第1911話・カルチャーショック

Side:武田信虎


 清洲城内にて謝罪行脚をしておると、八郎殿と出くわした。


「これは八郎殿、武芸大会の折には要らぬ懸念で騒がせて申し訳ない」


 深々と頭を下げて詫びを入れると、いささか困った顔をされた。


 立場上、なんとも言えぬのは理解しておる。されど、詫びを入れねばならぬ。不興を買うわけにはいかぬ相手なのだ。


「わざわざ痛み入りまする」


「内匠頭殿にも出向くつもりじゃが、慶事の最中故、要らぬ話は聞きたくなかろう。折を見て出向かせていただく」


 誰ぞを責めるわけにいかぬ。わしが斯波や織田ならば、もっと苛烈に責め立てたであろう。新参者が面目だ因縁だと騒ぐのだ。討たぬほうがおかしい。


「あまりお気になさらずともよいかと。臣従して日の浅い者が落ち着かぬのはよくあることでございまする。さらに我が殿は確と働く者を好むところ。家臣であっても失態や過ちで大きな罰を受けたことはございませぬ」


「そう言うていただくと気が楽になる」


 ふむ、内匠頭殿と奥方衆の怒りに触れたということはなさそうだな。安堵した。内匠頭殿が始めた武芸大会に泥を塗りそうになったことで案じておったのだが。


 慈悲深く寛容な御仁なのは承知なれど、一方で院の蔵人相手に引かずに己が意思を通したのもまた事実。


 本領を見た故に察するが、内匠頭殿は我らとは違う信念と考えがあるのだ。


「しかし、流石は無人斎殿でございまするな。家中の皆様方もこれで安堵しておりましょう」


 わしが心底安堵したのを見抜かれたようだ。前々から思うておったが、八郎殿もまた一廉の男か。あの内匠頭殿と奥方衆が家老を任せておるのも納得の御仁だ。


「いや、領国もまとめられず追放された程度の身。されど、倅と家を守る助けにはなってやりとうての」


「我が殿は無人斎殿を感心しておられた。過ぎたる因縁を胸に収め、武田家と今川家、それと小笠原家もか。その三家を争いにならようにと繋ぎ、織田家中への配慮も欠かさぬ。無人斎殿の働きは替えの利かぬものかと」


 内匠頭殿がわしを左様に見ておるのか? 事実なのであろうな。八郎殿は世辞でわしの機嫌を伺うような立場ではない。まして主の名で勝手なことを言うことなどこの御仁はあり得ぬだろう。


 正直、今でもわしを追放した者らを許せぬところはある。されど、あの者らが勝手をすることは二度とない。そう思うことで矛を収めることにした。それだけなのだが。


「そう言うていただくと気が楽になる」


「そろそろ山を越えたはず。あとは楽になるはずでございましょう」


 長く呼び止めるわけにはいかぬ。立ち話を終えると一礼して去りゆく八郎殿を見送るが、あの御仁は昔からかように出来る男だったのであろうか? それとも久遠家に仕えて変わったのか?


 先代の管領代殿が出したのを惜しんだという話は聞くが……。


 いずれにしても家臣を教え導くのも主の務めということか。わしはまだまだ未熟ということであろうな。




Side:久遠一馬


 子供が生まれると、ほんと忙しくなる。お祝いを受ける立場になるからね。


 正直、気持ちだけで十分なんだけど。まあ、そうもいかないのは理解している。現状の社会では厳格な法治による社会ではない。故に、権力者を縛る鎖は少なく、与えられている権限と選択肢が多いんだ。


 まして中央集権化を進めて権力者に力を集めているのはオレたちだし。


 今更、一介の家臣だとか、織田一族の一員ですという体裁が家中に通じるはずもない。


 お祝いの品は体にいい食べ物とか、縁起物、反物とか刀剣の類が多いかな。ウチは猶子を含めると子供が多いし、反物とか刀剣は多くても困らないと考えてくれているみたいだ。


「無事に産まれたか。良かったな!」


 ただ、この日の来客はちょっと驚いた。我が事のように喜んでくれる菊丸さんと与一郎さん、塚原さんたちはいいんだ。


「突然、訪ねて申し訳ない。塚原殿が案内してくれると勧められまして……」


 慶寿院さん、いや、今はただの尼僧様か。この人を連れてきたことにはさすがに驚いた。


 武芸大会後、また尾張を見聞するために歩いているとは聞いていたけど。まさかウチに来るとは。


「いえ、尼僧様もよくおいでくださりました」


「せんせー!」


「きく! よいち!」


 ああ、ウチの子たちが駆け寄ると、尼僧様が目を丸くしている。


「ハハハ、妹御だそうだな。良かったな!」


「うん! げんきだよ」


「いっしょにさんぽするの!」


 子供たちを抱き上げて楽しげにしている菊丸さんを、信じられないように見ている。ちなみに、いつもの通りにしてほしいというのは菊丸さんの要請だ。


「そなたらは城で見た……」


 そんな中、ロボとブランカが見知らぬ尼僧様の前で少し距離を空けて警戒しているようにすると、尼僧様も気になったらしい。


 清洲城には、ロボたちの子であるさんゆかりてうつきがいるからなぁ。今ではそれぞれに伴侶と子供もいるし賑やかなんだ。


「城にいるさんゆかりてうつきの親なのですよ」


 ウチのこと、いろいろと聞いていたんだろうなと察する。外国の王とかそんな認識があったみたいだね。ただ、ウチは権威とか無縁だからなぁ。一種のカルチャーショックだったんだろう。


 朝廷や足利にも属さない本領を持つ者。その実態は? そう思うと、オレたちの様子は異質なんだと思う。


「おお、そうだ。尼僧様に温室をお見せしたくてな」


「ええ、構いませんよ」


 子供たちと一緒に尼僧様を温室に案内する。特に珍しいものはない屋敷だけど、これだけはみんな驚くんだよね。


「これは硝子……?」


 尼僧様は硝子で出来た温室を固まったように見上げている。


「こっちだよ」


「なかはあちゅいの!」


 希美とあきらが尼僧様の手を引くように中に連れて行くと、控えているお供の方が驚きの表情を浮かべるが、菊丸さんがそうするようにと子供たちを誘導したんだよね。


 子供と手を繋いで歩くとか初めてなんだろうなぁ。どうしていいか分からず少し困った顔をしている。


 さらに中に入ると、明らかに見たことのない植物があるんだ。驚くなというほうが無理だよね。


「なんと……」


「ここは冬でも暖かい場で日の光を得られるので、常ならば冬に育たぬ作物が実ります。また日ノ本にはない暖かい土地にある、珍しい作物なんかも育てられますね。硝子が安くないので広めることは出来ませんが」


 驚く尼僧様に菊丸さんはどこか嬉しそうだ。地道に尾張を理解してもらおうと頑張っているみたいだね。



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