第1927話・燻る懸念

Side:久遠一馬


 奥羽の寺社に関する各宗派の本山の動きがない。早いところだとこちらに問い合わせくらいあってもいいんだけど、見事なまでにどこも動かない。


「当然のことなのよね。奥羽にある地元の主立った寺が認めないんだもの。直接、従える寺の書状がないと会うことすらないと思うわ。身分を確かめようもないもの」


 まあ、そうだね。メルティの言うとおりだ。名のある寺、本山で修業をしたような僧がいるようなところは見事に動いていない。はっきり言うと、そのクラスで蜂起したところがないんだよね。


 あと寺社としての体力、財力も違う。当面、様子を見る力のないところはない。末端の寺社と寺領で生きる領民が飢えたとしても。


はしたの切り捨てか。哀れになるね」


「殿……」


「うん。分かっているよ。ここで言うだけだから」


 つい本音を漏らすと資清さんが心配そうに声を掛けてくれた。これデリケートな問題で、清洲に訴えたところはこちらで対処して決めていいことだけど、末端の寺社が最上位の寺に訴えたことは織田と無関係な寺社内部の問題になる。


 蜂起側の言い分では、中堅の寺が自分たちをないがしろにした。一方的に悪者にしたとか言っており、織田だけではなく、自分たちを面倒見ていたはずの寺社にまで噛みついているんだ。


 切り捨てられたことは当然悟っていて、織田から譲歩を引き出すか総本山に認めてもらわないと生きていけないからね。騒ぐんだ。


 こちらとしては、本山が動かない以上、なにがあっても口を出すことは出来ない。


「尾張と近隣の寺社は、他とは別物のようでございますな」


「左様、こちらだと新たな商いや旅籠のやり方を習う者すらおるというのに」


 そのまま資清さんは話題を変えるように、望月さんと領内の寺社の現状を口にした。


 領内、関所廃止していることもあって人の移動が盛んなんだ。寺社としてはあの手この手で寺社に人を集めることは何年も前からしており、今では寺社が商いに乗り出すところまである。


 新しいことを始める資本と知識があるのって寺社なんだよね。


 食用油とか豆腐とか、領内で普及しつつある理由には寺社が売り出したこともある。もともと彼らにあった技術で、それをウチが使って価値が上がり需要が生まれたことで商いとして利を得ている。


 宗教団体の利益追求、これメリットとデメリットの双方があるけど、現状だとメリットが大きい。寺社に限らず主義主張がはっきりしているところを社会から孤立させると、ろくなことにならないんだよね。


 少数派として転落していく先は過激化だ。


 織田家としてはこれを防ぐために、利益追求の流れを認めている。というか自分たちの食い扶持を稼ぐという流れは、神仏の権威で金を集めるよりは健全であり悪くない。


 寄進の強要のほうを織田家では問題視していて、かつての寺領などに対して寄進を強要したところには断固とした処置をしているくらいだ。


 豊かになりたいなら働け。わりとそんな風潮がある。寺社と坊主と神仏を別だと言い出したオレの影響だろうね。


 実際、こっちの定める経済と流通ルールを守っているからなぁ。頼もしい味方と言えるほどだ。


 話を戻すけど、本山クラスだと、そんな織田領での寺社の変化を知っているんだ。日ノ本の果てと思うような奥羽の末端など切り捨てだろうね。


 中身は地方を軽視する高貴な人たちの集まりだから。


 弱肉強食。それもまた世の中の真理になる。




Side:とある寺の坊主


 夜が明けるかという頃、竈に火を入れると豆腐作りを始める。前日から支度しておった豆から豆腐を作るのだ。


「寒いな。だが、かような日は熱々に煮た豆腐が美味い」


「そうだな。今日は代官所から頼まれた分がある。忙しくなるな」


 前日までに頼まれた分と、ふらりと買いに来る者の分を作る。


 一昔前は寺社以外ではさほど食うことなどなかった豆腐だが、久遠様のところでよく食べるということから尾張や近隣では一気に広まった。


 近頃ではここの豆腐が美味いと言われるようになり、少し離れたところからも頼まれるようになったほど。


 少し前から作るようになった豆味噌もよく売れる。


「なくなってみると案外悪うないものだな」


「ああ、そうかもしれぬ」


 寺領のことであろう。喧嘩や諍いの仲裁をすることは今でもあるが、税に一喜一憂しなくてよくなり、近隣の武士と争いになることはない。


 困ったことと言えば、還俗げんぞくする者が増えたことで寺の仕事が忙しいことか。警備兵や文官として織田家に仕えるため還俗する者が近頃多いのだ。


 もとより仏道で生きることを望んだわけではなく、家に居場所がないと寺に来た者らは織田家に勤めれば自らの家を残せると知ると寺を去った。


 寺領を手放したことで当初は人が余っておったのでちょうどよかったが、今では人手が足りず、近くの村の衆が見かねて手伝いに来てくれるほどだ。


「にしても奥羽か。心情は分からんではないがな……」


 理解はする。されど、久遠家の者が命を懸けて船で運んだ荷を配慮の名目で寄越せとは筋が通らぬ。左様なことをするから寺社への信が薄れてしまうのだ。


 もっとも、尾張では寺社そのものが様変わりしておる。


 驚くところでは、いくつかの寺が自ら廃寺にしてしまったことか。皆で織田家に仕えるからと寺を継ぐ者がおらなくなり、もとよりあまり豊かな寺でなかったことで寺を廃してしまった。


 同じ村に寺が幾つかあるところで、廃寺としても誰も困らぬと今になると分かるが、寺社とはなんなのかと考えさせられることであったな。


「いずこの本山も、上に行けば高貴な家の者ばかりだ。贅を尽くし戒律も守らぬ。わしも神仏には祈りを捧げるが、本山を信仰する気などない。蔵人のように我らを鄙者ひなものと軽んじて見下す者ばかりなのであろう。世も末だ」


 東国は信がおけぬと譲位から締め出すような者らなど、誰が信じるか。


 守護様と弾正様と内匠頭様からの連名で、騒ぐなとご下命があったことで皆我慢したがな。兵を挙げると言えば尾張国内は民も寺社も皆が一致結束して戦ったはずだ。


 我ら寺社にとっても敵は畿内なのだ。



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