麗らかな春の昼下がり。優しい陽射しが図書館の本たちを浮かび上がらせている中、少女が一人、窓辺に座って本を捲っていた。真っ直ぐに伸びた黒髪、整った顔立ち。陽炎となって、ゆらりとこの空間から消えていきそうな、儚げな雰囲気を持ち合わせている。

「よぉ、〈一律の番人〉」

 いつの間にか少女の側に一人の青年が立っていた。彼女は顔を上げ、しかし無表情はそのままに彼の姿を認める。パタンと本を閉じると、ため息をついた。

「遅かったですね」

「おいおい、全部を俺に任せておいてそれはないだろ。それに、ちゃんと任された任務は全うしたぜ?」

「一匹の子供ドラゴンを運ぶだけなのに、油を売りに回りすぎてます。それに、あなたは馬鹿ですか? 方法すらもわかっていなかったなんて、さすがの私も今回ばかりは呆れ果てました」

「…………」

「しかも自分で思いついた方法ではありませんし。井伏真緒さんにお礼すら言いませんし。全く」

「……何で知っているんだよ、そのこと」

「〈浮浪者〉が、聞いて呆れますね。ま、今に始まったことではありませんけど」

 彼女はもうため息をつき、二つの本をすっと彼の前に置いた。それぞれ、『崖の上の決壊者』、『Rоllⅰngdays ~二人の戦士と白い竜~』と書かれている。それが題名らしい。

「今回の話は、ここ葉澄中央図書館に図書として存在したので、あなたの動向はほぼ全て私には筒抜けなのです」

「あぁ、全ての世界の中心にこの世界、〈葉澄〉があるんだったか? そしてその世界に存在するのが〈一律の番人〉」

「ま、といっても今回が初めての仕事らしい仕事ですけどね。あのゲームが終わってから、三大神の第二神であるという彼に会ったときは驚きましたよ。幾つもの世界……それを統べ護る三つの神。神々の中立の存在として世界を監視してほしいなんて、ただの中学生である私に言ってきたのですからね。しかも『監視』に必要とされる世界を『見』、『感じる』力を与えられるときています。ま、さすがはさすが……絶対神としての三大神、ですか」

「驚いた? はん。お前が言うとそれほど虚しく響く言葉もないな。それに、お前がただの中学生であるなんて、誰も信じないぞ。言っておくが、お前がどういう生い立ちでどういうことをやらかしたどういう存在なのか――それは、あいつから聞いているんだ」

「そうですか。私もですよ」

「……何?」

「私の『仕事』をしやすくするために私たちを引き合わせた彼からは――あなたのことをよく聞いています」

 険しくなった彼の目に晒されながらも、彼女は変わらない涼しげな顔で視線を本に落とした。

「ところで、今回、あなたに一つ間違いがあるんですが、わかっていますか?」

「何だ? もしや俺の存在自体が間違いだとか言わないよな」

「ま、それもそうですが。私は今回と言いましたよ」

「…………」

 沈黙した彼を半ば無視するように、彼女は話を進めた。

 それにしてもこの少女、ヒースクリフ、権兵衛こと『浮浪者』を沈黙させるとは、なかなかの強者だった。

「三大神 樹珠のことです。樹珠が持っているのは迅速な足のみ。『彼』のように、均衡を司る神ではないのですから、そのものの場所まではわかりませんよ。ナーガが無事だと言った時点で大体読めるでしょうに、あなたは」

「あぁ、わかったわかった。そうだよな、冷静に考えてみれば。でも、終わりよければ全てよし、だ。ナーガも見つかったし」

「……終わり、ですか。終わり、ね」

「何だ?」

「本としてここに在る『物語』は『終わ』り完結しますが、所詮、続いていく時間のほんの一断片に過ぎないんですよね。物語はあれで終わりましたけど、あの二組がこの先どうなるかわかりませんし。ルーク王国はうまく事が運ばずに破滅へ向かったかもしれないし、あなたの予想通りに安藤勇希は非日常に溺れてしまい、自らの日常すらも壊してしまうかもしれない。それは、この本棚に続きの本が現れるか、あなたがもう一度立ち寄って続きを私に教えない限り、私が知ることは不可能なのですけれど」

「それはそうだが」

 彼は両手を広げて見せた。

「知る必要など始めからないさ。全てはそのように在る、それだけなのだから。お前や俺、いいや部外者である誰でもその真実を知ったところで、何も変わらない。意味などない」

「全てに意味を求める必要は皆無、そう言ったのはあなたでしょう」

「その通り。名などに意味はなく、家族、友達などの関係に意味はなく、真実を知ることに意味はなく、真実を知ろうとする心に意味はない。全てはそのように在り、又そのように変化していくのみだ。俺はそのことに執着しない。今までも、これからもそうだ」

「……何だか、自分に言い聞かせているように聞こえますよ?」

「気のせいだろう、きっと」

 そうですね、と彼女は言った。その時、無表情を貫き通していた彼女の目に、不安のようなものが陰った。目を瞑ってゆっくりと頭を振ってから、彼を見上げる。その時には、目の陰りは消えていた。

「それでは、私も他人のことではなく次のテストの心配でもすることにしましょう。長いこと学校を休んでいたので、大変なんですよ」

「お? 意外だな。お前がテストの心配か」

「えぇ。いきなり全教科五百点満点をとるのはあまりにも目立ちすぎますし。加減が難しいんです。今、どのくらい取ればベストか、考えているところです」

「…………」

「冗談ですよ」

「……冗談に聞こえないって」

 鳥肌がたったのか、彼は腕をさすった。彼女はそんな彼を相変わらず無表情で眺める。

「お前って、時々面白くもない冗談言うよな」

「そうですか?」

「もう少し笑うとかはないのか? お前は世間一般的に言う可愛い顔というものをしているのだろう? それが台無……うぉ!? おい〈一律の番人〉、何をする!」

「私は、私を可愛いと言う人を全て敵と見なすようにしています」

「何故に何故!?」

「可愛いというのは自分より下の者、つまり犬や赤ちゃんなどに使う言葉。それに、そもそも可愛いという言葉は『幼さや弱さを感じ取り、まもり慈しみたいと思う様』や、『外見・しぐさ・性格・行動様式がほほえましく、愛情を感じさせる様』という意味であり、それに……」

「……ストップ。そのくらいでやめておけ。お前に可愛いという言葉は似合わないということはよく理解した」

「とにかく、私は自分に向けられるそれらの感情を軽蔑し断固拒否します」

「お前はまずその捻じれに捻じ曲がった性格を直せ」

 彼は口だけでひきつったように笑うと、ふらっと彼女に背を向けた。さて、と大きく伸びをする。

「今回、俺は働きすぎて疲れた。本来の〈浮浪者〉に戻ろうと思う。さらばだ、〈一律の番人〉」

「私の名前は、北条純玲ですよ」

「ん? 一体どうした、今まで気にしてなかっただろう」

「そうだったんですけどね……。気が変わりました」

「ふむ。まぁ、いいが」

 納得してなさそうな顔で頷いた後、彼はひょい、と子供用の絵本が並ぶ小さな本棚に飛び乗った。窓の鍵に手をかける。

「ではまた会おう、北条純玲」

 窓を開けると、大きな風の塊が一気に図書館の中に入った。その風が止んだ頃、そこに彼の姿はなかった。

「……ま、いいですけど」

 こう呟き、彼女はもう一度書物に目を移した。またその空間に静寂が戻る。春の陽射しだけが、変わらずに彼女を優しく照らし出していた。

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崖の上の決壊者 × Rоllⅰng Days 野々村のら @madara0404

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