第1905話・終わってみれば
Side:久遠一馬
団体戦で注目の模擬戦は道三さん率いる斎藤家が優勝した。その他にも野戦築城や荷駄輸送、初陣組の模擬戦など、多くの人が参加する競技を最後にすることで武芸大会は大いに盛り上がった。
開催期間は、一日雨で順延があったことで七日掛かった。
総論としては大成功だったと言ってもいい。ただし、因縁ある者たちをどうするのかということや、年々拡大する武芸大会を中長期的にどうするのかという課題は見えている。
とはいえ、みんなの表情は明るい。
「みんないい顔してるね」
「そうですね。成果や先行きが見えるからでしょう」
オレとエルも各所から報告を受けるが、こういう領内の前向きな話題はみんなの気持ちも違うのだろう。
予算も相応に増えているけど、領内の所得も増えていて、武芸大会クジは今年も前年を上回る収益が出ている。
正直、誰も口にしないけど、畿内や朝廷の問題よりも明らかにやる気と熱意が違う。
上がってくる献策や意見書の数と質が違うんだよね。武芸大会や花火大会などの献策は多い。一方で朝廷絡みの献策はほぼない。たまに献上品を送るのを止めるべきだという過激な献策があるものの、触らぬ神に祟りなしというか、関わりを避けたいような風潮が尾張には根付きつつある。
まあ、自分の生活に関わりのないことを熱心に考えるのは、生きるのに困らない人だと昔から決まっているけど。自分の生活や地位が脅かされない範囲で良くも悪くも考える。
ただ、そんな人は貧しい人や生きるのに精いっぱいな人のことを理解しようとしない。オレもそっち側だからな。常々気を付けている。
「あっちも始まったか。どうなることやら」
あと近江では御所に関わる賦役が始まった。主な土地の確保が終わったことで、造成などを早速始めたようだ。
方式としては尾張式賦役で、平たくいうと税としての労働ではなく公共事業になる。
動員されたところとされなかったところ。この格差が、いよいよ六角家の中枢といえる地域で生まれる。油断は出来ないものの、大規模な反乱などはないだろう。
尾張で重車と呼ばれる整地ローラーや、賦役に必要な道具はある程度送る予定だ。
細かい差配に口を出す気はないものの、経済的な流れと物価はこちらで助けないと混乱するだろう。
まあ、すでに数年前から穏便にやっていることで、今さら新しいことをするわけではないけどね。
「商いの流れがすでに変わっていますので、軋轢は増えますよ。これは仕方のないことです」
エルの言葉に資清さんたちや湊屋さんがなんとも言えない表情をした。こちらの要請もあって、六角家では宿老なども含めて米の備蓄を進めているんだ。
理由は一言では言えない。飢饉対策に米の備蓄を頼んだこともあるし、根本的に畿内に売るメリットが減りつつあることも大きい。
近江六角領で必要なものは、尾張から購入するものが年々増えているんだ。貨幣価値の問題もある。堺銭など畿内の価値の低い銭での商いを近江商人も避けているほどだ。
自分たちが損してまで畿内を立てることは、結局、誰も望まないことが明らかとなっている。義理で商いが続いているところもあるし、今のところは軋轢以上にはなっていないけど。
そもそも既得権を持つ寺社にしても、必ずしも畿内優位を求めているわけじゃないし。利権を手放す気も変える気もないが、少なくとも尾張とこちらの勢力圏にケチを付けてくることは表向きとしてはない。
何度も言うが、畿内は潜在的な力はあるし、人口や生産力も未だに大きい。ただ、貨幣価値の問題と、長年積み上げた既得権や権威が発展の阻害になりつつある。
「東国が自前の経済圏を持つなんて思わなかったんだろうね」
西国は大陸が近いから畿内への依存度は昔から高くない。ただ、東国はね。先進地である大陸から遠いこともあって、どうしても途中にある畿内に依存しなくてはならない立場だった。
上手く立ち回れば史実以上に豊かになる地域なんだけどね。
まあいい。ウチも六角家のバックアップで精いっぱいだし。権威があるんだから自分たちで頑張ってほしい。
◆◆
永禄三年、九月。尾張では第十回武芸大会が行われた。
この年は将軍足利義輝とその生母慶寿院が武芸大会を観覧している。熱田・津島の花火に続く尾張入りであり、足利家と斯波織田の関係の深さを内外に示す意味もあったとの記録が散見している。
ただ、義輝自身は仮の姿である菊丸として何度も武芸大会を見物しており、時には塚原卜伝の弟子として審判を務めるなど、この大会を誰よりも楽しみにしていたという記録も残っている。
十回という区切りは当時はあまり意識していなかったとあるが、年々増えていた参加者や種目に大会の規模がより拡大したのがこの第十回であった。
中でも武田と今川の因縁の対決が始まったのがこの年であり、因縁の深さで争いとなっていた時代に、両家が新しい体制の下で生き残るために苦心した記録が一部で残っている。
さらに斎藤利政、義龍の親子対決もこの年であり、家督争いで親子が殺し合うことが珍しくない時代に模擬戦という新しい形で競うふたりは、この後には武士たちの模範だとまで言われるようになる。
個人としては数年前から参加していた越前の真柄直隆が初めて剣術の部門で決勝に進み、大いに盛り上がったことがある。
直隆は越前でも鍛練を欠かさなかったというが、すでに流派のしがらみなどなくなりつつあった尾張で鍛練をする者たちに追いつけぬと悩んだところを、朝倉宗滴の助けにより尾張での鍛練にこぎつけた結果であった。
もっとも、朝倉家は依然として斯波家との因縁が残っており、直隆に対しても誹謗中傷するような者が越前にはいたとされる。
一方で敵地に等しい場所で堂々と戦う直隆は尾張では信頼を得ていたとされ、久遠一馬に気に入られていたという逸話すらあることを考えると、その立場はあまりに難しく異質だった。
とはいえ、戦国の世で己の生きる道を自ら切り開いた直隆は、現代でも人気の武士のひとりとなっている。
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