第1929話・新しき日々
Side:足利晴氏
関東を離れ、東海道にて尾張まで来た。
もっと早う来るつもりであったのじゃがの。愚か者どもがあれやこれやと騒ぎおって。
「相も変わらず賑わっておるの」
尾張は熱田の賑わいに、関東を捨てて良かったと心底思う。忠義も道理もない。己の私利私欲のための詭弁としてしか従わぬ者らなどいらぬ。
倅らとてそうだ。公方の地位を欲しておるだけ。関東など、まとめて地獄に落ちてしまえばよい。
尾張はほんによいことを教えてくれたの。
所領を認め、従える以外の道があるとは思わなんだ。かの者らに道理があるのか知らぬし興味もない。ただひとつ、気に入らぬと平然と兵を挙げて歯向かう者らを許す以外の道があると教えてくれただけで十分なのじゃ。
「おお、なんとよき匂いがするの」
「これは旅のお方。おひとついかがでございますか?」
刻限はちょうど
「殿、少し先を急ぎませぬと……」
「よいではないか。ひとつくれ」
素性も知れぬ物売りの飯など食うたら危ういと案じてくれる家臣を制して、まだ熱い握り飯をひとつもらう。
香ばしい焦げ目がついており、なんとも美味そうじゃ。少し冷まそうかと思うが、待ちきれずそのまま一口かぶりつく。
「ほう、これは醤油か。美味いの!」
「ありがとうございます。尾張醤油を塗ったものでございます」
白い飯に尾張醤油を塗っただけの飯。じゃが、これが美味い。熱々の飯の甘さと、香ばしい醤油の味がたまらぬ。市井の物売りが売る飯とはとても思えぬ。
ああ、熱い飯が美味い。上洛の際に尾張で温かい食事を食うて以来、毒見を済ませた冷めた飯の不味いこと。不味いこと。いかな食材を使ったとて、冷めた飯を見るだけで食欲が失せる。
握り飯がすぐに腹の中に消えると、まだ物足りぬと焼いておる飯に目が行く。
「そっちはなんじゃ?」
「こちらは、久遠様のところで売っておられる、ふりかけというものを混ぜております。美味しゅうございますよ」
久遠内匠頭か。涼しげな顔をしておる姿を思い出す。奪うことなく与えることで大きゅうなったとか。よう分からぬところもあるがの。まあ、敵に回さねばよいだけ。
「どれ、そちらもひとつもらうか。そのほうらも食え。美味いぞ」
「はあ、さらば……」
おっと、供の者らを忘れておった。二度と関東に戻る気はない。そう言うたにもかかわらず、わしに従い付いてきた者らだ。この者らこそ、まことの家臣。
「確かに美味しゅうございますな」
「市井の者がかような飯を食うておるとは……」
ふふふ、皆、腹が減っておったのじゃな。これは気付かなんだわしの不徳。にしてもこのふりかけ握り飯というのも美味いの。しかも、こちらのほうが安いではないか。
「お武家様、よろしければ、蟹江の温泉に入り、清洲の八屋という飯屋に立ち寄っていかれるとよろしいかと。尾張の自慢でございまする」
人が良いのか、頼みもせぬというのによきことを教えてくれる。関東諸将がかような話をする時はろくなことがないが、市井の民ならばわしの素性も知らず騙すだけの縁もない。
「うむ、それはよいことを聞いたの」
物売りには飯代と僅かな銭を足したものを与えて熱田の町を見てゆく。腹が落ち着くとなんとも心地よいものよの。
ゆるりと見聞したいところであるが、まずは清洲に挨拶に出向かねばなるまい。上様の信も厚い武衛らの機嫌を損ねて関東に帰れと言われても困る。
「あれも美味そうじゃの」
さて清洲にと思うたものの、いかんとしても気になる物売りがある。もう少しだけ寄り道してもよかろう。もう少しだけな。
Side:かおり
コンピュータのありがたみを痛感するわね。
各地から集まる報告や情報の整理と精査は、久遠家においてもっとも重要であり大変なことのひとつになる。
集まる報告や情報の正確性はこの時代においては群を抜いているものの、それでも間違いや偽の情報が混じることはあるのよね。
今の世で日ノ本の情報が集まるのは、朝廷、寺社の総本山、観音寺城の公方様、尾張となる。中でも寺社の総本山と尾張は集まる情報の量が違う。
個人としてはウチが日本一情報を持っているはずよ。オーバーテクノロジーを抜いた表向きな情報だけでも。
「ちょっと、かおりさん、甲斐における塩の流通量がおかしいわよ!?」
師走ということで情報が多い。整理しつつ一息吐こうとしていると、セルフィーユがやってきた。
「ああ、それね。織田に従っていないところとか他国に横流ししている者がいるのよ。寺社とか。何度か厳命しているんだけどね。あまり厳しくすると飢えて争いが広がるから……」
食事関連になると怖いのよね。セルフィーユって。
ただ、臣従が曖昧な時代なだけに昔から領国を越えて付き合いがあるところもあるし、寺社は同じ宗派同士の付き合いもある。そこに突然、前代未聞の統治が始まり、物価差、物量の差が生じる。
古い付き合いを軽視すると争いが広がるだけなのよね。信濃はウルザとヒルザがいるからやれるけど、甲斐は武田と織田家家臣団が領国を統治しているので、厳格化するのは無理がある。
厄介なのは寺社かしらね。援助という形で付き合いのある関東あたりに流している。ただ、これも大半は儲けていない本当の援助。大殿や司令とエルも黙認していることになる。
「ほんと、ごちゃごちゃね」
うん。そう思うわ。善意と悪意、体裁と本音。いろいろなモノがあまりにも複雑に絡んでなんとか生きていると言ってもいい。
塩なんかは、もう一部の高品質な塩以外は儲けを出すのが難しい。だからこそ織田家でも厳密に管理している品なのよね。とはいえ、やり過ぎると後の世まで恨みが残る。
「飛騨も頭が痛いのに……」
食料、栄養。ここから国を見ているセルフィーユからすると、冗談じゃないのでしょうね。飛騨、白山の噴火が一段落したことで、来年から本格的な復興が始まる。
その調整も織田家では行っているけど、今までにも新領地であった数々の問題がまた起きることになるから大変なのよね。
幸い、人員は流民がどんどん集まるからなんとかなりそうだけど、食料はね……。ほんと困ったものね。
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