第1928話・師走

Side:久遠一馬


 師走となり、尾張では年の瀬に向けて賑わっている。特に商いは盛況で、畿内から来る商人が多い。


 年末年始を控えていることで対外価格は高く設定してあるものの、言い値でいいからと買っていく者が大半だ。


「あまり高く売ると恨まれるんだけどね。どう?」


「売るだけでありがたいと申す者が多いかと。今までの苦労が報われまするなぁ」


 品物の価格は、織田家で定めた範囲内にするように命じている。そのため事前に価格を決めてあるけど、他国の商人たちの反応を参考に、湊屋さんと相談して今後の価格をどうするか考えている。


 領内優先という方針は変わらない。さらに友好勢力には安価で、それ以外は通常価格での商いだ。


 不満は今もあるだろうけど、表面上でも大人しく従って商いをするなら問題ないか。


「蝦夷からの海路を御家が押さえたことで諦めた者は多くおります。その気になれば東西から荷留をされるのではと恐れておる者も……」


 やはり日本海航路を制した影響が徐々に出ているか。あそこは畿内にとっても重要なんだよね。


 さらに畿内から東にとっての日本海航路は生命線と言っても過言ではないほど重要なもので、越後の長尾なども過去には能登畠山と争い、日本海航路の流通を止められたことで詫びを入れたことすらある。


 制海権と奥羽領が盤石となると、こちらのさじ加減で東国の諸勢力をどうとでも出来るほどの影響力があるとも言える。ちょっと大袈裟だけどね。


 もっとも斯波家の存在がなければ、ウチは南北、この時代で言うならば日ノ本の東西から侵略する外国勢力として、集中砲火を浴びていたかもしれないけど。


 経済で言うならば、西高東低だった状況からようやく東国が発展し、超えていこうとしているくらいだろう。畿内と西国を合わせた国力は依然として大きなものがある。


 まあ、需要を満たすほどではないものの、年越しに向けて畿内や西国向けの品物は増やしてあるんだ。多少高くても欲しいというのが現状であり、入ってくる銭は悪銭鐚銭がそれなりに多いものの、畿内や西国から集まる富と資源を用いて織田領を整えていく。


 尾張はこの程度の賑わいは慣れているので特に混乱はない。



 今苦労をしているのは近江六角家と伊勢北畠家だろう。


 近江では御所造営という国家事業クラスの資金と物資で沸いている。利益分配とか大変で、厚遇されない、利が多くないところは多かれ少なかれ不満がある。


 近淡海の湖賊なんてのは、その筆頭だろう。観音寺城の麓に御所と安土、今の目賀田山に詰城を築くならばと相当期待したらしいが、蓋を開けてみると必要最低限しか水運の利用がない。


 六角家従属の水軍もいるものの、寺社やら湖賊やらの利権が大きく重用するほどでもない。


 さらに御所防衛のためという名目で、水軍もあの地に新設すると噂が流れたことで動揺が大きい。義賢さんと宿老クラスの理解はあるので表立った反発はないけどね。


 既存の湖賊が信じられないと示した形になるからだ。大人しくしているほうがあり得ないだろう。


 ほんと、もっと水運を利用出来ると便利なんだけどねぇ。ただ、尾張・伊勢と観音寺間だとそこまで利便性がないっていうのが一番大きい。


 他にもいろいろとあるものの、当面は様子見というのが大半の勢力の現状だろう。こちらとしては、その間になるべく朝廷と政治を少しずつ切り離す必要がある。


 次に伊勢北畠家に関しては、宮川決壊の一件と家中の改革で難しい局面に入っている。


 宮川決壊の現状だが、具教さんに従わなかった土豪、村、寺社の土地だけはすべて北畠家の管理下に戻った。突然物価が変わったことと北畠家の覚悟に逃げ出した者が多数おり、降伏も許されず崩壊したというほうが正しいだろう。


 その過程で望んでもいない首が届いたり、名のある高僧が仲介を始めたりと大変だったみたいだけど。


 なんか力業で解決した形になったものの、この時代ではこんなものなのかもしれない。


 その分、堤防再建、田畑の復旧と復興は順調だ。問題は費用負担と朝廷と繋がりが深い伊勢神宮という存在になる。


 ざっくりと説明するならば、村々を支配して税を取り、守ることで従える旧来の統治体制からの変革を北畠家が決断した。


 北畠家中は何度も尾張を視察するなど学んでいたので、やる気はともかく理解はそれなりにしているが、極論を言うと、神宮もそうだが旧来の統治でいいという感じで変革を望んでいない。


 神宮は村々に銭を与えてまで復旧や復興をすることを喜んではおらず、格差で困るのを察して渋々北畠に合わせているという感じだ。


 伊勢神宮もね。変わりゆく周囲を目の当たりにして、悩み、迷い、変化の時代を迎えつつある。


 伊勢志摩にかつてあった神宮領は戦乱の時代となり多くを横領されていて、それを正式に織田領として組み込む際に、元神宮領の放棄を条件に一定額の寄進をすることを決めた。


 当初はこれで本来の神宮に戻れると喜んでいたみたいなんだけど……。


 自分たちで苦労をし血を流して取り戻していない収入は、神宮にとって多額の不労所得が転がり込んだとも言えるものだった。


 尾張のような豊かな国が近くにあり、もともと自分たちは特別だという意識がある身分の人たちだ。尾張を意識するように自然と暮らしが贅沢になり、それが当たり前となる。


 そう、神宮の一部が堕落し始めている。大人しいのは織田とウチに逆らうとお金を止められると理解しているからだ。


 晴具さんの存在も大きい。もともとあの地で力を示していた晴具さんが織田と協調する立場となったことで、神宮は大人しくしているしかないんだ。


 この機会に式年遷宮の支度とか、放置されている神宮内の施設を復興する道筋でも付けてくれたらよかったんだけど。


 無論、真面目にそういうことを考えている人もいる。ただ、どこの組織も同じだ。一致結束ほど難しいことはなく、奪い合うほどの富があると内部で権力や富を巡って静かな争いがある。それだけのことになる。


 晴具さんは放置する気だけどね。宮川関連の復旧と復興もお金はあるんだから出させる。出さないなら神宮領を放棄させるらしい。


 一方で北畠家中は喜んでいないものの、従っている。宮川決壊の際に、具教さんが差配をジュリアに任せたことがよほど衝撃だったらしい。


 従わないと、またウチがしゃしゃり出てくるのではと考え、主立った者は変わるべく動きだした。


 言い方が適切か分からないけど、命じられるうちが花だと悟ったらしいね。末端の土豪と村とはいえ要らないと言っちゃったから。


 ただ、北畠は勢力圏のうち外れのほうに行くと口だけの臣従とか、両属とか面倒なところもいるからね。大変なのが現状になる。


 義統さんや信秀さんたちとも話をしているけど、六角家と北畠家の改革は、なにがあっても成功させないといけない。


 結局のところ、ウチが助言を密かにすることで進めている。


 今の斯波と織田に必要なのは、なにより共に進む仲間なんだ。両家で改革が失敗して織田が飲み込む形だけは避けたい。


 中央集権は既定路線であるものの、その道筋はなるべく血を流さずに進めたいからね。


 ともあれ、今年もあと少し。これ以上、何事もないことを祈ろう。


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