第3話『私の死神』
ダミーヘッドマイクとは、ASMR配信などに使われるマイクだ。
立体音響というものがある。
特殊な環境や機材、奥行きも含めて音を録音するマイクを使い、マイクを通じてその音声を聞いている人たちに、まるで実際に聞いている者自身がそこで聴いているかのようなリアリティを得ることができるのである。
そんな立体音響にて使われる、奥行きまで図れる特殊な機材こそが、このダミーヘッドマイク。
耳と耳の距離、頭部の形状による音の響き方。
それらを物理的に再現することによって、よりクオリティの高いASMRなどが実現される。
そんなものが、私と目を合わせている女性の瞳に移っている。
そして、彼女の瞳には人間の体は映っていない。
ここから推測できることは、何か。
『生まれ変わってる……?』
結論を言おう。
私は、いつの間にかダミーヘッドマイクに転生していたらしい。
『いや、何で?』
私の言葉に答えるものは誰もいなかった。
メイドさんたちは、機材の設定を終えて、立ったまま静止していた。
まるで、私の言葉が耳に入っていないかのように。
その姿も様になっている。
『いやいや、本当に人生とはわからないなあ。いや、人生ではないのか』
どうもあまり実感がないが、私の人生はもうすでに終わったらしい。
朧気だった記憶がはっきりしてきた。
疲れた頭で、駅に座り込み自分の人生を悲観していたこと。
その時、自分と同じく人生につかれたような顔をしていた女子高生を見かけたこと。
その女子高生が、彼とは違ってまだ死ぬ勇気が残っていたこと。
それは止めなくてはというエゴで、彼女の腕をつかんで引き留めたこと。
イヤホンがとれたこと。
引っ張ったとき、彼女の泣き顔が見えたこと。
その直後、意識や感覚が不鮮明になり、おそらくは線路の上に転落したこと。
そして、電車に轢かれて死んだこと。
そして死んだ後に、どうやら、転生というものをしたらしいこと。
私は理解し、納得した。
いや、そもそもこれは転生なのだろうか。
異世界で他人に生まれ変わってチートを……というのはよくあるパターンだったような気がするがそもそも生物ではない物体に意識が乗り移った場合それを転生と言ってもよいのだろうか。
むしろ、それは憑依であるような気がする。
付喪神という方が適切かもしれない。
長年使われたものに、意識が宿るという妖怪だ。
まあ、このマイクが長年使いこまれているのかどうかは知らない。
でも今機材を設定されているんだから、新品だと思う。
そう考えると、付喪神というのも不適切か。
あるいは、リビングアーマーとかそういうタイプが近いかもしれない。
死後、死者の魂が鎧に宿り動き出すモンスターである。
死者の魂が宿っているのは間違いないから、これが一番近いかな。
私の場合、マイクだし、動けもしないけれど。
なんなら、声を誰かに届かせることもできないみたいだ。
いや、声は出せるんだけど、出しているつもりになっているだけらしい。
スピーカーとしての機構はこのマイクには存在していないから、仕方がないかもしれない。
いずれにせよ、生まれ変わりというのは違和感がある。
でもよく考えると、ネット小説においては無機物への憑依も転生と呼んでいたような気がする。
ネットにアクセスできないので検証のしようがないが。
手がないとアクセスも何もあったものじゃないからね。
あくまでも私の頭の中限定ではあるが、ここでは転生という概念でまとめることにしよう。
わからないことを、いつまでも考えたってどうにもならないではないか。
一旦結論をまとめて思考を終わらせるのは大事だ。
報告が出来なくなる。
『まあそう思ったところで、結局誰かに共有できるわけでもないからどうでもいいんだけどね』
先程から何回か、言葉を発しているが、その言葉はメイドさんたちには届いていない。
大声で叫んでみたりしたが、彼女たちは先ほどから微動だにせず入口の方を向いて立っている。
因みに、口を開くことを意識すると声は出せる。
他者には、少なくともメイドさん達には声が届かないようだが、思考を纏めることはできる。
それに、他の方法での干渉もできない。
たまに、無機物転生で物を念動力で動かしたりしている話があったが、そういうことはないらしい。
残念だ。
『さて、感情の整理を……』
ダミーヘッドマイクという、わけのわからないものに生まれ変わったわけだが。
当然私の気持ちはぐちゃぐちゃであり、言語化による整理整頓が必須だと考えた。
私は、この転生をどう思っているのか?
『いや、最高だね』
労働もない。
残業もない。
奨学金の返済もない。
何にも縛られることなく、ぼんやりと生きていける。いや、もちろんもうすでに生物ではないけど。
無論他者との交流を図ることは出来ないが、私の人生において他者との交流はパワハラだったりクレームだったりととにもかくにもマイナスが大きすぎた。
だから今更誰ともかかわれなくても、別にどうでもいい。
人に虐げられない、踏みつけられない、自由な第二の生を手に入れたのだから。
『こう考えると、あの『死神』さんには感謝しかないなあ』
気分が高揚して、つい独り言ちる。
あの女子高生当人はそんな意図は微塵もなかったはずだが、結果的には万々歳だ。
……そういえば、結局あの子は無事だったんだろうか。
今となってはもう確かめるすべなど一切ないが、それでも生きていてくれたら私は嬉しい。
まあ、ただの感想なのだが。
おや、お嬢様とやらがお帰りか。
おそらく、このマイクを使う人だろうか。
配信者とかかな。
あるいはネット声優かもしれない。
それにしても、お嬢様、ね。
クリエイターやエンターテイナーなどといった、そういう不安定な仕事を成功させるには、実家が太いことが必須であるという記事をどこかで読んだ。
使用人を最低で三人、あるいはもっと多いのか。
それだけ雇えるような人間が、裕福ではないはずがない。
そのお嬢様とやらの顔も知らないが、正直羨ましいと感じてしまう。
世の中には、明白な強者と弱者、その二種類だけが存在する。
私のような、踏まれすり潰されるだけの弱者がいる。
上司や社長のように、何もせずに胡坐をかいているだけで生きていけるような生まれながらの強者もいる。
そしてこの理不尽な世界で、弱者が強者に這い上がるのはほぼ不可能だ。
逆はままあることらしいが。
そして、私の持ち主は間違いなく強者の側だ。
それも、生まれながらの絶対的強者。
私のように、奨学金とブラック労働に潰された弱者とは真逆。
一体どんな面構えなのか。
ドアが、ドラマでよく見るお屋敷のそれ並みに大きな扉がゆっくりと開き始める。
三人のメイドが、あわてて移動する。
ドアの方を、ドアの向こうにいる主人の方に体を向け、お辞儀をして待機する。
その所作は堂に入っており、異世界に迷い込んだのではないと思うほどで、つい見とれてしまった。
それからぎい、とドアが動く音で正気に戻された。
最初に目に入ったのは、ロマンスグレーの執事だった。
どうやら、彼がドアを開けたらしい。
そして、一人の人物が姿を現す。
「お嬢様」、とやらはどんな人物であろうか。
よもや、テンプレートの金髪縦ロールではあるまい。
そんな派手な人物、コスプレ以外で存在しないだろう。
さて、開いたドアから入ってきた人物に視線を向けて。
『……は?』
私は、理解できなかった。理解不能に陥った。
マイクになっていることを知った時より、死んだことに気付いた時より、転生したことを理解した時より、はるかに大きな動揺が私を包んだ。
私は、この屋敷にはいったことはない。
それは断言できる。
そして使用人たちにも見覚えは断じてない。
だが、一つだけ見覚えのあるものが、存在する。
黒く、切り揃えられた艶やかなボブカットの髪。
紺を基調とした、ブレザーとミニスカート。
黒く上品な靴と、ニーソックスの隙間からは絶対領域が垣間見える。
手は白く、細く、今にも壊れてしまいそうで。
目はとても大きく、鼻は小ぶりで唇が薄いがゆえに余計にそれが際立つ。
目の前の少女に、「お嬢様」に、私は
彼女は、私が
私の目の前で、自殺しようとしていた少女ーー私の死神だった。
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