【 三 世界の法則 】
奴が来て、三日目。事件が起きた。いちいち順序正しく説明する能力は私にはないので、結論から言おうと思う。
奴――ナーガが、いなくなった。
「どこ行ったんだよ、あいつ!?」
「知らないよ、朝起きたらいなかったんだから!」
空のダンボール箱の前で、私と勇希くんはケンカをしている。そんな私たちを、くしゃくしゃになったくまのぬいぐるみが悲しそうに見つめていた。
「あ、そういえば……」
一つ、思い当たることがある。ナーガを連れ戻す方法を探しているという、謎の男の人。もしかして、もう方法が見つかって……?
「何だよ?」
そうか、勇希くんは知らなかったっけ。私は昨日ここに来た、謎の男の人のことを説明した。思えば、昨日は勇希くんの誤解を晴らすことに大変だったっけ……。慣れてたこともあって、結構早く解決したけど。
「なるほど。それならありえるな。それで、その謎の男が俺たちに何も告げずに、ナーガをさらっていきやがったと――」
「勇希くん、勇希くん。口調が荒れてるよ」
そりゃ、怒るのは無理ないけど。
その時、私の背後――つまり、窓側から声がした。
「残念ながら、それはないな」
「…………」
出た、謎の男……。
「誰だ?」
いきなりの不法侵入者に勇希くんが声を低める。その人は弁解をするように手を振った。
「いや、決して怪しい者ではない」
いや、十分怪しいって。
「俺は一介の青年だ。名前はない。さきほどこちらのお嬢さんがお前に説明してた、『謎の男の人』だとも言える」
「……名前がないと呼びずらいから、権兵衛さんでいいか?」
「それはもしやも何も名無しの権兵衛から取ったな!? いや、名前がないのは否定しないが!」
「……うるさいな」
勇希くんの機嫌が悪いのも手伝っているけど、やはりこの二人、相性が悪いみたいだ。っていうか、この権兵衛さん? と相性がいい人っていうのもあまりいないと思うけど。
それにしても。
「何だっけ、噂をすれば何とやら?」
「ふむ。で、その何とやらに入る言葉が何かを、井伏真緒、お前は知っているか?」
「え!? 噂をすれば何とやらは噂をすれば何とやらじゃないの!?」
そういう諺だと思ってた。
「プッ」
「プッ」
吹きだされた……。しかも、二人同時に。なんだ、これがよく言うダブルショックというやつか。ていうか、声を押し殺すように笑われても、傷つくだけなんだけどな。(後で、正しくは噂をすれば影が差すだと教えてもらった。聞いたこともなかった)
「それはそうと!」
私は無理やり、会話の転換を試みる。
「それはないってどういうこと?」
「あぁ……それだけど。ナーガは、残念ながら俺は連れ戻してないんだ」
そうなのか……。だとしたら、状況はもっと悪くなったかもしれない。
「大丈夫だ、心配するな。あいつはきっと飛べるようになって、窓から出て行ったんだ。ったく、大人しくしてろってあれほど言ったのに」
なるほど。そういえば朝、何か寒いなと思ったら窓が開いていたような気がする。けれど、その言葉を聞いてどうやって心配するなと言うんだろう?
「大丈夫、大丈夫。探そうと思っても、見つけることなんて不可能だし。しばらくしたら帰ってくるだろ。ドラゴンはお前たちよりもずっと賢い種族なんだ。んー。まぁでも」
「でも?」
権兵衛さんは思案するように腕を組んだ。
「前にも話しただろ? あいつはこの世界においての〈不純物〉だからさ。世界の軌道が狂う前に少しでも早く元の世界に返さないといけないんだよ。まぁ連れ戻す方法も俺はまだわかっていないんだが」
「不純物?」
「あぁ……その世界にいるべきでないもの、みたいな感じだ。間違いである存在……いや、それは別の奴か」
きょとんとした私を一瞥して、権兵衛さんは苦笑した。
「あー。まーわからないだろうな。とにかく、世界にはあるべき姿がある。それを一歩でも踏み外せば、全てが壊れる。Do you understand?」
……どうせ、英語は全くわかりませんけど何かっ! あぁわかりましたよ、そんなに私をバカにしたいんですねっ! どうせどうせ、私は小学生以上中学生未満ですよーだ!
「いじけるな、真緒。理解してますか? っていう意味だから」
「うー」
「まぁまぁ。それで、この法則理論を踏み外してしまった奴が、ナーガなんだ。できるだけ早めに元の世界に戻さないと、大変なことになる」
「大変なことって?」
何となく訊くと、権兵衛さんは今まで浮かべていた笑みを消した。
「聞きたいのか?」
「いえ、結構です」
怖すぎます、権兵衛さん……。
権兵衛さんはすぐに元の表情に戻った。
「それにここで育ってもナーガが不幸になるのは目に見えてるしな。それで、俺はお前たちに相談しようと考えた。ナーガを連れ戻す方法に、何かいい案はあるか?」
「いい案っていったって……」
大体異次元の話みたいなのに、そんなのわかるわけないじゃないか。
そう言おうとしたけど、その前に勇希くんが口を開いた。
「じゃあ、実は世界には別の世界と通じる窓があって、それを探し出すとか」
「いい発想だが、残念ながらそんな窓はない」
「時間を戻してナーガが穴から落ちる前に戻すとか」
「なるほど。新しいな。しかし、俺にはもちろん〈一律の番人〉にもそんな力はない」
さ、さすが勇希くん。本気で考えてる……。元々その手には強いからね。発想力もいいんだろうし。
権兵衛さんはチラと私を一瞥して、からかうような笑みを浮かべた。
「ん? 井伏真緒は何の案も出ないか。無理もないな。頭、見るからに硬そうだし。ふふっ、井伏真緒の方が若いのにな」
「………っ」
悔しい! そして悔しいと思っても何の案も出ない自分に腹が立つ!
……ん? ちょっと待てよ。あの手があるじゃないか!
「ねぇ、権兵衛さんが運ぶのは駄目なの? 権兵衛さん、話を聞くと二つの世界を跨ぐことができるんでしょ?」
「えっ。……ってか、権兵衛さんという呼び名は決定事項なのか。いかに俺が奮闘したところで揺るがないものなのか」
何かぶつぶつ呟いていたが、その意見は想定外だったらしく、権兵衛さんは手を顎に当てた。わざとらしい動作だが、(っていうか権兵衛さんは元々何やってもわざとらしい)本気で考えているようだ。
「やったことないんだが……そうだな、考えてみれば。一番手っ取り早くて、効率がいい方法だ。うん、そうだな。おい、二人とも。俺は〈一律の番人〉に会って、相談してこようと思う。明日頃にまた来るだろう」
権兵衛さんはよいしょっと窓枠を越えると、前と同じようにあっけなく落ちた。勇希くんが驚いて窓に駆け寄ったが、やはり誰もいなかったのだろう、すぐに戻ってきた。
私はふと白いドラゴンのことを思い出し、呟く。
「……ナーガ、大丈夫かな」
「あぁ」
勇希くんは軽くため息をついて、部屋を出て行った。何のために出て行ったのはわかっていたから、私も黙ってその後を追った。
街灯に照らされて、目の前の道がぼんやりと映し出されている。日が沈んでから大分経った。もう長いこと誰ともすれ違っていない。
軽い休息のつもりで、私は立ち止まっていた。ずっとナーガを探し回っていたせいで息が切れたのだ。何気なく横を見ると、森が見えた。玉灯森。住宅街の真ん中に居座っている、不思議な雰囲気のする森だ。何故だか、あまり人は立ち入らない。
「…………」
もしかしたら。私はぼんやりとした頭のまま、ふらりと森に向かって歩き出した。
ナーガは、今どこにいるのだろう。権兵衛さんはそのうち帰ってくると言っていたけど、家の場所がわからなくなっているのかもしれない。食べ物には困ってないかな。寒さで凍えてたりしないかな。
……あの子に辛い思いはしてほしくない。
けれど私はずっとナーガを探しに町を走り回っていて、疲れすぎていた。多分冷静な判断力というものを失っていたのだと思う。じゃなかったら、夜に一人で森になんか入らなかっただろう。
気がついたら、森の奥深くまで入り込んでいた。周りを見回しても、闇に紛れた木々しか見えない。そう……そこはまるで。
異空間。
私はぶるっと体を震わせた。寒さのためだけじゃないだろう。
木々は囁き、風は舞い、月は光に溺れていた。私の周りのものはまるで生きているかのように蠢いた。千の目で見つめられているような、嫌な感覚が私を襲う。
「あれ、珍しい」
いきなり声がして、ぎょっと横を見た。私のすぐ横に、男の子がいた。小学校低学年くらいの、男の子。けれど口元に浮かんでいる微笑は子供のものなんかじゃ全然なくて、何よりその目は闇を映したように漆黒だった。本当に、生きていることを少しも感じさせない、人間じゃないみたいな、真っ黒。
っていうか、あれ……? 何で私は、こんな闇の中なのにこの子の姿がこんなにもはっきりと見えているんだろう。
「あぁ、あの子を探しているんだろ。大丈夫、あの子は無事だよ」
まるで全てをわかっているような口調でそう言って、その子はくすっと笑った。
「あの子の柵も厄介だよな。こうなることは全てあの子の運命で、そうなるべくして生まれたようなものなんだけど。さすがにあれは摘むことはできない。まぁ、摘む必要もないけどね」
「……あなたは、誰? 権兵衛さんと同じような人?」
「権兵衛さん……あぁ、〈浮浪者〉のことか。ちょっと違うな。決まった住む世界を持たないという点は同じだけれど、彼と僕は根本的に立場が違う。けれど、力の及ぶ範囲は――同じだ」
ぶわっと風が彼を中心に吹き、木々が一斉にざわめいた。私も風に巻き込まれて、目を瞑る。静かになった頃目を開けると、彼は湖面のように静かな目でこちらを見つめていた。ふいと目を逸らすと、夜空を見上げて、歌うように言う。
「全てが混沌だった頃、その運命を持って全ての源が浮かび上がりました――それが、《玉》。全ての源はそれぞれの対極を持って形となりました――それが、《境》。全ては生と死の循環により動き始めました――それが、《螺旋》。それぞれの同じ頃、〈神〉と呼ばれるものが生まれました。それらはある聖なる獣の姿をしていました。要するに、運命と玉、対極と境界、循環と螺旋。銀に、金に、瑠璃。森に、社に、湖。種に、琴に、鏡」
「…………?」
その子は理解していない私を見て、悲しそうな目をした。
「わからなくてもいいよ。君はね、あの子が去った後は僕たちみたいなものとは無縁の人生を歩むんだから。君は出会うべくしてあの子と出会ったけれど、それは君の運命の最も捻じれているところ、ほんの寄り道みたいなものなんだ。だからね、悪いことは言わない、早く帰った方がいい。それに、君の大事な大事な彼も心配しているよ」
そして、その子はほんの少し、笑った。次の瞬間、
ポーン――……
まるで密室で玉を弾き合わせたような、そんな音。全身に染み渡るようなその音は、深く深く響いてゆっくりと消えていった。
気がついたら、私は玉灯森の入り口にいた。森は、まるで何事もなかったように風になぶられざわざわと騒いでいる。少し風が出てきたようだ。
今のは一体、何だったのだろう。最近、ナーガのことといい、権兵衛さんのことといい、変なことに関わりすぎているような気がする。どうせなら、こういうこと大好きな勇希くんに関わってあげればいいのに。
「真緒!」
聞きなれた声に振り向くと、懐中電灯の光が揺れながら近づいてきていた。しばらくそこで待つと、勇希くんがすぐ横に来た。ずっと走っていたのか、息を切らしている。
「ゆ、勇希く……」
「馬鹿!」
思わずビクッと首を竦めた。馬鹿って…勇希くんが馬鹿って言った……。
「どこ言ってたんだよ!?」
「どこって……ナーガを探して、森の中に入って……」
「阿呆かお前は!」
もう一度首を竦めた。っていうか、さっきから何で漢字なんだろう。でも、さっき森に入った時とは別の意味で怖い、と思った。勇希くんが、怖い……。
しどろもどろになった私を見て、苛々したように私の手を取った。
「帰るぞ!」
「うん……」
何で勇希くんがこんなに怒っているのか、わからなかった。私はナーガを探しに行っていただけで、それは勇希くんも同じなのに。
それでも勇希くんの手は温かくって、私はそこで自分の手が凍えていたことに気づいた。
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