第1926話・寺社というもの
side:千秋季光
「ナザニン殿の言うこと、一々もっともだな」
熱燗をくいっと飲んだ堀田殿は、他に言いようがないといわんばかりに呟いた。
寺社奉行として寺社の立場を理解するのは大切であるが、いずこを見て役目に励むのか忘れぬほうがよいと言われ返す言葉がなかった。
そのことについて話そうと、珍しくふたりで酒を酌み交わしつつ互いの思いを語ることとしたが、御家の治世と先行き、それと寺社としての立場、いささか悩むのが本音だ。
噂に聞いた久遠家の外務の秘伝を会得した奥方。さすがとしか言いようがない。
いずこの者も、それぞれの言い分は必ずしも間違いではない。ただし、突き詰めると各々が勝手に生きるということが織田の地では通じなくなったことで、いずこが困るかという話になる。
もう少し踏み込むのならば、久遠家は寺社を信じておらぬ。それに尽きる。まあ、武士と同じ程度には信じておるようだがな。厳密には寺社と神仏を別物と考えているということ。
寺社には人々の心のよりどころであり、生きる助けとなるように望んでおる。神仏の名を騙らず人の力によってな。
尾張や近隣の者は意地を通した先に待つのが、三河本證寺や伊勢無量寿院であることで諦めておるものの、それを理解せぬ者は意地を通して己の権威と利を守ろうとする。
「民が求めるのはいずれか。それを問われると勝ち目などないのだがな」
堀田殿の語る通りだ。寺社が世の流れと先行きを理解しておらぬという愚かさに頭が痛くなる。
「叡山や他の本山は動くであろうか?」
「動くわけがなかろう。尾張との誼と利を捨ててまで名も知らぬような末寺を庇うような者がおるとは思えぬ。むしろ、そこまで端の者を思う者がおるなら話す価値はあろう」
近頃騒ぎとなっておる奥羽の騒動については、騒ぐ者らに道理がほぼない。面目を立てぬ織田が悪いのだと騒ぐ者もおるが。助けもいらぬ、戦になっても一切なにも求めぬと言い切られては負けというもの。
こちらとしては落としどころを決めておきたいが、肝心の代官殿が戻るのは師走だ。守護様も大殿も内匠頭殿もそれまで動く気がない。なんとか年の瀬までに片付けたいと願う寺社の者らと余裕が違う。
さらにかの者らが縁ある公卿や公家を頼ったところで、この件で安易に動くことはあるまい。伊勢無量寿院が飛鳥井卿を担ぎ出したことで拗れに拗れたからな。
「寺社は己の力で変わらねば、二度と人々の信が集まらなくなってしまうのではあるまいか?」
ああ、そうかもしれぬな。百年後は仏ではなく大殿や内匠頭殿が神仏のごとく祈られておるかもしれぬ。戯言のように思えるが、あり得ぬと一笑に付すことも出来ぬ。
まあ、我らには考えることが出来る立場にある。試行錯誤。久遠殿がよく使う言葉だ。それがいま必要なのだ。
Side:久遠一馬
京の都から、今年分の写本が届いた。図書寮に収める分だ。やはり長い歴史のある畿内にある書物の数と種類は尾張の比ではないらしい。
この件は広橋さんがとりまとめていて、向こうは残すべき資料を選ぶつもりだったようだが、こちらからどんな内容でもいいので、なるべくすべて残したいと伝えた結果でもあるけど。
無論、残せないもの、外に出せない記録や日記まで出せとは言っていない。とはいえ、当時の暮らしや世の中を後世の人が知るには必要なものだと向こうも理解している。
実際、織田家とウチであっても記録は残せないものが多いしね。嘘偽りは論外だが、残してはいけない歴史もある。
「これまた寺社でございますか」
広橋さんの手紙に太田さんが考え込む仕草をした。実はこの件、少し思いもしない方向に動いた。京の都にあるいくつかの寺社が本格的に参加したいと打診があると知らせが同時に届いたんだ。
経典などは論外だが、出せるものは出してもいいということだ。ただ、条件もあり、それらの寺社による図書寮の利用を認めてほしいという嘆願が付帯してある。
「この件は評定で話さないとだめだね。又助殿、あとで手配をお願い」
「はっ、畏まりましてございます」
狙いは尾張とウチの知識だろう。上手い手を使うなと感心する。広橋さんもそういう狙いがあるときちんと書状で書いてくれているし、間違いない。
寺社の側もウチの家伝やら秘伝を得られるとは思っていないものの、自分たちが出す情報と同等以上の価値があると踏んだようだ。
まあ、もう少し言えば、寺社を頼らない斯波と織田との繋がりが欲しいのだろう。本願寺と興福寺は相応に話が出来ているけど、あとは正直、可もなく不可もなく。
畿内に野心がないのはいいが、格差に気付き動いたということか。
ちなみにこの件、厳密には尾張が口を出すことじゃない。朝廷の図書寮再建とその分館を尾張に造るだけだ。とはいえ、こちらから持ち掛けた案件であり、言いだしっぺがウチだからなぁ。
しかるべき議論をしたあと、北畠と六角にも根回しをして義輝さんの奉行衆にも報告と相談がいる。今後の寺社との関わりに影響しそうだ。
「殿、いかがされるおつもりでございますか?」
ちょうどエルたちが席を外していたことで、千代女さんがこの件について思案しつつオレの意見を問いかけてきた。
「大筋では受けるべきだと思うよ。寺社もまた変えていかなきゃいけない。ナザニンあたりは交渉という立場から寺社奉行を案じていたけど、千秋殿と堀田殿が正式に臣従をして寺社奉行という恨まれることもある役職に就いたのは、寺社を守りたいという意思からでもあるし。そういう人は家中にも多いから」
今の斯波家と織田家は、新旧様々な価値観と考えが入り混じった複雑な組織になりつつある。議論と根回しは丁寧かつ、本気でやる必要がある。
義統さんや信秀さんとオレたちで決めると、まず逆らう人はいないけど。それだと家中の皆さんが経験を積めないからね。
「では、エル様と八郎殿と話して御家の考えをまとめておきます」
「うん、お願い」
千代女さんが席を立つと、一息つく。
奥羽では拗れて面倒なことになっているが、そのタイミングでこの件だ。畿内の人が鄙の地だと田舎を馬鹿にする理由が、こういうことの積み重ねなのかもしれない。
まあ、オレも宗教は好きになれないが寺社は嫌いじゃないんだよね。ここらで動いたところは穏便に残していければいいんだけど。
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