8-5.認めてしまえば腑に落ちる

 どんなに素晴らしい生地やデザインのドレスだろうと、着る人間がそれにふさわしくなければただのトルソーに着せるよりもみっともないことになる。美しい彼女が着るからこそ、ドレスは何倍にも輝き、彼女自身をより魅力的に見せるのだ。

 が、ノーザレイがそれを説明するよりも先に、ロアがそっと自分の胸元に留めているブローチに触れて首をかしげた。

「靴や宝飾品もとても素晴らしいものだし、高価なものだろう? 本当にもらってしまっていいの?」

「当家の身内がご迷惑をおかけしましたので」

 ドレスを仕立て、支払いをしたのはロア自身だが、それに合わせた靴と宝飾品――ブローチと髪飾り――を贈ったのはノーザレイだ。アーケルミア家に出入りしている宝飾品店と仕立屋に少し無理を言って早急に手配させた。完成したドレスとしっくり合っていることに安堵する。

「……別に、レイに謝ってもらうことではないよ」

 ロアはそう言うけれど、アルミュカはいまだアーケルミアに名を連ねている。実質的に本家とは縁を切らせたが、家から追放することまではしなかった。ノーザレイが、その選択をした。

 だが、ロアがそれを是としなければ――アルミュカの愚かな行いを白日の下にさらしたならば、それはアーケルミア家の醜聞となってしばらく世間の耳目を集めることになったはずだし、場合によっては責任をとって祖父や父が将軍職を辞することになっただろう。

「口止め料だとでも思ってください」

「君やレイナーナさまが困るようなことはしないよ」

 そんなものを渡さなくともロアが黙っていることはわかっていた。馬鹿にするな、と怒られても仕方ない言い方だったが、ロアはくすりと笑って肩をすくめた。

「でも、君がそう言うなら、そういうことにしておこうか」

 触れていたブローチを一撫でした彼女は、ノーザレイの顔をまっすぐ見上げ目を細める。

「君の目の色といっしょできれいだし。ありがとう」

 ブローチと靴飾りに使われているのは青玉で、その深い青は確かにノーザレイの目の色に似通っている。ドレスに合うと思って選んだ色だが、そう言われると自分が無意識に自分に属する色を選んだ気がしてきてノーザレイはとっさに視線をそらした。

 まるで独占欲の発露ではないか。

 泳がせた視線が、階上の回廊からこちらを見下ろしていたメリアと合う。ホスト側の人間だというのに、彼女はいまだにそこで暇をつぶしていたらしい。

『さあ、どうするんだ?』

 にやにや笑うメリアの口がそう動いた。余計なお世話だ。

 睨み返してやろうとしたところで、自分の腕に触れていたロアの手に軽く引かれる。

「レイ」

「どうしました?」

 こちらをおもしろがる気まんまんのメリアを睨み返すのは後回しにして、視線をロアに戻す。

 彼女はちいさく首をかしげると、いたずらっぽく笑う。

「せっかくだから、ちょっと踊らない?」

 ノーザレイの腕に触れているのとは反対の手で大広間の中央、人々が軽やかに踊り円を描くダンスフロアを指さす。

「いいですけど……ロア、ダンスできるんですか?」

 貴族の子弟子女にとっては必須の教養だが、魔法士学校では習わないはずだ。ウェロック家は要人警護で様々な場所に出入りするが――そのため親元を離れるときにドレスを一着持たされたらしいが――ダンスまで仕込まれているのだろうか。

「いや、ちゃんと習ったことはないけど。でも、あの程度のステップなら、うん、たぶん、平気」

 踊る人々の足元をじっと見つめ、ロアはうなずく。見て覚えた、ということらしい。

「それに、今日はレイがエスコートしてくれるんでしょ?」

 なら何も問題ない、と言わんばかりの目で見つめられ、ノーザレイは押し殺したため息をこぼす。

 彼女に他意がないことは重々承知している。そんな風に言われたノーザレイの心がどれだけ浮足立つかなんて彼女は知らず、ただ思ったままを口にしたのだろう。

 ただの、そして絶対の、信頼。

「……貴女のお気に召すままに」

 動揺しすぎたのか、ノーザレイの表情はいつにも増してぴくりとも動かなかった。口調だけはおどけた調子で応じて、うれしそうにうなずいたロアといっしょに踊りの輪に加わる。

 たぶん、と彼女は言ったが、ロアの動きにはまったく問題がなかった。軽やかにステップを踏み、ターンする。その間にも周囲に視線を走らせ、他の人々とぶつからないように調整も忘れない。

 何より、彼女は呼吸を合わせるのがうまかった。ノーザレイの視線の動き、手に込めたちょっとした力、わずかにひねった身体の向き――そういったすべてを拾って、応じるように自分の身体を動かした。

 それは、彼女が剣を振るうときのようで――のびやかで、それでいて無駄はなく、見惚れてため息をこぼしたくなるほどに華がある。

 踊り出してすぐに彼女と自分にわずらわしいほどの視線が向けられているのを感じた。ロアのドレスの裾がわずかに翻り、彼女がたのしげに笑みを深めるたび、視線は強まり、熱を帯びた。

 気持ちはよくわかる。

 たのしげに踊るロアは、問答無用に人目を惹きつける。

 ロアは美しい人だ。でも、彼女の美しさの本質は見た目だけではなく、その存在そのものに宿っている。

 着飾る彼女を見つめるよりも言葉を交わしたほうが、言葉を交わすだけではなく生き生きと動く彼女を目の当たりにした方が、彼女の内に宿る美しさは相手に伝わる。

 おそらくいちばん美しいのは戦場に立っているときだが、この場で熱っぽく彼女に見とれる観衆のほとんどはそんな彼女の姿を見ることもなく終わるだろう。

 ノーザレイは知っている。戦場で笑う世界でいちばん美しい獣を。

 そんなことに優越感を覚えてしまう自分にわずかに苦笑をもらすと、目ざとくそれに気づいたロアが首をかしげる。何でもありません、と口には出さずに首を横に振るだけで応じれば、ロアは少し何か考えるように目を伏せてから、にっこりどこかいたずらっぽく笑った。

 くいっと、身体を引かれる。これまで完璧にノーザレイに合わせていたロアの動きが変わった。

 より速くステップを踏み、右へ左へターンをして、くるくる舞う人々の合間をすり抜けていく。そのくせ、音楽を無視しているわけでもなく、まるで何かに挑むような、遊びに興じるような表情でロアはノーザレイを見上げている。

 最初は驚いてロアに合わせるので精いっぱいだったノーザレイも、慣れてきてからは自分からステップを変えたり、ターンを入れてみたりとアレンジを加える。そのたび、ロアは心底たのしそうにひそかに声を立てて笑った。

 それはまるで手合わせだった。相手の呼吸を読み、仕かけ、それをいなす。剣の手合わせと違うのは、相手を最終的に地面に転がしてはいけない、ということくらいだ。

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