8-3.認めてしまえば腑に落ちる
急ぎだと言うのでアーケルミア家と付き合いの長い仕立屋に連れていき、自分でドレスを仕立てるのは初めてで何が何やら――と眉を下げるばかりのロアを店の主人とともになだめつつ布地やデザインもいっしょに決めてきた。
そう、あの生地やデザインを提案したのはノーザレイだ。完成したところは見ていなかったが、思ったとおりロアによく似合っている。
ロアにはたいそう感謝されたが、家に帰ってからどこからともなくその話を聞きつけたレイナーナに「なんでわたくしに話してくれなかったの! わたくしもロアのドレスに口を出したかったのに!」と嘆かれたことまで思い出してげんなりした。この間さんざんロアにとっかえひっかえドレスを着せてつやつやしていたというのに、母はロアを自分の着せ替え人形か何かかと勘違いしているらしい。
回廊の手すりに腕をかけ、ロアの姿を観察していたメリアが目を細める。
「おーおー、普段の軍服姿のときは寄り付きもしない男どもがたかってるなぁ。ふふ、今日のロアの姿を見れば仕方ないか」
そこいらのご令嬢より美人だもんなぁ、とにやにやしているメリアを、ノーザレイは冷ややかに一瞥する。
メリアはメリアでロアをおもちゃだとでも思っているのか。階下のロアは次々に人に――主に若い貴族の子弟に――声をかけられ、困ったように眉を下げている。
だいたい、だ。
「ロアは何を着ていても、いつだって美人ですよ」
何をそんな当然のことを、と言い返すと、彼女は呆けたようにぽかりと口を開いてから爆笑した。
「おまえ、それ、ロアに言ったことあるのか?」
「ありませんけど」
ただの事実だ。本人も知っているだろうことをわざわざ言う必要なんてめったに生じない。
「ぶはっ」
メリアは再び腹をよじって大笑いする。あまりの笑いっぷりに、階下の招待客数名が何ごとかと顔を上げたくらいだ。
笑い続ける上官は無視して、ノーザレイはロアのことを改めて見た。
いつも通りロアは美人だが、いつもの軍服姿と違う点を上げるとすれば、ドレスをまとい化粧も薄くほどこした姿は職務中でないことが明らかだし、彼女自身慣れていない場の空気が落ち着かないのか心細そうに見える。それが周囲にも伝わるから、「お困りですか」「どうかなさいましたか」と声をかけられるのだ。主に彼女にお近づきになろうとする男性から。
なれなれしく彼女の手をとりつつ腰に腕を回そうとする者まで現れ、見かねたノーザレイは届かないとわかっていたのにとっさに腕を伸ばし――そんな自分の動きに硬直した。ちなみにロアの腰を抱こうとした不埒な輩はロア自身にやんわりかわされていた。
宙に伸びた腕を見ながら、今の自分の反射にも近かった行動について考える。
たった今、ノーザレイはロアの腰を抱き寄せようとした。そうしようとした男性の腕が届くよりも先に、ロアを自分の側に引き寄せようと。
彼には彼女に触れる権利はないと見せつけるように。
自分は彼とは違うと思い知らせるように。
その意味するところは――。
「ははっ」
思わず笑い声を立てると、まだまだ笑い続けていたメリアがぎょっとしたように自分の笑いを引っ込めてこちらを見た。
「な、なんだいきなり」
おまえが声を上げて笑うなんて、とまるで珍獣でも見たかのように目を瞬かせている失礼な上官にノーザレイはゆっくりと首を横に振った。
「いえ、すこし、気づいたことがあったもので」
なんだ、と思う。
認めてしまえば腑に落ちる。
違ったのだ。
ノーザレイは恋をしないのではない。
ノーザレイはずっと恋していたのだ。もう、とっくの昔に。最初の、出会った瞬間から。
あの、鞭を振り、戦場の獣として君臨する姿を見た瞬間に――否、もしかしたら、北陣地を落としたというおそれ知らずの知らせを聞いたときに、「ロア=ウェロック」に心を奪われていた。
ずっと、ずっとずっとずっと――でも、たった今まで、彼はそれが恋だなんて思いもしなかっただけで。
否、今だって改めて己に問いかけてみれば自分の胸に宿っているのが恋なのか自信はない。
わかるのは、ノーザレイにとってはロアだけが特別だということ。アルミュカは正しかった。
自分に恋するあまり道を踏み外した彼女の言葉を思い出す。
お兄さまはこのまま、誰のことも欲しがらない、誰のものにもならない、そんなお兄さまでいてくださいませ――彼女はそう言った。
だが、違う。
ノーザレイは誰のことも欲しがらないのではない。ロアのことしか欲しくないのだ。
誰のものにもならないのではない。もうとっくにロアのものなのだ。
ロアに出会った瞬間、あまりに鮮烈にノーザレイの世界は塗り替えられて、彼の中に「ロア」という世界の中心がはまり込んだことにちっとも気づけなかった。
出会って以来、ロアはノーザレイの世界で誰よりも輝いていたのに。
そんな彼女を、ずっと見つめていたいのだと自覚していたのに。
自分の望みはそれだけだと思っていたけれど――本当はそれだけじゃ足らなかった。
『わたしは、君といるから』
彼女はそう言ってくれたけれど、彼女の誠実さを信じているけれど、それは決してノーザレイを常にいちばんそばに置いてくれる、という確約ではない。
もし、彼女に、自分より近しい誰かができたら。
これまでノーザレイが「なりゆき」で占めていた彼女の隣を、彼女の恋人という「権利」で独占する者が現れたら。
これまでどうしてその可能性を無視していられたのだろう。背筋におぞけが走ると同時に、腹の底が焦燥にちりつく。
自分ではない誰かがロアのいちばん近くで、ロアの視線と時間を独占する。ノーザレイも知らないロアを知る。
そんなの、耐えられるわけがない。
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