第1930話・師走も半ばに……

Side:松平広忠


 わしは今、三河代官として岡崎城におる。


 生まれ育った城は愚か者に焼かれたことで建て直しており、かつての面影はあまりない。織田家に献上したこともあり、今では三河代官所となっておる。


 三河介様が三河代官から遠江代官となられたため、東三河代官として勤めていたわしが三河全土の代官となった。


 遠江、駿河と領国が広がったことで、大殿の下命により三河代官所を安祥から岡崎に移しておる。あそこは今でも栄えておりよい城だが、三河全土を治めるならばいささか地の利が良くないことが理由だ。


「次郎三郎殿、この件でございますが……」


 師走も半ばとなったことで、年内に片付けねばならぬ仕事が次から次へと舞い込む。争いが消えた三河では、奪わずに豊かになるために皆で励んでおるのだ。


 もう、名門がひしめき合う三河は存在せぬ。名門らの意地も、父上が夢見た三河統一も、遠い昔のこと。


 田畑を整えるばかりか、瓦や茶など、多くの品を作り増やすこともしておる。


「ああ、すぐに始めてくれ。清洲にはこちらから申しておく」


 最早、駿河と尾張の顔色を窺い、いかに生き残るかと案じる日々ではない。奥三河ですら信濃への街道として多くの人が行き来しており、様変わりしておるほどよ。


 我が松平や吉良など古くから同族で争うておった者や、織田家と今川家の狭間で一族が分かれ因縁が出来た者らも多いが、今や表立って騒ぐことはない。


 家督のことなどで揉めることはあるものの、外に聞こえるほど争うてしまうと、一族郎党まとめて日ノ本から追放されることすらあり得るからな。


「結局、意地を張らずに我慢した者が生き残ったのかもしれぬな」


「殿……?」


「いや、なんでもない」


 幾人かは己の才覚で立身出世をした者もおる。また織田の治世を受け入れられずに隠居し出家した者もな。


 されど、左様な者でさえ、織田の治世の下で世のために働くことになった者が多い。寺社には寺社の役目があり、それを拒む者に与える銭などないからな。


 納得した者、納得いかぬ者、今でも様々であろう。されど、因縁渦まく今の世で争いをなくすには他に手はあるまい。


 すべて根切りにしていく以外はな。


「殿、少し休まれませ」


「そうだな。休むか」


 忙しいことで休むことなく仕事をしておると、於大が皆に飯と味噌汁を運ばせておった。


 かつては竹千代と共に尾張にて暮らしておった於大だが、竹千代が元服したことでわしと共に清洲と岡崎を行き来しておる。内匠頭殿と奥方衆の様子から、皆がそれを真似るようになったからであろう。


 水野家と手切れとなり於大を返した日が、遠い昔のように思える。


 一休みして、また励まねばな。


 二度と、かつてのようなことをせずともよいようにな。




Side:とある織田家古参の武士


 うまの刻の鐘が鳴ると、仕事の手を休めて食堂に向かう。今日はなにが食えるのか。それを考えるだけで、さらに腹が空く。


「ああ、今日は……」


 いつも賑やかな食堂が幾分静かな気がした。なにかあったかと思うたが、今日の品書きを見て納得した。


「雑炊の日か」


 近頃だと民ですら食わなくなりつつある雑炊だ。雑穀にその辺に生えておる草を入れて僅かな塩で煮るだけの飯になる。


 もっとも草も生えておらぬ冬故、この日は雑穀のみとなるがな。


「これを食うとかつての日々を思い出すな」


「ああ、我らは飢饉にでもならねば食うことはなかったがな」


 いつもならば皆が喜び飯を食うが、この日ばかりはなんとも言えぬ顔で食うておる者が多い。


 近くに座る者らの話す声を聞きつつ、わしも雑炊を頂くとするか。


「この味だな」


 一切、変わらぬ味だ。もう少しでよいので塩が欲しい。近頃は飯を楽しみにすることが多いが、かつての食えればよいと考えておった頃を思い出す。


 尾張は肥沃な地故に、そこまで食うことに困ったことはない。されど、水害などで所領の田畑が駄目になると、かようなものを食うこともあった。


 もともと、この雑炊を食う日は滝川家で始まった習慣なのだとか。久遠家に仕えて立身出世を果たしたあとも、かつての日々を忘れぬようにとな。


 それを知った若殿の命により、今では織田家において月に一度はこうして雑炊のみの日がある。


「これ美味くないんだよな」


「仕方あるまい。そういう日なのだ」


 ある程度、歳を重ねたものは文句など言わずに食うておるが、若い者は不満げな者もおる。左様な者らの姿に僅かに怒りが込み上げてくる。


「美味いものを日々食えるのを当たり前だと思うとはな。なんと愚かな。不満があるなら食わずとも良い」


 周囲の者らも同じ思いを感じておったようだが、そこに少し離れたところで食うていた家老の佐久間殿が声を上げると、食堂が静まり返った。


「もっ、申し訳ございません!」


ひらに、平にご容赦を!」


 顔を青ざめて平伏する姿に、ため息が漏れそうになる。ありがたみも知らず意地を通すことすらせぬ。一昔前ならば、かような者は笑い者にされたものだがな。


「ちょうどよい。武官と警備兵の若い者らには飯を食わせぬ鍛練がある。文官衆の若い者もその鍛練に回すか。人手が足りぬ故に悩んでおったが……」


 ああ、あれか。戦に備えて僅かな水と食い物のみで行軍する鍛練をしておるとか。佐久間殿がそれに言及すると、若い者らの顔が青ざめる。


 内匠頭殿の奥方衆でも、今巴殿と氷雨殿は厳しいことで知られておるからな。その鍛練もまた久遠家より教えを受けたものだと聞いたことがある。


「ナイスアイデアでござる。流石は大学殿!」


「ビシバシ扱いてやらないと駄目なのですよ?」


「左様だな。敵を討つ前に美味い物が食えず戦えませぬなどというのは、あってはならぬからな」


 しんと静まり返った中で同意した者たちに驚いた。わしの背後におった故気付かなんだが、刀殿と忍殿と佐々殿がおられたのか。


 『ないすあいであ』とはよう分からぬ言葉だが、佐久間殿に同意したことは確かか。これで止める者がおらなくなるな。


「我が殿には私たちから言っておくのでござる」


「左様でございますか。ならばお頼み申す。大殿にはわしのほうから進言しておきます故に」


 刀殿の言葉に我が意を得たりと佐久間殿が笑みを見せると、最早、決まったな。


 内匠頭殿は若い者に甘いからな。少し困った顔をするかもしれぬがな。止めはするまい。





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