8-4.認めてしまえば腑に落ちる

『認めてほしくて、対等でありたくて、ロアの視線を自分に向けておきたくて、誰にも隣を譲りたくないんだろ?』

 そうだ。

 ノーザレイはロアに自分の価値を認めてほしい。

 まばゆいロアの隣にいるにふさわしい自分でありたい。

 いつだっていちばん側で彼女を見つめたいし、彼女にも自分を見てほしい。

 彼女の「いちばん」――唯一でありたい。

 気づいてしまえば、乾きが喉を焼くように強く思う。

 見つめて、触れて、彼女のすべてを知って――彼女にもそうして欲しい。

 思えば、少し前からこの気持ちに気づく予兆はあった。

 ねずみの姿だろうと彼女が彼女ならば触れられることに嫌悪感はなかったし、ともすれば触れてほしいと思うことすらあった。

 人間の姿に戻った彼女が、ノーザレイに頼ってもらえるとうれしい、と笑ったとき、どんなときにもノーザレイを受け入れようとする彼女を抱き寄せて、そのままどこかへ、自分しか知らない場所へ連れ去ってしまいたかった。

 ノーザレイはアルミュカのことを嗤えない。彼の中にある想いは、もしかしたらアルミュカよりも凶暴だ。

 だが、同時に自分は決して間違えまい、と心に誓う。

 ただの友人として、であろうとロアはいつだってノーザレイの幸福を望んでくれる。だから、ノーザレイもロアの幸福を望む。

『恋に狂って、嫉妬に身を焦がして、やってはいけないとわかっていることに手を出して、ぐちゃぐちゃになって――』

 孤立させて、縛りつけて、閉じ込めて――そうやって独占したくなったとしても。

 そうなってしまったほうがいっそ楽だったとしても。

 その一線を越えないように、自分を戒める。

 それは、ロアが与え続けてくれているものに唾する行為だから。

「閣下」

 何とも言えない顔でこちらを見ていたメリアに声をかける。

「私に異動のお話があるようでしたら、進めていただいて構いません」

「それは――」

 つまり、と続けられるより先に、うっすらと笑って告げる。

「前言を撤回いたします」

 あっけにとられたように目を見開いたメリアだったが、皮肉気な笑みを浮かべてうなずいた。

「舌の根も乾かぬうちに、というやつだが、まあいいだろう。――あと、いきなり本気を出してロアをおびえさせるなよ」

 そんな彼女に敬礼すると、ノーザレイは回廊から大広間へ下り、一目散にロアの元へ向かう。

 彼女を取り囲む人の数はさらに増え、若い子弟に加え、それなりに年かさの男性や何人かのご令嬢やご婦人まで加わっていた。

 知ってはいたが、根っからの人たらしだ。

 そんな存在のいちばん近くに居続けたい――なんて、自ら苦労を背負い込むような真似だとわかっているけれど。

「ロア!」

 呼びかけると、ぱっと顔を上げ、ほっとしたように笑み崩れる。それまで周囲に向けていたどこか困惑した笑みとは違うその表情を見た瞬間、何もかもどうでもよくなる。

 少なくともこの場で今の表情を引き出せるのは自分だけ、というささやかな事実が優越感となって胸をくすぐった。

 ロアの腕をとると、周囲に「失礼」と声をかける。

「ロア嬢をお借りします」

 それだけ言ってその場を去る。不満げに何か言おうとした相手にはにっこりと笑って圧をかけておいた。

 自分の顔の良さは自覚している。滅多に表情を変えない自分の笑顔の威力も。

 案の定、誰も引き止める者はいなかった。未練がましい視線は感じたものの、声を上げる勇気を持たぬ者のために足を止める理由もない。

「どうしてひとりなんですか。エスコート役は?」

 大広間の壁際までロアを連れていくと、自分の身体で隠すように立たせる。気になっていたことを訊ねれば、ロアは首を横に振った。

「いないよ。弟にでも頼もうかと思ったんだけど、閣下がこちらで用意するからひとりで来い、とおっしゃったから」

 身分ある女性は、パーティや晩餐会といった場に男性の同伴者と来るのがふつうである。既婚者の場合は配偶者が、未婚の場合は婚約者や親族男性が同伴者となることが多い。ロアは爵位こそ持たぬものの、本人がこの若さで少佐なのだ。じゅうぶん「身分ある女性」と言えるし、本人にもいちおう自覚はあるらしい。

 現在王都にはウェロック家の息子――ロアの弟が滞在中だ。婚約者のいないロアの同伴者は彼が妥当だ――ったはずなのだが。

 ノーザレイはため息をこぼした。

 メリアの考えていたことがなんとなくわかってしまった。

 お節介、というやつだが、ロアを同伴者なしにうろつかせるなんてもってのほかだ。

「……では、私が」

 そう言って腕を差し出せば、ロアはおずおずとそこに自分の手を重ねる。

「ありがとう、大尉――と、呼ぶのはおかしいか。ノーザレイさま?」

 わざわざ呼び直したのは、今日のパーティが軍門貴族ベルガルテ家のものとはいえ、招待客のほとんどが貴族だからだろう。

 軍ではノーザレイの上官であるロアだが、貴族社会では何の立場も後ろ盾も持たない。三男坊とはいえ伯爵家に生まれたノーザレイの方が(形式上は)身分が高いため、呼び捨てにはできない、との判断からの「ノーザレイさま」なのだろうが――。

「別にレイでかまいませんよ」

 本人が許せば無礼も何もない。

「じゃあ、レイ」と改めて呼びかけ、ロアはノーザレイの隣でにこりとほほえんだ。

「君が来てくれて助かった。正直、次から次へと声をかけられて困っていたところだったんだ」

 こういう場所には慣れていなくて、とちょっと眉を下げてみせたロアを見下ろし、ノーザレイはうなずく。

「今日の貴女は、見かけたら声をかけずにはいられないくらい魅力的だということでしょう。そのドレス、よく似合ってますよ」

 ただの事実だろうと、メリアの反応を見る限り言っておいた方がいいのだろう、と思ってそう口にしたのだが。

「君までそんなことを言う。いや、ほめられるのがいやなわけじゃないんだけど」

「君まで? 他の方々はなんて?」

 恥ずかしそうに目を泳がせたロアの反応を見るに、会場に入ってからここまで、ずっと口々にほめたたえられ、本人にその自覚はないが言い寄られていたのだろう。

 おもしろくない気持ちと、わずかな好奇心から訊ねれば、ロアは「えー……」と気まずそうに目を伏せ、ぼそぼそと答えてくれる。

「かわいい方、とか、お美しい、とか。おおげさなところだと、女神、とか。ちょっと面と向かって言われると恥ずかしくなってしまうようなことばっかり。そんなこと、これまで言われたこともなかったから、ちょっとこそばゆい」

 頬をわずかに赤らめてそこまで言ってから、ぱっと顔を上げ、身を乗り出す。

「もちろんわかってる。これがドレスの力だってことは。さすが、君に付き添ってもらって作ったドレスだね!」

 わたし自身への賛辞だなんて勘違いはしていないから、と力説しているが、それこそ勘違いだ。そして、ノーザレイも勘違いをしていたらしい。なんと彼女は自分の美しさを自覚していなかった。

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