第1902話・武芸大会の最中に
Side:とある国の商人
美濃井ノ口は諸国の商人が集まっておるのが分かる。
武芸大会とやらに合わせて、斯波と織田の領内にある田畑で採れる品を集めておるというので、一目見ようと集まった者たちだ。
尾張で作れぬものはない。近頃では商人の間でそんな話がよく聞かれる。余所者に頭を下げて売ってもらうことなどしなくていいと聞くと、皆が羨む。
「見たことがない品が多いな」
「久遠様のところで作っている品もあるそうだ」
またか。うんざりする。尾張や美濃に来ると、なにかとその名が話に出るのだ。もう聞きたくないわ。
遥々来てやったというのに、あれは売れぬこれも売れぬ。やっと売って寄越す品があったかと思うと、他国には高く売る。ここにある品もほとんど他家他領に売ることはない。見せてやるだけでもありがたく思えと言われたことすらある。
鄙者の分際で随分と驕っておるものよ。
「この盗人めが!」
なにか騒ぎになっておるようだと見に行くと、そこでは我らと同じ他国の商人が兵に捕らえられていた。
いかにやら見せておる品々を密かに持ち帰らんとして、懐に入れたのが露見したらしい。愚かなことを。
この場は柵と塀で囲まれており、出入りする際にはふんどしの中までおかしなものはないかと確かめられるのだ。盗めるはずがないというのに。
愚か者はいずこにもおるか。
「だから余所者なんか入れなきゃいいんだ。都の尊きお方がたもお寺様もお宮様も、おらたちが困っても助けてくれねえんだろ。鄙者だと言うなら、もう関わらなきゃいいんだ」
「おらもそう思う」
だが、そんな愚か者を見物しておる周囲から聞こえる話し声に怒りが募る。下民風情が増長しおって。己らは大人しく村に籠っておればよいのだ。
昔から東は鄙の地と決まっておるのだ。大人しく西に従うておればいい。それなのに……。
下民を増長させるなど、斯波と織田も長くはないな。
Side:プリシア
農産物の展示会に来たけど、思った以上に雰囲気が良くないわね。領民と他国から来た者たちは雰囲気や顔つきからして違う。
領内の者たちは程度に差はあれど、楽しんでいるようだけど。他国の者たちは羨ましげに見ているか不満げにしている者が目に付く。
「商いをしているとこんなものよ。相手を上か下かで判断するだけだもの」
一緒に来たミレイは慣れているらしく、興味すらなさげだ。
平等なんて価値観ないものね。そもそも平等がいいかなんて、私たちだって決められないことだけど。
司令の元の世界の長い歴史では様々な価値観や主義などが生まれたけど、本質はあまり変わらない。
まあ、私たちだって出来ることと出来ないことがある。私は崇高な理想なんて興味もないけど。
「育の方様!! 見てくだされ。我らもあれからいろいろと試しておりましてな」
ぶらぶらと展示してある産物を見ていると、以前に何度か指導をした者に声を掛けられた。
「へぇ。いい出来ね」
そんなに難しいことは教えていないんだけどね。種にして残す場合、よりよいものを選ぶことなど基本中の基本を教えると、そこから試行錯誤する人が農民にも現れている。
稲作の塩水選などもいいきっかけとなったこともあるわね。あれで収量が上がったのを知ると、試行錯誤する価値を理解した人が多い。
無論、そこには失敗もあり、無理にやらないようにと何度も念を押しているけど。
ただ、成功も失敗もデータとしては貴重なのよね。それもあって、事細かに詳細を報告した者には褒美を出すようにしているわ。
彼らにこれからも励むようにと声を掛けていく。
「ではお願い致します」
「ええ、後日参ります」
ああ、別の場所では、気に入った農産物を自分の地域で栽培してみようとする人たちが話をしていた。
これも分国法でいくつかのルールを決めており、ウチが関与しない在来作物に関しては当事者たちだけで進めていることもそれなりにある。
お茶の葉や野菜や薬の原料など、あるところにはあるけど普及していないものは意外に多い。織田家で栽培を大々的に推奨していなくても売れる品は多いのよね。
実は交易の不均衡を広げないためにも、畿内や外から買う品はウチでテコ入れをしていない。ただ、目端が利く者はそこに狙いを定める。外から買うより輸送費や関所などで税を取られないことで安く売れる。そのため多少質が落ちても安価で領民とか下級武士あたりに売れる。
あとウチの商いや商品と被らないからやりやすいんだと思うわ。
交易の不均衡とか経済は今も理解出来ていないけど、創意工夫と試行錯誤は根付いているのよね。
「十年かぁ」
「どうしたの?」
「まさか、こんな暮らししているなんて思わなくてね」
司令やエルたちが十年積み重ねてきた結果が芽吹いている。尾張・美濃・西三河あたりではひとりひとりの領民の意識が変わった。
信じられないわね。私たちがこんなことをしているなんて。
「立ち止まってもいいことないわよ」
「そうね。それはそう思う」
力ない者がどういう扱いをされるか。そんなこと私たちだって知っている。だからこそ、ミレイが言うように止まれない。
もう止まれと言っても尾張の人たちは止まらないだろうけどね。
Side:シンディ
「そう、ご苦労様」
報告に来た家臣に紅茶を淹れて一息つく。
「譲位外しが民にまで知られてしまいましたからな」
ここ熱田では今年も和歌の展示をしており、院と帝の和歌や公卿の和歌も展示しているものの、例年より訪れる武士や商人が幾分少ないみたい。
人の流れが著しく減ったのは公卿のほうらしいけど、少なくとも朝廷に対して冷めた人や怒りを覚えている人が未だにいるということかしらね。
「殿とお方様方の和歌は今年も大賑わいでございます」
ただ、ウチの家臣ですら、その件はそんなものだろうと冷めた受け止めしかしておらず、私たちが義理で出した和歌が人気だと喜んでくれる。
さすがにちょっと気恥ずかしいわね。
そんな家臣と入れ替わるようにリースルとヘルミーナが戻ってきた。熱田の屋敷を私たち三人で主に切り盛りしているのよ。町の規模も経済的にも大きくなった今では三人でも大変なのよね。
短期滞在中のみんなが入れ替わり手伝ってくれているので助かるけど。
「今年も一部の商人が意図的に悪銭を持ち込んでいるわ」
「懲りないわね」
リースルの報告に三人でため息が重なる。
「堺の件を知らない人が多いのが原因でしょうね。あとは寺社が貯め込んでいる悪銭を替えたいと企んでいるところがあるんだと思うわ」
ヘルミーナが忍び衆などの報告から推測しているけど。
さすがに悪銭交換目的で堺と対立したことは喧伝してないのよね。それもあって、悪銭を尾張で使い、良銭を持ち帰るなんてことをする人がそれなりにいる。
本山クラスの大寺院だと情報も得ており、あからさまなことはしないんだけど。中小寺社になると後先考えないところも多いのよね。
こちらが喧伝しない理由は、これ以上、経済と貨幣価値を混乱させたくないから。それだけね。あと貨幣の価値の問題を騒ぐと朝廷が口を出すかもしれないからってのもあるけど。
朝廷は自分たちの権威と立場を守ることしか頭になく、寺社は貯め込んでいる悪銭鐚銭の価値が暴落してそれをどうするかしか頭にない。
足利家は味方ではあるものの、貨幣に手を出す余裕もない。
織田一強の経済もあって、騒ぐメリットがあまりないのよね。悪質なところは他にもいろいろと叩けば埃が出ることから、理由を付けて商い停止にしているけど。
きりがないわね。
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