【 四 とある日の 】
「……本当に、行くの?」
私は、目の前に居座っている玉灯森を見上げて、最後の抵抗を行う。夜の玉灯森は、何故昨日は入っていけたんだろうと思うくらいに、妖しく浮き上がって見えた。
「最終手段だ。時間がない」
「諦めろ、真緒」
権兵衛さんと勇希くんは、覚悟を決めたのか、堂々と玉灯森を見上げた。権兵衛さんが一歩踏み出すと、勇希くんもそれに続く。私は慌てて二人に着いていった。
*
半日前。
「何だって? 夜の玉灯森に入ったと? あの玉灯森に入ったと、お前は現在から十秒前、そう言ったのか?」
また私の部屋にやってきた権兵衛さんは、私に詰め寄っていた。私がその剣幕に圧倒されながらも頷くと、壁によりかかってため息と共に額に手を当てる。
「おいおいおい、それはないだろ。ていうか、まともな神経してたら入ろうとも思わないはずなんだが。なぁ、誰かに会ったりしたか?」
「うん。男の子に一人。でも、用があったとかじゃなさそうだったよ。玉と境がどうたらとか、昔話みたいなのを話して、どっか行っちゃった。あ、あとナーガは無事みたいなことも言ってた」
「……まぁ、過ぎてしまったものは仕方ないが。あー、そうか、あいつに会ったのか」
それまでの会話を聞いていた勇希くんが不思議そうに尋ねた。
「なぁ、玉灯森って何なんだ?」
「言うなれば、神域だ。最も危険で、最も安全なところ」
「あからさまな矛盾だな」
「いや、そうでもない。要するに、安全だと思えば危険で、危険だと思えば安全、神に気に気に入られなければ危険で、その逆は安全。それだけのことだ」
そう言って、権兵衛さんは部屋を徘徊し始めた。
「あー、でもそうか。その手があったか。でもなー」
「権兵衛さん?」
「あいつに聞けばナーガの居場所なんて一発なんだよ。本来、神は自分の使命以外物事の流れに口を出すことはないんだが、これは世界の破壊と消滅が関わるから、おそらく協力してくれるはずなんだ。でも、俺はあいつが嫌いなんだよ」
「はぁ」
「ガキの面してくるくせに、全てをわかっているような物言いで。できれば関わりたくない。――いや、あいつの場合本当に全てをわかっているんだが」
「ねぇ、あの男の子って何だったの?」
「三大神が第一神、樹珠」
権兵衛さんはその名前を言うと、足を止めてため息をついた。
「森に住み、運命と玉を司る銀色の毛並みを持つ狐。あいつの目にはあらゆるものの運命が見えていて、それが都合の悪い運命であれば芽が出ないうちに種を摘む。ある事件で元の三大神 彌緑が死に、新しく生まれた奴だ。でも、あいつは神と生まれることを望まなかった。あいつも可哀想な奴だよ。皮肉なことに、自らの運命から逃れることはできなかったんだ」
権兵衛さんはもう一度ため息とつくと、呟いた。
「まぁ、背に腹は変えられない。よし、夜に玉灯森に行こう」
*
――という訳で。今、私は玉灯森の中にいた。森は昨日と変わらず、異様な雰囲気を醸し出している。ただ、昨日と違うのは、前に権兵衛さんと勇希くんがいることだった。
私はいい加減嫌になってきて、口を開いた。
「ねぇ、さっきから同じところをぐるぐる回ってない?」
黙殺された。おそらく、二人とも同じことを思っていたのだろう。前も見た切り株が見えてくると、ため息をついた。
大丈夫かな。知らない間に迷路に迷い込んでるとか、ないのかなぁ。権兵衛さんに任せておけば大丈夫だとは思うけど。……本当に? 本当に私は、この人をそこまで信用していいのか? ただ間違いないのは、三大神だとかいうあの男の子は私たちを歓迎していないということだ。
前から舌打ちの音が聞こえた。
「お前、いい加減にしろよ。俺たちはナーガの居所を知るためだけにここに来た。とっとと姿を見せたらどうだ」
権兵衛さんが、すたすたと歩きながら言った。あの子に話し掛けてるんだろう。
――しょうがないなぁ。
音で作られた言葉。そうとしか表現できない音が、直接頭に入ってきた。そして次の瞬間、私は視界に銀色を捉える。
ポーン――……
私たちの横を、銀色の発光物がしたっと駆けていった。まるでそこだけ闇が存在していないような、闇を切り開く銀の光。木の間を擦りぬけて、それは去っていく。
一瞬我を忘れてしまうほどに、それは美しかった。聖なる獣。堂々たる、狐……。
そして、
ポーン――……
気がついたら、私たちは玉灯森の入り口にいた。この前も経験した、まるで狐につままれた感じ。いや、まるでじゃないのか?
「うぎゃっ」
「……権兵衛さん?」
いきなりの悲鳴。権兵衛さんは何かと戦いながら、すぐ側の街灯まで行った。
「ナーガ!」
私は権兵衛さんと戦っている白いドラゴンを見て叫んだ。ナーガは私を見ると、権兵衛さんの手を擦りぬけて、私に向かって飛んでくる。やっぱり飛べるようになったんだ、と思いながら、私はナーガを受け止めた。
「大丈夫か? って、何でいきなり……」
「言っておくが、俺は知らないぞ。いきなり頭の上に乗っかってきたんだ」
権兵衛さんの姿を改めて見て、私ははっとした。権兵衛さんの影が薄い。存在そのものが曖昧だと言っているように。
「おそらく、町に迷ってたこいつをあいつが保護してたんだろうな」
私の視線を感じたのか、権兵衛さんは何気なく街灯を離れた。
「でも、別れるのが惜しくて、少しの間預かった、と。こんな感じだろ。ま、あいつも寂しがりやだから、たまの友達が貴重なんだろうな。ったく、人の迷惑も考えずに」
「私はナーガが無事ならいいけど」
「はん」
権兵衛さんは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「ま、でもこいつを向こうの世界に送り込むのは明日になるだろうな」
「え、何で?」
「あっちがお取り込み中。少し待った方がいい」
「ふぅん」
よくわからないけれど、ナーガと一緒にいる時間が長いに越したことはない。
ナーガが、私たちの心配なんてなかったかのように、呑気に鳴いた。
「よぉ、井伏真緒、安藤勇希。もしや逃げていないだろうな?」
もしかしてこの人は、人の名前を普通に呼ぶことができないのかもしれない、と約束の時間きっかりに現れた権兵衛さんを見て思った。
勇希くんは朝から不機嫌だったけれど、権兵衛さんに背中を向けて座った。
「さっさと連れてけよ。一刻も早くしないといけないんだろ」
「あぁ。もう行くか」
権兵衛さんはナーガを抱き上げると、窓まで歩いた。腕の中で、キャーン、とナーガはいつものように鳴く。ナーガは何が起きるか全くわかっていないように、無邪気な目で、こちらを見ていた。いや、わかっていないも何も、ナーガに私たちに執着などないのだろう。ナーガにとって私たちは、いてもいなくても同じな存在なのだ。
思えば、ナーガと暮らした日々は、とてもとても短い時間だった。
権兵衛さんは窓枠に手をかけて、ひらりと手を振った。私も手を振り返す。多分、私は今――笑えていると思う。うん、笑顔なはずだ。
「もう、会うことはないだろう。じゃあな、井伏真緒、安藤勇希」
「うん」
「勝手にどっか行け。二度と来んな」
勇希くんは最後まで、背中を向けたまま憎まれ口を叩いていたけれど。勇希くんを見て、権兵衛さんは寂しそうな感じに苦笑した。彼も、別れを寂しいと思うようなことがあるのだろうか。
「じゃあな」
ぱっと権兵衛さんは手を離した。一瞬で二人の姿は見えなくなる。けれど、
「うぎ」
…………?
窓の外を見ると、やはり何もなかった。何だったんだろう、さっきの。まるで悲鳴が都中でぷっつりと途切れたかのような……。ま、いっか。
顔を上げると、青空が見えた。どこまでも透明な青い空。
不思議と、涙は出なかった。昔、友達が遠くに引っ行った時はすごく泣いたのに。
もう二度と会えないけれど。すごく悲しいけど。心にぽっかりと穴が開いたみたいだけれど。
ナーガの世界がどんなものなのか、私が知ることはできない。でもきっとここよりもっと自由で、素敵な場所なんだろう。
私たちは、自分の生きるべき場所でこれからも生きていく。
ナーガが去ってから、ずっと勇希くんは背中を向けたまま黙っていた。気持ちの整理というものがあるのだろう。だとしたら、私はここにいるべきじゃないのかもしれない。
私が立ち上がって部屋を出て行こうとした時、後ろからいつもの元気な声がした。
「真緒、化け桜、見に行くぞ!」
「……え?」
振り返ると、いつもの勇希くんがいた。子供みたいに目をキラキラさせて、いたずらっ子のように笑って。
「ちょ、ちょっと待ってよ、勇希くん。そんな、いきなり……」
「いや、いきなりじゃない。春休みの始めの頃に行こうって約束してただろ。ナーガのことで色々あって、有耶無耶になっちゃったけど」
「あー、ごめん、勇希くん。私、宿題があるんだった。だから、今回は一人で……」
「何言ってんだよ。小学生以上中学生未満の春休みに宿題なんかあるわけないだろ」
「うー」
勇希くんはよっこらしょ、と窓を跨いで、木に飛び乗った。木の上で振り返り、私に笑顔を向ける。
「じゃあ、また夜になったら迎えに行くから」
そしてするすると降りていき、私の視界から消えた。忘れたと思ってたのに。この、勇希くんの暇人変人大魔人!
「……アカリを番犬に使おうかな」
結構効果あるんだ、これが。
こんな日々がずっと続いていくのだろう、と思った。それは、願望に近いものだったけれど。
井伏真緒、もうすぐ中学生になります。
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