第1907話・諭す者

Side:武田晴信


 武田家は危うい。いかほどの者が理解しておるか分からぬが。血筋があり因縁やらなにやらと面倒ばかり起こす者など、常ならば隠居させ密かに始末するであろう。


 遠縁であっても血筋の者と然るべき者を縁組し、家を奪ってしまえばよいのだ。わしとて諏訪で同じことをした。


 故に、武田家は存亡の機なのだ。


 何故、始末せぬ。そう訝しげに見ておる者は織田家中にもおろう。突き詰めると、武衛様、大殿、内匠頭殿。このお三方が左様な治世を望まぬというだけ。


 ただ、それも限度があろう。


 隠居するべきかと思案していると、助けは意外なところからあった。小笠原大膳太夫長時。かつて居城と所領を奪った相手だ。


 この日、わしはその小笠原家の屋敷を訪ねている。


「大膳太夫殿、此度はかたじけない」


 到着早々、深々と頭を下げると、連れてきた家臣らが静まり返る。武芸大会も無事に終わったことで安堵しておった者が多いのであろうな。


 にしても、武田と今川を招いて茶席を設けるなど大胆なことをする。三家にて婚姻の話が進んでおるとはいえ、捨て置いたところで小笠原家は安泰であろう。


 織田の治世が性に合う男だ。信濃に拘りもないらしく、最早、戻ることもない様子。戦下手という欠点があるものの、それも今となっては疑われぬ理由となっておるはず。


「礼ならば御屋形様と大殿に申し上げるべきであろうな。頼まれたわけではないが、わしは尾張の治世のままに動いておるに過ぎぬ」


 忸怩じくじたる思いもある。戦に勝ち、所領を奪った相手に情けを掛けられるか。己の愚かさが嫌になる。


 まあ、小笠原殿には戦に勝ちつつも、最後の最後で織田に降るという奇策により敗れたのだ。相手は格上。そう思うしかあるまいな。


「左様な話はよかろう。せっかく上手く収まったのだ。このまま落ち着かせるべきこと。要らぬ懸念でいかになるか。わしが言うまでもあるまい? 今川殿は先に着いておられる。さあ、茶席に案内しよう」


 確かに。織田の懸念は関東になろうな。要らぬ隙を見せるなと誰もが思うておろう。それ故、わしも懸命に励んでおるが……。


 すっかり静まり返った家臣らと共に茶席の場に行く。


「お待たせしたようで申し訳ない」


 今川殿にも挨拶をし、双方の模擬戦に出た者がこの場に揃った。


 ただ、男どもが会話もなく遠慮するように無言で座るだけの場に、ため息が漏れそうになる。織田の者がかような様子を見て報告を上げるわけだ。


 嫌なら帰れと怒鳴られても致し方ない。


「本日はよき煎茶が手に入っての。両家の方々はまだ飲んだことがないかと思い、これにした」


 機嫌よさげに振る舞う小笠原殿が、十人ほどの家人と共に茶を淹れつつこちらに話しかけてくれる。


 家中では戦下手だと軽んじておった者が多い。おかしなことを言いださぬかと案じてしまうわ。


 茶のよき香りがする頃、菓子が配られる。されど、その菓子に思わず目を疑った。


「ケイキか」


 織田や久遠にて祝いの席で出すケイキが配られたのだ。白きその菓子に今川殿も驚いたのが分かる。


 作れるのは幾人もおらぬと聞いたことがある。もとは久遠家の秘伝であり、織田家でさえも清洲城の料理番くらいしか作り方を知らぬとか。


「それは大智殿のお手による菓子。家中でもなかなか食えぬものよ。皆々様は運がよいの」


 すっと背筋に冷たいものが走る。

 

 小笠原殿が頼んだのか? それとも武衛様や大殿か内匠頭殿が作らせたのか? それなりの家の者の婚礼には贈ると聞いたことがあるが、これを茶席のため作ったとは……。


 今川殿と目が合う。恐らく考えておることは同じであろう。


 新参者がいい加減にしろという、我らへの怒りがあるのであるまいか?




Side:今川義元


 武田殿も気付いたか。


 今でこそ血筋や権威を重んじておるが、斯波と織田は本来そこまで血筋や権威での配慮を好んでおらぬ。


 この十年、わしは雪斎と共に尾張と対峙したのじゃ。そのくらいは理解しておる。


 内匠頭殿も今でこそ公の席に出てくるが、最初の数年はそれすらしておらず、当人が血筋や権威で動くことをよく思うておらぬことも察している。


 かの御仁らが変わったのか? 違うな。面倒事を避けるために合わせておるだけであろう。故に今川と武田は少し危ういところがある。


 きっかけさえあれば、土岐のように放逐されるはず。


「ああ、確かによき茶でございますなぁ」


 しばし考え込んでおると、倅が嬉しそうに茶を飲んでおった。


 若いというのは時に無知を晒すが、過ぎた日々より先を見て動けるのはよきことでもあると教えられる。


「うむ、わしは茶の湯よりこちらが好みかもしれぬ」


 それに続いたのは武田の嫡男か。ケイキの意味に気付いたのか? それとも気付かずに因縁を軽うするために動いただけか?


 いずれでも進むという事実は同じか。


「織田家中の者も案じておられるのだ。新参者が家中を壊して乱世に戻すのではとな。武田家と今川家ならば、それもありえると思う者がおる」


 倅らの言葉で少し場の様子が緩むが、茶を淹れ終えた小笠原殿が静かに語ると驚きの表情を浮かべる者が幾人もおる。


 出来るわけがない。左様な言葉が浮かぶが、小笠原殿とて百も承知か。両家の者らに一から話して聞かせるために言い出したのであろう。


「さらに西では斯波家と織田家が尽くすことでなした譲位において、朝廷は東国を締め出した。この件が皆を驚かせておっての。公方様が随分と我らにお気遣いくださることで治まっておるが……」


「なんと……」


 あまり口外するなと言われておる件を軽々けいけいに口にした小笠原殿に驚くが、あの件は駿河や甲斐に住まう者の多くは知らなんだことだ。場を忘れたかの如く驚きの声を上げた者が幾人もおる。


 そうか。小笠原殿はあえて内情を知らせることで皆に覚悟を促す気か。


「腹を切れば許され、一族が残ることなどはもう考えぬほうがよい。美濃の土岐、奥羽の浅利。愚かなことをした者は一族郎党追放される。しかも今は日ノ本の外だ。それはこの場におる我らとて同じことぞ」


 まさか小笠原殿に諭されるとはな。礼法指南か。愚か者に行儀作法を教えることが上手いと評判だ。愚か者を従えるにはかように一から話して聞かせねばならぬということか。


「名を上げる機会はまだまだあろう。敵を見誤らねばな」


 その一言で小笠原殿は無言となり、なんとも癖になる味わいの茶と、意識せぬまま口に運んでしまうケイキの味を皆、静かに楽しみだした。


 都の公卿であっても手に入らぬものじゃ。


 その価値も理解してくれるとよいがの。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る