第1903話・第十回武芸大会・その十一

Side:足利義輝


 武芸大会もあと少しか。次の支度をする場を眺めつつ、母上の様子を窺う。


 表立って表情を変えることがない故、心情までは分からぬが。悪うないように思える。喜んでもおらぬとも思うが。


 最早、尾張は畿内とは別の国。料理や飯の食い方も違えば、寺社もまた別物と言うても過言でないほど真摯に務めておる。


 物事を深く考えぬ者は夢のようだと極楽のような国だと言う。それも間違いではないがな。極楽と地獄が隣り合わせとなっておる意味を理解する者は慌てふためく。


 もっとも、この流れは斯波と織田、それと一馬が生んだものではない。連綿と続く争いの末のことなのだ。頼朝公、いや、朝廷が東国や奥州を攻めて平定した頃からの流れがある。


 朝廷もかつては奪ったのだ。その地に生きる者から。


 権威、地位、因縁。いずこまでさかのぼるのであろうな? 一馬が過ぎ去りし日に拘る者にうんざりするのも今ならば分かる。


 オレが武衛や一馬ならば、将軍も朝廷も残さぬ。必ず尾張と久遠の力と国を奪おうとするからな。一馬のおらぬ世で。


 母上も察するのであろう。故にいかにしてよいか分からぬと見える。


 本来はオレが従えねばならぬ立場だ。頼朝公以来、武士として政をする身としてはな。


 されどオレは……。


 世を知れば知るほど、朝廷も寺社も畿内もうんざりする。管領共々、一度、攻め滅ぼしたほうがいいのではないのか? 今でも左様な考えが消えたわけではない。


 まあ、西に対する苛立ちと不満は尾張者のほうが大きいがな。今までならば確実に畿内と争い世が乱れておったであろう。


 それではいつまでも乱世が収まらぬか。


「ほう、美味そうだな」


 そこまで考えたところで目の前で焼いておった魚が運ばれてくる。香ばしく焼けた匂いがたまらぬ。


 尾張は塩も上質で、魚ひとつとっても料理法が違う。


 これはさんまの干物か。去年あたりから、秋になると蝦夷奥羽から久遠家の船が運んでくるものだ。織田領でもまだあまり出回っておらず、知る人ぞ知るものだがな。


 箸でほぐしてそのまま食う。まだ熱々で湯気が出ておるわ。染み出すような脂が塩加減と相まって美味い。


 飯か酒か。悩むところだな。オレは将軍としてはあまり飲まぬようにしておるので、飯だが。


 あまり体裁を気にする気はない。飯に乗せると一気に掻き込むように食うだけだ。口に広がる飯の甘さと秋刀魚の味についつい将軍ということを忘れそうになる。


「これは……、初めてですがなんとよい味なのか」


「さんまという魚の干物になりまする。遥か東の奥羽領より先日届いた品でございます」


 母上もお気に召したらしい。思うところはあっても尾張では日々の飯が違う。それもあって落ち着いておられるのやもしれぬな。


 生で魚が手に入る尾張であえて干物を出す。なかなかに出来ることではないな。確かに美味いが。


 せっかくの祭りだ。畿内など忘れて楽しむか。




Side:柳生宗厳(石舟斎)


 控えの場も随分と静かになった。


 勝敗が決まると、皆、己の役目や暮らしに戻るのだ。すでに決勝を終えた競技も多く、己一人で挑む競技で残るは弓と刀のみ。太田殿と大島殿、あとは拙者と真柄殿しかおらぬ。


 勝って喜び、負けて悔やむ。皆、それぞれにこの武芸大会を終えた。


「考えたこともないな。すべての者が本気で一番を競うなど」


 静かに出番を待つ真柄殿がふとそんなことを口にした。


「ああ、左様だな。同じようなことをしようとしたところはあると聞き及ぶが、余所は家臣らが異を唱えたとか。織田以外では出来まい」


 誰かに問うたわけではあるまいが、大島殿が答えた。皆、心情は似たようなものなのかもしれぬ。


 この時だけは、己の力がすべてだ。権威も役に立たなく配慮もない。それ故に他家ではかような場を恐れておる。織田家中では左様に言う者もおる。


 今年は武田と今川の騒ぎがあったが、武芸大会を因縁で汚すのかと怒った武官は多かった。甲斐駿河遠江を放逐してしまえ。そう声高に叫んだ者すらおるのだ。


 院の蔵人の失態。譲位における東国の扱い。さらに学校では、古き出来事を確かな書物や書状から読み解き教えておることもあり、かつての争いや戦を事細かに皆が知ることになったこともある。


 本来、限られた者しか知ることのない公卿公家の実情に、寺社の堕落。朝廷の東国に対する扱いなど、民百姓ですら知りつつある。


 朝廷や寺社、公方様とて信じるに値せぬ。左様な結果に行きつくことは至極当然であろう。


 古くに治めておった者が正しいのか? 左様な思いが尾張では生まれつつある。


「ずっと終わらねえといいのになぁ」


 ふと遠くを見つめるように呟く真柄殿の言葉に、かの者の立場を思い出す。


 拙者はそう思うたことはない。常に全力で挑み終われば役目をこなしつつ次に備えるだけだ。日々の暮らしも役目も不満などない。


 ところが真柄殿の立場ではそうはいかぬか。辛かろうな。尾張を知り、己が力をここまで示したというのに、領国に戻ると古き世のままの暮らしに戻るのだ。


 少し同情するところもある。我が殿ほど寛容で己の信念と違う者ですら共に生きていこうとされる者はおるまいからな。


「終わったらまた挑むだけだ。そなたは立場が難しかろうが、幾年も武芸大会に挑んだそなたの日々は決して無駄ではない。いずれ、この日々がそなたを助けるかもしれぬぞ」


 なんと声を掛けるべきか迷うたが、先に答えた太田殿の言葉に思わず唸ってしまう。さすがは久遠家家中でも文武両道では右に出る者なしと言われる男だ。


 殿のお心を察し、殿やお方様方の見ておる先をよく理解しておる。


 これは数年前に守護様から聞いた話だが、大和守家が途絶え、守護様が家臣らを大殿に仕えさせた時に、同じく我が殿に仕えたいと内々に申した者が幾人かおったそうだ。


 ただ、守護様がそれを許して推挙する書状を書いたのは太田殿ひとりだとか。我が殿と太田殿のことをあのお方はすべてではあるまいが見抜いておられた。


 八郎殿と滝川家があまりに目立つために太田殿の名が諸国に知られておるわけではないが、織田家では代わる者がおらぬとさえ言われる。


「だといいがなぁ」


「分かっておる。わしなど愚かな叔父と従兄弟に両親と兄妹らを殺されたからな。人という者がいかに愚かか、よく分かっておるわ」


 太田殿……。


「愚痴るようなことを言うて申し訳ない」


 自らの家の恥ともなることを明かしてまで真柄殿のために声を掛けるか。真柄殿は、左様な太田殿の言葉に目が覚めたようだ。


「ふふふ、よいのだ。さて、まずはわしらの出番か。大島殿、参ろうぞ」


「いざ、参るか」


 弓の決勝が始まるか。


 己の試合の前に他国者を案じる。太田殿もまたなんと人がよいのか。笑うてしまいそうになる。



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