしてしまった。

 まさかね。

 だって、ついさっきまで何試しても反応なかったからね?

 出せる限りの全力で叫んだはずなのに、メイドさんたちガン無視どころかきづいてもいなかったからね。

 なので、私が発しているはずの声は人の耳には入っていないと解釈できるはずだ。

 というか、よくよく考えるとそれでいい。

 そのほうが都合がいい。

 厳密に言えば、マイクの中に私という人格が存在しているとばれてはいけない。

 理由は明白だ。



(処分されるかもしれない。それはまずい)



 ごく普通の一般的な配信者や声優が、マイクに人の人格が存在すると知ったら、どうするだろうか。

 有難がるだろうが、はたまた珍しがるだろうか。

 あるいは、無関心を貫けるであろうか。

 否、断じて否である。

 なぜなら、誰かの精神が宿ったマイクというのは、言うまでもなく不良品・・・だからである。

 マイクというのは彼らにとっての商売道具。料理人にとっての包丁であり、軍人にとっての銃である。

 当然、仕事道具が壊れていては話にならない。

 私が不良品だとバレたら返品、あるいは廃棄されるのが道理だ。

 ゆえに、バレてはいけない。



 しかし、不思議なものだ。

 生前は、自分の命に、生に何の興味も執着もなかったはずなのに。

 転生後、まだ一日もたっていないはずなのに自分が廃棄されることを恐れている。

 まあ、奨学金の返済も、ブラック労働もないのだから当然の話ではあるかもしれない。

 自分の心をすり潰していた苦境から解放され、完全に生まれ変わることができたのだ。

 だからこそ、慎重にならなくてはいけない。



 三人のメイドが一斉に礼をする。

 少女は、学生カバンをメイドさんの一人に渡した。

 メイドさんは、そのかばんを恭しく受け取った。



「あとはもう、下がっていいわよ。夕食の時間になったら呼んでちょうだい」

「かしこまりました」




 メイドさんたちは、学生かばんを持って部屋を出ていった。

 彼女は、ドアが閉まるのを見届けると、意気揚々と机に向かってゲーミングチェアに座り込んだ。

 私は机に乗せられているので、非常に距離が近い。

 視界を下に向けるとわかるのだが、私は勉強机の上に置かれている状態だ。

 多分だけど、私の後ろにはパソコンやらなんやらがあると思われる。

 そして、私のすぐ手前には彼女が座っている黒を基調としたゲーミングチェアが置かれていた。

 他が、貴族の部屋みたいな家具ばっかりだから違和感がすごいな。

 そういえばマイクや機材を準備しているあたり彼女は、配信者なのだろうか。まあ、そうだろうな。

 機材を人に設置してもらっていたようなので、あまり彼女自身は機材に強くないのだろうということは容易に想像できる。

 というかわざわざ機械を設置しようとしてるあたり、彼女はこれから配信者としてデビューするとかなのだろうか。

 いやまあ、私は配信というものについてはちゃんとわかっているわけではないのだけれど。

 動画配信サイトというプラットフォームを用いて、パソコンを使って配信を行うという程度の知識しかない。

 だから、機材の設定をしているのであろうメイドさんたちを見ても何をしているのかはさっぱりわからなかったしね。

 



 彼女は、すっくと立ち上がると機材とは別の場所に足を進めた。

 茶色の、大きなクローゼット。

 それを開けて、私服を取り出した。

 何をしようとしているのか、誰でもわかる。

 制服を脱ぎ、私服に着替えるつもりかだろうな。

 ……あれ?



 いや、ちょっと待って。

 ここで着替えるのか。

 いや、それ自体は何らおかしなことではない。

 ここは彼女の部屋で、ここには彼女しかいない。そういう前提で考えれば、誰だってそうする。

 私が彼女の立場でもそうするだろう。

 それが普通の感覚だ。

 だが、今この状況は普通ではないのである。

 一人の女子高生と、中身成人男性のダミーヘッドマイクが存在している状況である。

 ……ちょっと何言ってるかわからないな。

 とにもかくにも、この状況はまずい。

 目を閉じたいんだが、なぜか閉じることができない。

 ああ、視界もうまく動かせない。首が動かせない以上、視界の動かせる範囲も制限がつく。

 まだ、この体に慣れていないからか。

 そもそも瞼もないのにどうやって目を閉じるのだろうか。

 いや本当にどうしたらいい?

 もちろん、彼女は私に見られているなどとは思ってもいまい。

 いや、それはダメだ。

 私の心が納得できない。

 仕方がない。

 できればバレたくなかったし、そもそも声が届くのかもわからないが、やるだけやってみよう。



『あの、ちょっとここで脱ぐのはやめていただけませんでしょうか……』

「え?」

『え?』



 返答があった。

 まじですか。

 なんと、私の声が聞こえているらしい。

 メイドさんたちにはまるで聞こえていなかったというのに。

 彼女は、きょろきょろとあたりを見回している。

 瞳には、困惑と警戒の感情は滲んでいるように見えた。

 ああ、なるほどそうか。

 声がするのはわかったけれど、どこから声が聞こえているのかがわからないのか。

 彼女からすれば、誰もいないはずの部屋から誰かわからない声が聞こえてきたわけで、警戒もするだろう。

 


「気のせいかな?」

『いやあの、気のせいではないです』

「……どこから喋ってるの?」

『えっと、ここです。ダミーヘッドマイクです。ダミーヘッドマイクが、しゃべってます』

「……はあ?」



 少女は、服を脱ぎかけた状態のまま、すっとんきょうな声を上げた。

 ああうん、そういうリアクションになるのは大変よくわかります。

 私も、彼女の立場だったら全く同じ気持ちだと思うので。

 私の頭は、さてどうやって私のことを目の前の少女に説明するべきかというプレゼンの内容を考え始めていた。

 着替えを覗く、最低男にならなくてよかったなという安堵と、これからどうなるんだろうという不安を感じながら。


◇◇◇


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