その日のおしまい

 一方、その頃。

 中畠遥多はやっとの思いで自宅に帰って、玄関口で座りこんでいた。

 足腰に力が入らない。高鳴る鼓動に全身が支配されて、自分が制御できない。

 彼が触れた手のひらを、神頼みするような気持ちで握りしめて、目を瞑った。

 嬉しかった。一緒にご飯を食べてくれた、話をしてくれた、たったそれだけで心の奥底の濁っていた部分が浄化されていくようだった。車内で揺られながら、やんわりと、正論で諭されてしまって、消えかけていた『寂しさ』を思い出してしまって――その程度で機嫌を曲げる弱い自分が許せなくて、彼を拒んだ。それだけだったのに。なぜ。

「うううう……」

 哲学も理想も理屈もすべてなす術無く無意味と化した。全身の細胞がしゅるしゅると作り変わっていく感覚がした。すべての意識が一人のもとへ急転直下に向かっていく。黒猫は墜落していた。真っ逆さまに落っこちていた。つま先の細胞まで恋する気持ちに染まり上がって、今度こそ後戻りが出来なくなってしまった。

 訳もわからず涙が出てくる。

 自分が、彼を知る前と同一ではいられないことを、電光石火で理解する。

 違う生き物になってしまったことを理解する。

 後戻りはできない。たった一匹の小さな黒猫には、初めての感情に翻弄されるしか術がない。

「小森の、ばか……!」

 

 想いは交錯する。

 来る歴史に残る大戦争の、二ヶ月前の出来事である。


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その時、黒猫は寂しかった 野々村のら @madara0404

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