エピローグ.ねずみも悪くないと思ってしまった。
重々しい扉の向こうから出てきたノーザレイが改めて部屋の中の上官へ向かって敬礼をして、扉を閉める。
それを見届け、ロアは声をかけた。
「レイ」
軍本部内だが、大尉、とは呼ばない。
今回の人事でノーザレイは階級を大尉から少佐へ上げた。それに伴い「飛竜」の副官から新設の特殊部隊の隊長へと異動になった。
今のノーザレイは階級も、メリア直下の特殊部隊隊長という立場も、ロアと同じだ。
今回の辞令がノーザレイに伝えられるよりも早く、ロアはメリアから彼の異動を告げられていた。
「ロア」
軍服姿のときに彼に名前を呼ばれるのは慣れなくて、どこかこそばゆい。
ロアが先に立って歩き出すと、ノーザレイも自然に隣に並ぶ。この後はふたりとも自分が隊長を務める部隊の前でのあいさつと軽い訓練が入っているので、それほどのんびりはしていられないが、やはり言っておかなければなるまい。そのためにノーザレイが出てくるのを待っていたのだ。
「新部隊の隊長就任おめでとう」
そう告げれば、彼は「ありがとうございます」とわずかながら目元をゆるめる。長い付き合いのロアでも見逃しそうなほどわずかに、だったが、表情に出る、ということはちゃんと喜んでいるのだな、とわかってロアもうれしくなった。
「ところで、部隊の通称は決まったの?」
新部隊の概要についてはノーザレイの異動と共にメリアから聞いていたが、その時にはまだ「飛竜」のような通称は決まっていなかったのだ。
ノーザレイが隊長を務める部隊の主な任務は、情報管理(収集及び活用)と後方支援だ。現場に出ることはあっても、最前線には出ない。
「まだです。ベルガルテ閣下が『強くてかっこいいのにしよう』などと言い始めたのでなかなか決まらなくて」
戦闘に特化した部隊ではないのだから強そうでなくてもいいと思うんですけど、とぼやくノーザレイにロアは苦笑する。
「閣下がうなずかないことにはね」
「『一角獣』とか『天狼』とか、勘弁してほしいんですけれど」
名乗るときに恥ずかしいです、とわずかに顔を曇らせている彼を見て、ロアは首をかしげる。「一角獣」でも「天狼」でも、ノーザレイが名乗るならばしっくり来そうなものだが――本人が嫌がっているのならば仕方がない。
そうだなぁ、と頭の中でいくつか単語をこねくり回し、ひとつ、案を出す。
「『風樹』はどうだろう」
「風樹、ですか?」
「風樹」は特定の樹木の種類ではなく、風の精霊が好んで止まり木に使う木のことを言う。その木の下でした話は千里を巡り、その木の下で耳をすませれば精霊たちのおしゃべりを聞くことができる。そして、その木の落とす影の中にいる限り、精霊の加護に守られ野獣や魔獣に襲われることはない。
「うん。情報の取り扱いが任務になるなら風の精霊に縁ある名前でもおかしくないし、風樹が背後にあると思えば、前線に出る部隊は安心できると思わない?」
風の精霊は旅人や吟遊詩人、商人などの「移動する者」――そこから転じて「移動するもの」を扱う者に守護を与えると言われている。情報も、「移動するもの」のひとつだ。
「……いいかもしれません。あとは、閣下さえ説得できれば」
それがいちばんむずかしいのだが、と声ににじませるノーザレイに「そこは君次第じゃないかな」と笑いかけ、ロアは自分たちが分かれ道までやってきたことに気づく。
「飛竜」の隊舎は左右に分かれた廊下の右だし、新部隊の隊舎は左からの方が近い。
「じゃあ、レイ、また今度」
「はい」
こうやって彼と別れの挨拶を交わすのにも、慣れなくてはいけない。これまでは軍服をまとっているときにはほとんどいつでもいっしょだったけれども、これからはいっしょにいても別々の場所へ帰るのだ。
そうなるように自分で仕向けておいて「さみしい」なんて、矛盾している。
レイがすっと背筋を伸ばして遠ざかっていくのをちらりと振り返ると、ため息をこぼす。
そのとたん、身の内からもぞもぞと湧きあがってきた感覚に「まずい」と周囲を見回した。
「ロア?」
そんなあわてふためくロアの気配が伝わってしまったのか、ノーザレイがこちらを振り返った。いぶかしげに細められた彼の青い目とロアの青緑色の目が合う。
「あっ」
それをきっかけに、のどのあたりで抑え込めていた「それ」がふわっと全身を巡り、ロアの身体はぽんっという軽く何かがはじける音とともに謎の煙に包まれた。
そして、その煙が晴れたとき、軍本部の廊下の赤じゅうたんの上には、薄茶色の毛皮と青緑色のつぶらな目をしたねずみがちょこんと座っていた。
「……チュウ」
遺憾の意を込めて一声鳴いたロアを目にしたノーザレイは、反射的に身を引き、硬直し、それから途方に暮れたように眉を下げた。
「ロア? どうして、また――」
うわごとのようにそう言いつつこちらへ一歩、二歩と近づき、はっと何かを察したように顔をこわばらせる。そのまま踵を返すと、絨毯ごしにも高らかに軍靴を鳴り響かせてその場を立ち去ろうとしたノーザレイをロアは全力で呼び止めた。
『わー、待って、待って! レイ、待ってほしい!』
ぴょんぴょん跳ね、必死に呼びかけると彼は足を止めてくれる。振り返り、何とも言えない表情でこちらを見るノーザレイにちょこちょこと駆け寄ると、彼は腰をかがめ、そっと彼女の身体を自分の両手ですくい上げてくれた。
『ち、違うんだ。また呪われたとかではないんだ』
話せばちょっと複雑なんだけど、と手の上であたふたしつつロアは事情説明を試みる。
『少し前から、たまにまたねずみになってしまうようになったんだけれど――』
ノーザレイの眉がぴくりと動いたが、とりあえず口をはさむことなく聞いてくれるつもりらしい。
『リナ姉さまによれは、これは新しく呪いにかかったとかではなく、この間の呪いの後遺症のようなものなんだって』
呪いマニアの次姉、リナは一昨日王都に到着した。ロアの呪いが解けたことは連絡してあったのだが、別件でどうせ通りかかるから、と立ち寄ってくれたのだ。結果として、とても助かった。
『わたしの身体と呪いの相性が良かったから、たまに呪いにかかっていたときの状態を思い出してしまうんだって』
「きっかけ、のようなものはあるんですか?」
ノーザレイの問いかけに、ロアの髭はぴく、とわずかに動いた。
『……いや、それがまだ不明なんだ』
だが、リナの話によれば時間が経過して呪いの影響が完全に消え去れば、変化も起こらなくなるだろう、実害がなければしばしの辛抱、とのことだった。
しばらくは「ねずみ隊長」を演じることもありそうだが、まあ、何とかなるはずだ。
だから心配は無用だよ、と伝えようとしたロアは、思ったより近くにあったノーザレイの顔にのけぞった。
『レイ、近いんだけど!』
「くちづけすれば元に戻るんですよね?」
平然とそう告げられ、ロアは耳もしっぽも毛も驚きのあまり「ぴっ」と立った。
くちづけとか、くちづけとか、整った顔で大真面目に、平然と言わないでほしい。どぎまぎしてしまうから。
『ひ、必要ないよ! 呪いの大本は解けてるから、今回は時間経過で元に戻る!』
そう言いつつ、ノーザレイの手から腕を伝って彼の肩へと移動する。
「そうなんですか」
『そうなんだ』
力強くうなずくと、ノーザレイもうなずいてくれる。こころなしか、横顔がつまらなさそうに見えるが気のせいだろう。
「……隊舎まで送ります」
それだけ言うと、ノーザレイはロアを肩に乗せたまま右の道を進んでいく。
『……ありがとう』
礼を述べ、ロアは心の中で「ごめん」と付け加えた。
ほんとうは、なんとなく、ねずみになってしまうきっかけはわかっている。
ちょっとだけ甘えたい気持ち。
それが呪いの後遺症を呼び起こすきっかけだ。
ねずみでいる間、魔力切れはするし、周囲に面倒はかけるし、不便なことはたくさんあった。その一方、ねずみの身体はちいさくて、弱かったから、ノーザレイはいつだってロアを壊れ物みたいに丁寧に扱ってくれた。ねずみの姿に慣れてきてからは、動物の姿だからか、気安く頭やのど元をなでてくれた。
そういうノーザレイの態度や、触れてくる指先がときどき恋しくて、あれだけ近くにいた日々が懐かしくて、「さみしい」がぼんやり胸をよぎるたび、ねずみの姿になってしまう。
ねずみの姿ならノーザレイがそばにいてくれる、触れてくれるから。かわいくも、弱くもない自分は甘えるのが苦手だけれど、そんな「世界でいちばんむずかしい」甘えることを、ねずみの姿ならちょっとだけ許してもらえる気がするから。――「ねずみも悪くないと思ってしまったから」だなんて、ねずみを苦手にしているノーザレイには申し訳なさすぎて、とてもじゃないが伝えられない。
「ロア?」
考え込んでしまったロアにやはり目ざとく気づいて声をかけてくれる彼に首を横に振り、ロアはこてん、と彼の首筋に身体をもたせかける。
ねずみのロアが触れてももう強ばったりしない彼の身体のぬくもりに触れ、廊下を進んでいく振動に身をゆだねてぼんやりする。
満たされていて、どこか甘く、それなのにそわそわする。
こういうのを、いったい何と呼ぶのだったか。
ぼんやりと浮かんだ疑問に対する答えは見つからない。切り替えの早いロアは、早々に疑問を投げ捨てた。
まあ、いいか。
最初はどうなることかと思ったけれど、ノーザレイには言えないけれど。
ねずみも悪くないものだなぁ、と。
ロアは人間の姿のときには叶わない甘えを込めて、ノーザレイの首筋に鼻先を押し付けた。
ねずみ隊長の世界でいちばんむずかしいこと なっぱ @goronbonbon
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