8-6.認めてしまえば腑に落ちる

「あっ」

 さすがに激しく動きすぎたらしく、ロアがよろめく。あまりに問題なく動いていたので忘れていたが、今日の彼女はふだん履かないようなかかとの高い靴だった。

 さりげなく彼女の腰を支えつつ自然にダンスの輪から抜けると、称賛の声をかけ――るついでにロアに近寄ろうとやって来た人々を視線で牽制しつつ彼女を連れて会場から抜け出す。バルコニーにある階段を下りれば、ベルガルテ家の立派な庭に出られる。今宵は散策用に、と招待客に解放されているそこを少し進めばちいさなベンチがあったので、ノーザレイはそこへ腰かけるようにロアを促した。

「足、ひねってませんか」

「ん。平気。たのしかったね」

 ドレスの裾の下で足首をくるくると回してみたらしいロアがうなずいてから笑顔を浮かべた。今日はうっすら化粧をほどこしている頬が上気して薄紅色に染まっている。

 たのしかった。

 ロアの言葉を脳内で反芻して、驚愕する。確かにたった今までの――ロアと踊ったダンスはたのしかったが、ダンスがたのしいなどノーザレイにとっては初めての経験だった。

 これまで出席したパーティもダンスも、ノーザレイにとっては義務でしかなかった。必要だから出席し、最低限の会話をし、どうしても避けられないときだけダンスを踊る。その間、感情が動くこともなく、退屈を押し殺してなすべきことをなす。今日のパーティもそうなるものと思っていたのに。

 ふたを開けてみれば、ロアが現れてから退屈するどころか、一時たりとも心が平静を保っていたこともない。

「はい。たのしかったです」

 肯定すれば、ロアはますますうれしそうに笑みを深めた。

 踊っている間、自分たちが深く理解しあっていると感じられた。あの瞬間だけでも、ロアのいちばん近くにいるのは自分だと確信できた。

 じん、と胸を熱く満たす実感を噛み締めていたノーザレイは、そのせいで続いてロアが口にした言葉を理解するのが一拍遅れた。

「君、やっぱり異動願いを出さない?」

 にこにこと、ロアは何の脅威も感じさせない子犬のような目でこちらを見上げてきている。

 戦場にいるときとは違う、無垢で無害な笑顔だ。

 いちばん美しいのは戦場にいるときの笑顔だが、こういうときの笑顔はかわいらしい。加えて警戒心を抱かせず、するりとこちらのふところに入ってくる。

「……なぜですか?」

 確かに自分でもロアとの関係を変えようと思った。そのために「飛竜」を出るのもやむなし、とも思った。だが、それをロアから改めて切り出されれば動揺してしまう。

 まるでノーザレイの内心を見透かすようなタイミングだったので、なおさら。

「うーん。なぜ、って言われると、いろいろ理由はあるんだけど」

 ロアが困ったように首をかしげる。

「君がすぐ隣に居てくれると助かるよ。たくさん守ってもらってるとも感じてる。君が『飛竜』を出たら、わたしはきっといろんなところで苦労するとも思う」

「それは、この間も言いましたけど、私も貴女から与えてもらっていると――」

 まだ自分だけが一方的に搾取していると気に病んでいるのか、とノーザレイは口を挟もうとしたのだが、ロアはそんな彼の言葉をさえぎった。

「うん。君がそう言ってくれるなら、いまいち実感はわかないけど、それについては納得したんだけど――」

 でもさ、とベンチに腰かけた彼女は、自分の前に立つノーザレイを首をそらせてまっすぐに見つめる。首を痛めてしまうのでは、とロアの前にひざまずこうとした彼をとどめ、彼女は逆にゆっくりと立ち上がった。

「隣に居てくれなくても、対等な方が、きっとたのしいと思ったんだ」

 いっしょに踊ってみてそう思ったんだよ、とほほえむ。

 ロアの背丈は女性の平均よりは高いけれど、ノーザレイよりは明らかにちいさい。骨格だって華奢だし、筋肉だってしなやかについてはいるけれどほっそりしている。

 それでも、笑みを浮かべてまっすぐにノーザレイを見つめる彼女には、ノーザレイに負けない存在感がある。

「レイは? そう思わなかった?」

 問いかけられ、言葉に詰まる。

 たのしかった、という自分の気持ちの奥を探るまでもなく、答えは簡単に浮かんできた。

 彼女を一方的に支えるダンスだってたのしかったけれど、彼女と呼吸を合わせて、仕かけて、仕かけられて、そうやって踊るダンスはそれ以上にたのしかった。

 学生時代とは違って、今は昔のように競い合う必要はないけれど、対等だからこそできるやりとりだった。

 いつまでも「副官」の立ち位置に甘んじていては、彼女の隣にはいられるかもしれないけれど、それ以外の場所から彼女の姿を見ることはできない。

 心身ともに「いちばん近く」を望むのならば、彼女のすべてを知りたいと願うのならば、やはり自分が変わるしかないのだ。

「ロア」

「なに?」

 呼びかければ、彼女は無防備にこちらを見上げ、目を瞬かせる。

「あの約束、すこしだけ変えてもいいですか?」

 学生時代にした、古い約束。

 ノーザレイはロアの苦手なことを補い、ロアはノーザレイに足りない部分を補う。

 あの頃の自分たちは完璧には程遠くて、足りなかったから相手の中にある自分にないものを必要とした。

 完璧にほど遠いのは今も変わらないけれど――。

「いいけど」

 どういうふうに、とどこかおもしろがるように瞳を輝かせ、ロアが問いかけてくる。

「貴女が必要とするなら、私は自分の持つ能力を惜しみなく貴女のために使います。私が必要としたら、貴女もそうしてくれますか?」

 それは些細な違い。

 自分の足りないところを埋めてほしいと望むのではなく、相手の持っている優れたところを自分のために使ってほしいと望む。

 ロアは首をかしげ、すぐにうなずいた。

「いいよ」

 わたしがどれだけ君の力になれるかはやっぱりわからないけど、と肩をすくめ、それでもロアはにっこり笑ってノーザレイに向かって手を差し出した。

 今度は、彼女から。

「約束する」

 ノーザレイもためらいなくその手を握り返す。

 あいかわらずロアの手はちいさくて、剣だこがあって、そしてあたたかくて――そのぬくもりを手放したくないとノーザレイは思ってしまうのだ。

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