〔 四 崖の上 〕

 目が覚めると、カノンの後ろ姿が見えた。ふらふらとした足取りで、必死に立ち上がろうとしている。しかし、すぐにガクッと崩れ落ちた。

「カノン!」

 パッと立ち上がって、体を支える。顔を覗き込むと、カノンは思いつめたような表情をしていた。しかし、すぐにふっといつもの苦笑を浮かべる。

「情けない……立つことすらままならないなんて。生まれたばかりの小鹿以下だわ」

「…………」

 けれど、小鹿はどこにも怪我はないが、カノンは足に大きな傷を負っているのだった。立てと言う方が無理な話だと思う。

 僕は黙って、カノンが座るのを手伝った。カノンは壁にもたれて安定した格好になると、ふう、と息をついた。それから顔を上げて部屋を見回す。

「ここは……」

「地下室だよ。確かに、ここなら床が抜けない限り安全だといえる。地上はいつ瓦礫が落ちてくるかわからない状況だったし、カノンは外まで動ける状態じゃなかったから」

「そう……じゃあ、運が良かったのね。入り口が埋まってないか、一か八かの賭けだったから。……ねぇ、一体何が起こったの?」

「わかってると思うけど、地震だ。砦はこの通り崩壊し、崖が崩れ地面は割れた。訳わかんないよ。いきなりにも程がある。僕なんか、はっきりとこの目で見たのにまだ信じられない」

「いきなりってことはないかもしれない。小さい地震が最近頻発していたから。この事態を予想することはできたはず」

 そう言って、カノンはまた目を瞑って息を深く吐きだした。そして、いつになく真剣な眼差しを僕に向ける。僕は思わずたじろいだ。

「今から言うことをよく聞きなさい、ヨセフ」

 まるで、幼子を諭すような、そんな口調。次に出てきた台詞は、予想外のものだった。

「あなたの瞳は茶色よね」

「…………」

 僕は黙ってカノンを見つめた。透き通るような青の瞳が、こちらを見つめている。

 突かれたくないものを突かれた。見たくないものに、触れられた。

「わかってると思うけど、ルーク王国の人々の瞳は、主に黒か青。茶色なんていないわ。それに、あんたは成長するに従ってその特徴が色濃くなっていく」

 僕は混乱していた。何で、いきなりこんな話をしてくるのかがわからない。今まで、それこそ初めて会った日から一度も、そのことをカノンが口にすることなどなかったのに。

 今まで、鏡を避けるようにして暮らしてきた。自分の姿を見るのが嫌だったからだ。みんなと違う自分の姿を。褐色の肌、茶色の双眸。根本的に違う顔のつくり。

 だから、ずっと忘れようとしてきた。街を歩けば物珍しげな目で見られても、気にしないようにしてきた。この砦に来たばかりの頃は、好奇の視線に晒され、中にはしつこく理由を訊く人もいたが、数年経った今、そのことについてとやかく言う人はいない。

 だから、長いこと忘れていた。自分が元々この国の人ではないということを。

「小さい頃に過ごした、都市の外れにある家、覚えてる?」

 首肯する。当たり前だ。

「だから、何だよ? そんな話は無事に地上に出た後に聞くから」

「いいから聞きなさい。あなたは私が住んでいた家の近くの森の奥にある『ニコラスの丘』に倒れていたの。私が一人で遊んでたら、怪我を負っている同い年くらいの男の子を見つけたのよ。しかも、その子は私たちと違った。異国の人なんて見たことがなかったから、正直気味が悪かったけど、揺り起こしたの。起きたその子が発した言葉を聞いて、予想はしていたけど、愕然としたわ」

「……けれどカノンは、そんなことをおくびにも出さずに僕を助けてくれた。僕を連れていてもみんなの目など気にしていないように振るまってくれたし、おじいちゃんもおばあちゃんも、僕を本当の孫のように大事にしてくれた。それに、僕はもう昔の言葉を話せない」

 あの二人は、もういないけど。あの優しい思い出は、いつだってこの胸に残っている。

 カノンが話してくれなくても、実を言うと、カノンと僕が初めて出会ったあの時のことは、何となく覚えていた。

 何もかもわからなかった。何故自分がここにいるのかも、何故こんなに体が痛いのかも。 不安で、どうしたらいいのかわからなかった。孤独なんて言葉はまだ知らなかったけど、心にぽっかりと穴が開いたようだった。よくわからないけど体中が痛くて、空腹で死にそうで、行く当てもないまま彷徨っていたら、遂にあの丘で倒れたのだ。

 目が覚めたら、青の瞳が綺麗な女の子が目の前にいた。その子が使う言葉も服も不思議なものだったけれど、その子はとても優しかった。体に負った傷も心に負った傷も、治っていった。

 昔のことなどすぐに忘れられた。自分が何故あそこにいたのか、考えようともしなかった。よく考えてみれば、僕は幸運だったのだ。

 僕は。

 親の顔を知らない。故郷を知らない。自分の誕生日も、本当の年齢も、名前も、何もかも。

 けれど、それが何だっていうんだ。

 カノンは変わらない悲しそうな目で僕を見つめる。

「あんたは、私しか知らないから。ずっと、傍にいたのが私だったから、私が全てだと思い込んでいるのよ。あなたは自由。助けられた恩など感じる必要はないわ」

 そこまで話されても、僕は、カノンが何を言いたいのかわからなかった。……いや、本当はわかっているのかもしれないけど。わかっていて、わからない振りをしているだけなのかもしれないけど。

 カノンは深く嘆息した。

「ヨセフ一人だけだったら今からでも外に出れるでしょう。いくら地下と言っても、天井がいつ抜けるかわかったものじゃないわ。早く出て、逃げて」

「……ふざけんな」

 唸るように声を出す。

「カノンにとって僕は、いつまでも変わらない、傷ついた何もできない子供のままなのか? ふざけんなよ。背だって今は僕の方が高いし、力だって強い。それに、恩を感じてカノンの傍にいるわけじゃないんだ。僕は、僕の意思でここにいる」

「……そう、なら本当のことを言うけど」

 カノンの口元に冷笑が浮かんだ。

「この国でも一部の人たちしか知らないけれど、開拓使はもうとっくに帰ってるのよ」

「え」

 予想外の言葉に戸惑っていると、カノンは構わず続けた。

「白皇隊でも父さん……ダグラス隊長とネオン副長しか知らないわ。この前、二人が話しているところを聞いたの。ヨセフのことを受けて、王家は海の向こうに何かがあると踏んで、そちらに人を送ったのよ。でも、結局開拓使は海の向こうの大陸に渡ることは成功したけれど、その大陸には何もなかったんですって。いや、正確には元は栄えた国だったのだろうと思われるところが、そこに広がっていたのよ。多分、ヨセフは戦火を逃れてきた民だったのね。漂流していたところで何か事故にあったのか、ヨセフ一人がこの国に流れ着いた」

「じゃあ……何で、王家は皆にそのことを公表しないんだ?」

「わからない?」

 そう言われて、気づいた。いつかのカノンの言葉。

「希望を消さないため……?」

「そう。これでわかったでしょ? この国にはもう希望も何もありはしないのよ。このまま意味のない戦争をし続けて、国を守る意味はもう私には見出せないわ。私はもう疲れたの。これ以上仲間を見送りたくないし。飢えによってや戦場で死ぬよりは、ここで死ぬ方がましよ」

「そう……」

 僕は静かに頷いた。不思議と心は静かだった。どこかでこんな日が来ると予感していたためもあるだろう。

「じゃあ、僕もここに残る」

「何言ってるの、私とあんたは何も……!」

 その時、上から声が聞こえた。耳を澄ますと、僕たちの名前を呼んでいる。僕は思わず立ち上がった後、カノンを見た。

「……カノン」

「勝手にすれば」

 僕はその言葉に頷いて、上を見上げてその声に返事をした。



 ――結局。

 砦は崩壊し、中にいた多くの鬼族たちが死に到った。第一軍と第二軍の一部も勝利を収めて帰ってきたが、死傷者の数は多いようだった。鬼族たちの軍隊は引き上げ、ルーク王国は今回も無事だったが、白皇隊は大きな痛手を被ったのだった。

 それでも僕たちは戦う。それぞれの思いを胸に秘めて。何度傷ついても、仲間を失っても、道が見えなくなっても。

 顔を上げて、胸を張って、白皇隊の戦士としての誇りを、貫き通すのだ。



 数週間後、寝場所の確保やこれからの方針などが決まり一息ついた頃。僕たちは崖の上にいた。

「みんな集まったか」

 白皇隊の収集をかけたダグラス隊長は一つ高いところに立って見回す。僕は足がまだ治っていず立つことのできないカノンの横について、遠くで眺めていた。

「今回は、みんなよく頑張ってくれたと思う。特にカノン・ジュラ、ヨセフ、ニコラス。二人だけ決断し、行動したことは、本来なら厳重に処罰するところだが、今回はその功績に甘んじて許そうと思う。我らの祖国が無事だったのは、二人のお陰と言っても過言ではない」

 誰からともなく拍手が始まり、僕は身を硬くした。けれど、その横でカノンはいつもと同じように、欠伸をする。いつものカノンだった。

「さて、今日集まってもらったのは、他でもなく、一つ報告をしなければならないことがあるからだ」

 ダグラス隊長が皆を見回す。みんなは拍手を止めて隊長を見た。静寂。十分な間を取った後、ダグラス隊長は口を開いた。

「開拓使が帰ってきた。タハイ王国という国が、我々を受け入れてくれるそうだ。海の向こうにある国だが、暖かく青空の綺麗な豊かな国らしい」

 おおーと、歓声が大きくなった。僕はその中で一人混乱する。カノンと言っていることが違うじゃないか。

 カノンをチラと見ると、彼女はふわぁ、ともう一度欠伸をした。……嘘つきはカノンだな、と確信した。

「しかし、喜ぶのはまだ早い」

 ダグラス隊長は厳しい顔で続けた。

「鬼族との戦いはまだ決着がついていない上、砦もあの通り崩壊し状況はますます厳しくなった。言うまでもなく、今回の地震で王国が大きな被害を受けたことはもう伝わっているだろう。大変なのはこれからだ。君たちにはもう少しだけ、戦ってほしい」

 そしていつもの笑顔になって、拳を掲げた。

「いいな、これからが勝負だ! 気を引き締めろ!」

「おー!」

 皆も一斉に拳を掲げる。僕も少しずれたけど、同じように拳を掲げた。希望という、この力は大きい。仲間を失い、砦を失い、今の状態の不安定さに疲れたみんなの心が、一気に回復したようだ。一致団結。僕の心は、珍しく晴れ晴れとしていた。


 みんなが解散した後、僕は相変わらずぼーっとしているカノンに視線を移した。

「何であんな嘘ついたんだよ」

「……知ってるくせに」

 カノンはこちらを見もせずに呟いた。これ以上言う気はないみたいだ。

 あの時カノンはすぐに助けが来るなど思っていなかったから、僕を無事に外に出すことに必死だった。だからあんな嘘をついた、と。なかなか現実味のある嘘だった。無条件で鵜呑みにしてしまったほどに。

 と、その時。

「ゃあ~~~!!」

 変な悲鳴。まるで、切り取ったような。そのすぐ後、ドシーン、という衝撃があった。

「……ヒースクリフ?」

 ヒースクリフが、木の上から落ちてきた。彼は痛そうに腰をさすっていたが、やがて僕たちの視線に気づいて、力なく手を挙げる。

「や、やあ。今日もいいお日よりで……」

「この国は毎日曇りだけど」

「あぁ、そうだっけ」

 大丈夫だろうか、この人。

 ヒースクリフはよっこらしょ、と立ち上がると、首もとのスカーフを解いた。……鮮血。首の付け根に血がポタポタと垂れている。僕が呆然としていると、彼は自分の血を見てあーあ、と呟いた。もう少し慌てるとか痛がるとか、ないのだろうか。

「どうしてくれるんだよ、全く。スカーフが台無しだ。そうか、つまりあれか。お前は俺が嫌いだと。でもそれは逆恨みだぞ」

「…………?」

 何だろう、話している相手は僕たちじゃないみたいな印象を受ける。でも、ここには誰もいないはずなんだけど……。そして、見つけた。彼の右手が、白い子供ドラゴンの口を掴んで宙にぶらさげている。バタバタと手足のみならず翼まで動かしているが、彼の手から逃れるのは難しそうだ。

「それは、白皇様?」

「あぁ。ナーガという名前だそうだ。じゃ、返したからな。任務は果たしたぞ」

 ヒースクリフは忌々しそうに、荒々しくカノンに白皇竜を押し付けた。白皇様は、涙目になってカノンの胸に飛び込む。カノンに抱きかかえられると、くるりと首を回してヒースクリフにあっかんべーをした。ヒースクリフは不快そうに鼻を鳴らす。

 白皇様は、そこで我に返ったように、何かを探すようにキョロキョロと辺りを見回した。いや、誰かだろうか。

「何だ? あいつらならいないぞ。何故なら、世界が違うからだ。もうあいつらは、どこにもいない。これから先会うこともないだろう」

 白皇様が寂しそうに鳴いた。カノンが頭を撫でると、ブルルッと頭を振る。

「……ヒースクリフ」

「うん? 俺の言動が引っかかったか。あまり多くを話す気はないぞ。この世には謎にしておくべきなことも多くあるんだ」

「あぁ、その通りだな」

 突然の背後からの声に振り返ると、ダグラス隊長が爽やかな笑みとともに立っていた。ヒースクリフが、隊長の姿を捉えて顔を引きつらせる。

「あぁ、隊長…これはこれは……。というか何だ、この状況は。俺はお久しぶりですとでも言うべきなのか」

「あぁ、お前は少しも変わらないな。あれからもう三十年経つが。あの時は確か……お前はウィルと名乗っていたよな。なぁ、白皇隊第一軍所属のヒースクリフ?」

「あぁ、うん。そのことを弁解する気は更々ないが」

 ヒースクリフは困ったように視線をうろうろと動かした。この二人、面識があったのか。っていうか、三十年変わらないって……。

「人の世というものは不思議なものだな。三十年前、瀕死の状態だったわたしをお前が助けてくれなかったら、カノンは生まれていなかった。カノンが生まれていなかったら、ヨセフは誰にも助けられることなくあの丘で死んでいただろう。そして、ヨセフが死んでいたらタハイ王国を見つけられることはなく、王国は滅んでいた。これを運命と呼ばずして何と呼ぼう?」

「偶然だ。そして、お前を助けたのは俺の気まぐれだ。後で後悔した。俺は何の味方にもつかない主義、というかそうあるべき存在だからな」

「偶然に、気まぐれか。お前らしいな。しかし、突き詰めれば我らの王国に希望が望めたのは、お前のお陰ということになる。さて、これはお礼を言うべきなのだろうか」

「その答えについては、その必要は皆無と言っておこう。さて、隊長。俺は長居をしすぎたようだ。帰ろうと思う……いや、元から帰る場所などないが」

「そうか」

 ダグラス隊長は穏やかに笑った。

「いつでも会いに来るといい。それと」

「ん?」

「もう一度、隊長ではなく昔みたいに名前で呼んでくれないか」

「……ダグラス・ジュラ。またの機会に」

 隊長が手を出して、ヒースクリフはニヤッと笑って、その手を握った。何となくかっこいい、と思った。彼は僕たちを見る。

「じゃあな、少年、カノン・ジュラ。それとついでに、ナーガ」

 自分の名前を呼ばれて、白皇様はもう一度べーっと舌を出した。

 っていうか、何で僕は最後まで少年なんだ。ため息をつくと、目の前のこの世界に浮き出て見える青年を見上げた。

「結局、お前は何だったんだ?」

 ヒースクリフは、いつものように笑った。

「それに答える意味はあるのか?」

「……いや、ないな」

「だろう」

 そして付け加えるように、

「そんなものさ」

 と言った。

 多分会うことなんてもうないんだろうと、僕の勘が告げていた。けれど、彼はいつものように手を振って、僕たちに背を向ける。身軽に幹を蹴って、奥の木に飛び移り、そして次の瞬間には、あの鮮やかな緑色と共に消えていた。

 いや、もしかしたら彼はまた明日もいつものように、木の上でニヤニヤ笑っているのかもしれない。おい少年、と気軽に呼びかけて。


 ギャー、とカノンの腕の中の白皇様が鳴いた。いや、ナーガっていう名前なんだっけ?

「さて、白皇様……いや、ナーガかな? 彼はとりあえず私が預かろう。砦は崩壊してしまったし、完成するまでどこにいていただくかネオンと相談してみるよ」

 隊長がカノンからナーガを受け取ると、ナーガは名残惜しそうにカノンに甘え声を出した。女好きなのか、こいつ。そんなナーガに、カノンは微笑みながら手を振る。

「ごめんね、私、人間にしか興味ないの」

 それを聞いて、僕は自分が人間だということを確認する。カノンの背後でガッツポーズを作ると、すごい目で睨まれた。はっはっは。いや、何か悲しいけど。

 隊長の姿が見えなくなると、カノンはまたぼんやりとみんなの様子を眺め始めた。独り言のようにポツリと呟く。

「父さんの話でも出てきたけど。開拓使が、あんたの故郷に行った、っていうのは本当なのよ」

「うん」

「後は父さんが言った通り。だからね、ヨセフ。その」

 いつもと違う歯切れの悪さを訝しんでカノンを見ると、彼女は言いずらそうに下を向いた。そのまま、僕にしか聞き取れないほどの声で言う。

「もしかしたら、両親に会えるかもしれないわよ。じゃなくても、昔の友達とかに。……記憶も、戻るかもしれない」

 僕はそれを聞いて、笑った。カノンの隣に座って、木にもたれる。

「あのさ。僕は白皇隊を抜けようと思うんだ」

「え?」

 カノンが初めて驚いたように僕を振り返った。久しぶりにカノンを驚かせられたな、とちょっと誇らしく思う。

「今回の地震で大勢が被害に遭い、苦しんでる人も多いと思う。そういう人の力になりたいし、それに何よりも、違う視点からもう一度この国を見つめ直したいんだ。僕なんかが何ができるかはわからないけど、国をまとめるために走り回ってみたい」

「……いいんじゃない?」

 予想通り、いつものそっけない言葉が返ってきた。視線はもう僕の方を向いていない。

「でも行く当てなんかあるの? 思いつきだけで行動して、野たれ死んでも知らないわよ」

「問題はそれなんだよな。王軍への移動の申請でもしてみようかな」

 それっきり僕たちは何の会話もないまま時を過ごした。そろそろ麓に張った野営地に戻ろうと腰を浮かしかけた時、カノンの呟きが聞こえた。おそらく独り言。

「……そっか。それがいいのかもね」

 もしかして、ずっと考えていたんだろうか。

「カノン……」

「ん?」

「いや、何でもない」

 笑って流そうとすると、カノンは怪訝そうに僕を見た。

「さてと」

 僕はよっと、と立ち上がり、体を伸ばす。カノンを振り返ると、手を差し出して笑った。

「行こうか」

「そうね」

 カノンは僕の手を取ると、立ち上がった。

 揺らぐことを知らない瞳、いつも涼しげな表情。彼女が今何を考えているのか、長い付き合いなのに僕にはわからない。

 この関係が、この先どうなるかはわからないけれど。僕はカノンにはなれないだろう、と思った。だから、わからない。でもいいや、僕は僕のままで。

 僕の目の前で綺麗な金髪がゆらりと揺れる。怪我をしているのにも関わらず、カノンは当たり前のように僕の前を歩いた。                                    

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