いのちの花園
紫陽_凛
地底に咲いた花
ぼくの母さんが言うことには、村はずれの洞窟の奥には秘密の花園があるんだって。青い青い花が見渡す限り咲く、美しい風景があるんだって。
母さんは話好きだから、多分、母さんにつきっきりの看病をしているぼくの気を紛らせるために、そんなことを話したんだと思う。
ぼくは、母さんの話す物語に夢中だった。ずうっと、物語を聴かせていてほしかった。
でも、母さんの病気も、天にいらっしゃる神様も、それを許してくれなかった。
次第に母さんは、物語なんか話せなくなっていった。咳き込んでは血を吐いて、それからしばらくぐったりした。物語は、途中で止まることが多くなった。
高熱は出続けて、母さんを苦しめた。ぼくは母さんの手を握りしめて、何度も祈った。お願いです、神様。ぼくの母さんを、もう苦しめないでください。
「ニェット。あのね……村外れの、洞窟にはね」
枯れた声で母さんが囁いた。
「美しい花畑があるの……少女の頃、一回だけ、見たことがある……また、あの花を……」
そうして母さんは、神様に召された。
母さんの葬儀が済んだあと、ぼくはちょっとした旅に出ることにした。母さんが若い頃に見たという、その花畑を見るための、ちょっとした旅に。
村外れの洞窟の中には湖がある。
ぼくは近所の爺さんに頼み込んで、一緒についてきて欲しいとお願いした。船もなければ、必要な
「お爺さん、お願いです。どうしても、母さんの見た花畑を見たいのです」
「ミトの息子の頼みなら、仕方あるまいな」
爺さんは快く船を出してくれた。爺さんとぼくとが2人がぎりぎり乗れるくらいの小舟だ。
「ミトにあの景色を見せたのはワシだでな。……ニェットにも、その権利がある」
夜、地底湖のはしに船を浮かべ、爺さんはぼくに舟に乗るように促した。ぼくはおそるおそる、舟に乗り込んだ。
爺さんは慣れた様子で、ゆっくり櫂をあやつる。ぼくは初めて見る景色にぐるりとあたりを見回した。
真っ暗な洞窟の壁に、ぼくらの影がうつる。影は光の加減によってぐにゃぐにゃと形を変えて、まるで化け物みたいだ。
「花畑は、どこにあるの」
「しばらくかかる」
爺さんは地底湖の奥へ奥へと舟を進めていく。ぼくはだんだん、おそろしくなってきた。
「神話じゃ、地底には、冥府があるというよ」
「ここは地底湖であって、冥府ではない。怖いのかい、ニェット」
「怖くなんかない!」
嘘だった。ぼくはぶるぶる震えていた。真っ暗な視界。爺さんの灯している頼りないランプ。
「怖くなんか……」
ぼくは母さんの死に顔を思い出して、唇を引き結んだ。
「花畑は、どこなの」
「待て」
爺さんはランプの灯りをふうっと消した。ぼくはびっくりして、爺さんにしがみついた。
「何するのさ!」
「しい。やつらが驚くだろう。静かにしなさい」
「やつら?」
ぼくがつぶやくと同時に、爺さんは真上を指差した。
「ごらん」
それは洞窟の天井に宝石の青い光を散りばめたような、青い花ばなが咲き乱れるような、不思議な光景だった。
チカチカ、チカチカ……美しい青は光って、またたいて、あちこちで呼吸でもするみたいに息づいていた。まるで宝石が、意志をもってきらきらとぼくらを誘っているようだった。
「あいつらは土ボタルだ。ああして餌をさそってる。あれは餌を誘うための光なんだ」
「い、生きてるの?」
大声を出しかけたぼくに、じいさんはしいと注意して、小声で言った。
「そうさ。あれらすべては命だ。いのちの光だ」
ぼくは口の中で何度もその言葉を繰り返した。
いのちの光、いのちの光。
ぼくは母さんの今際のきわの言葉を思い出し、最後に握っていた手の、力を思い出し。
「見たいって、これだったんだね」
ようやくぼくは、母さんは「死んだ」んだと思った。この景色を見たい、見たいと言って。
「母さん」
声が涙で震えた。
母さんは、行ってしまった。
ぼくは滲む視界の中で瞬くいのちを、しばらく見上げ続けていた。爺さんは黙って、ぼくの隣で、ぼくの気がすむまで、待っていてくれた。
ぼくはようやく涙を拭うと、土ボタルのまたたきにむかって、話しかけた。
「地底の花畑は、今日も綺麗だよ、母さん」
いのちの営みは、感傷にひたる僕らをよそに、チカチカ、チカチカと続いていた。僕らは舟の向きを変えて、もとの道を辿り始めた。
「村外れの洞窟の地底湖にはね」
青空の下、父親が娘に向かって話しかける。それはいつもの物語だ。
「生きてる宝石がいる。生きてるんだぜ。俺の母さんは、地底の花畑って言ってたけどさ──」
男はチラリと納屋を見やった。亡くなった爺さんから貰った小舟と櫂が、そこにしまってあるのだった。
「大きくなったら、見せてやる。おまえが、いのちの意味を、わかる頃になったら……」
いのちの花園 紫陽_凛 @syw_rin
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