第1906話・北の地の晩秋

Side:北畠具教


 こちらは水害の始末すら終えておらぬというのに、尾張ばかりか近江ですら先を急ぐように進み始めた。そのことを見せつけられると焦りが募る。


「難儀なものよの」


 父上はすっかり南伊勢の本領を厄介者のように見ておられる。家臣はともかく国人土豪は要らぬと思うておられる様子。


 人とはこうも変わるのもなのか。実の父であるというのに、驚きを禁じ得ぬ。


「好きにして良いぞ。謀叛や一揆があらば、わしも戻り戦に出よう。戦でしか分からぬ愚か者ならば、戦うしかあるまい? 久遠でさえも奥羽領では断固たる政をしておる。甘い顔をして理解するのを待つのもよいがな。出遅れてはならぬ」


 鳥屋尾石見守が父上の言葉に顔を青くする。なんとか家中をまとめておるのはこの男と僅かな者だけだからな。こうも明らかに要らぬと父上に示されると庇いようもあるまい。


 一馬は、従う者、話をしようとする者に甘いが、権威ある者、戦を求める者には誰よりも厳しい。


 理解はする。世を変えるならば時がなにより必要なのだ。


「では、直轄領の土豪らから手を付けたいと思いまする」


 家臣よりも己の足元からだな。織田農園と尾張式賦役で銭を得ている直轄領の民から、土豪らがそれを召し上げ、己がものとしておるところが多々ある。尾張でも以前はあったことだと聞き及ぶことだ。


 ただ、尾張では民が逃げてしまうことや、分国法違反として処分していったとか。


 一馬はあまり急がぬほうがいいと言うが、愚か者は付け上がるだけだ。


 六角の左京大夫殿とも先日内々に話したが、所領はいずれなくすことになる。その流れは変えられぬ。手放す所領のために家を傾かせるなど出来ぬのだ。


さきの古河殿も年内に近江へ移るとか。あれは関東を棄てるかもしれぬ。関東が騒がしくなるのも数年の内であろう。胆に銘じよ」


 そうであったな。古河公方の動きもあるか。隠居の身とはいえ、上杉と北条が関東で争う中、自ら関東を出るとは正気ではない。


 すべてに嫌気でも差したかと思うておったが、むしろ世の流れを知り関東諸将を棄てに掛かったかもしれぬか。


「愚か者と共に家を傾けるのは誰も望みませぬか」


「大智殿とも話したがな、皆考えることは同じと見るべきだ。少なくとも関東を束ねて西と戦をしたところで、終わればまた勝手なことをする者らだ。助けてやる気すらあるまい」


 敵よりも難しき従える者か。政とは難しきことよな。




Side:優子


 奥羽は早くも冬が近づいている。今年の奥羽領の穀物生産量は上向いた。とはいえ、増えたのは主に稗しかない。やはり環境適応力がある作物が一番なのよね。


 季代子は奥羽領において、年貢をすべて現物で納めさせることにした。また領外への米や雑穀の売買は基本禁止、許可制にしている。


 領民がそれらを売る場合は基本織田家で買い上げることにしており、少しでも多くの穀物を備蓄するべく手を打ってある。


 シルバーンや蝦夷などから運ぶ穀物もあるとはいえ、領内の生産物を余所に出す余裕はまったくないのよね。


 広がった奥羽領各地にて飢えないように差配するには、そのくらいの強制が必要になる。


 ああ、身勝手な蜂起をした寺社の一件は未だ解決していない。季代子が早期解決を拒否したことがすべてね。


 織田家では一連の蜂起で殉職した者たちの葬儀を、奥羽領の坊主を呼ばぬまま盛大に行なった。このことが私たちの覚悟として、奥羽領ばかりか未だ口約束の臣従したままの高水寺斯波家の領地や由利十二頭にも伝わったと聞いている。


 坊主に関しては、葬儀に呼ばれなかったことで面目を失い、織田家には奥羽領の坊主が必要ないと示したことで慌てている者が多い。


 おかげで領内は少し混乱しているけどね。厳密には、奥羽領内にある寺と寺領が混乱している。ここまで交渉も許されず、越年するとは誰も思わなかったというのが本音みたい。


 さらに、これから冬が来る。


 八戸などがある奥羽領東側はいいけど、西側は雪深い地域になる。冬支度をする季節だけど、織田領との商いを禁じられた寺と寺領では遥々由利十二頭などまで買い出しに行く必要が出ている。当然、前代未聞なのよね。


 ちなみにこちらの下命を無視するなり破るなりして、彼らと商いをした織田領内の商人や物資を融通した寺社がそれなりにある。


 もちろん彼らには彼らの理屈があり、どんな品も寺社を介するとその前との縁が切れるという慣例があるので自分たちに罪はないという主張をした者が多い。


 まあ、平時ならその理屈で通用したんでしょうけどね。蜂起した後に通じると思うところが舐められている証だと思うわ。


 商人は織田領の品を商い禁止にした相手に売った罪で捕え、寺社に対しては織田領での商いを追加で全面禁止した。


 寺領の領民は逃げる者が出始めているわね。同じ村に寺が二つなり三つある場合、寺領となっている田んぼがある家から逃げ出して、同じ村の本家なり血縁がある家に行くと織田領の民ということになる。


 このあたりはごちゃごちゃだけどね。そういう体裁で村の中で融通しているだけってのもそれなりにある。季代子もさすがに領民を厳密に罰するつもりはないようで、そこは黙認しているけど。


 少し話が逸れたけど、穀物の売買許可制は寺社に大きな影響を与えている。穀物くらいしか売れるものがない土地で許可制にすると、事実上、彼らの領分だった流通を禁止するようなものだものね。


 ちなみに寺社と一部の土豪以外は大人しいものね。織田領の領民は自分たちの暮らしが少なくとも悪くならないことで十分なようだし、相応の血筋や身分がある武士は蜂起どころか寺社に寄進などで支援をすることすらしていない。


 武士が個別に支援することは禁止していないんだけど。


「これはようございますな」


 私は相変わらず領内の流通と商いを担当している。今年の年の瀬に向けて、ニシンに続きタラの干物と塩漬けを用意することが出来た。


 尾張から来ている文官衆に味見を兼ねて由衣子が調理したものを出しているけど、評判は上々ね。


「ニシンと数の子の評判もいいけど、あまりひとつに偏るとね。結局、魚とかしかないけど」


 蝦夷のほうが密かに開発したこともあって、産物はあるのよね。昆布や砂糖なんかは需要がまだまだあるし。奥羽領から出すのはニシン・数の子・鮭など魚介が多い。そこにタラを加える。


 タラが有名になるのは史実では江戸時代以降だけど、この時代でもないわけじゃないわ。主に日本海側で捕れたタラが畿内に売られたこともある。


 尾張ならウチで売り出せば売れるのよね。内陸部の領地も増えたし、魚の干物や塩漬けはあって困るものじゃないわ。


 ほんと漁業の成果がこの地の命綱となりつつある。




◆◆


 真鱈。


 古くから日本でも食べられていた魚であるが、流通量が増えたのは久遠家が蝦夷を制して奥羽の地を織田家として治めた頃になる。


 海洋一族である久遠家により造船と漁業技術が奥羽の地にもたらされたことにより、漁獲量が一気に増えたという記録が残っている。


 真鱈は干物や塩漬けとして久遠家が船で運んでおり、尾張では久遠様の荷だということで少々値が張っても縁起物としてこぞって買い求めたという逸話がある。


 

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