第1901話・因縁の行く末
Side:久遠一馬
因縁の試合は武田が勝った。
勝因はなんだろう? すぐに答えが出ないくらいに混戦だった。戦術も双方共に個人技主体であり、武芸に優れている人を中心に戦っている。
多分、因縁だと騒がれたことで、思い切った戦いが出来なかったのかなとは思う。そんな、王道の試合運びだった
ただ、悪い訳じゃない。模擬戦では奇策を使って失敗する人もいるんだ。個人の力量や連携に自信があるのならば、むしろオーソドックスな試合が一番いいのは事実だ。
「なんとか無事に終わりましたな」
家老の佐久間さんが安堵したように漏らした一言が、貴賓席の本音だったかもしれない。
当人たちに聞けば、他国で問題など起こさないと言うだろう。誰であれ罰を受けるようなことをしますと言う人はいない。理屈の上ではね。
はっきり言うと織田家において、国人や土豪の信頼度は高くない。特に新しい領地において。直に命じればその場では従うけど、守らないことが普通にある。
晴信さんや義元さんたちがどれだけ頑張って厳命しても、守らないんじゃないのかって疑いが消えなかった。
まあ、これは今川、武田と関係ないレベルの話なんだけど。信濃や奥羽でもあったことだ。御恩と奉公から始まる領地制を終わらせちゃったからね。歴史の過渡期にある段階なため混乱もあるし。
以前にも何度か説明したが、命令に従わない人に対して国人衆への配慮とか慣例で許すってことが、織田家ではもう少なくなっているんだ。
さっき出た信濃なんかだと、国人衆に学んでもらうために文官衆がきちんと事細かく教えているし、尾張に勉強に来ることだってある。すると国人衆の当主と側近くらいは理解してくれるものの、今度は彼らの一族や従える土豪なんかに理解させないといけない。
まあ、これが上手くいかない。お年寄りなんかは勝手に変えるなと怒るし、領地すら渡しては駄目だと言う。領地を維持するなら、こちらの配慮から与えられるメリットがなくなると教えると、それはおかしい。駄目だ。旧来のようにしろと謀叛や一揆を起こす。
「武田家家臣はわりと尾張を楽しんでいると報告がありますね。遊女屋や飲み屋などに出入りしている者が多いとのこと」
「ほう、それは初耳でございますな」
「今川家では恥じることはするなと日頃から命じておりますけど、武田家は細かく命じていないみたいですね」
話が今川と武田のことに少しなったので両家の違いを教えると、佐久間さんや重臣の皆さんが少し驚いている。
家臣単位の行動の様子とかは信秀さんや義統さんには報告しているけど、評定の議題にはならないからなぁ。知らないのも無理はないけど。今後の課題かもしれない。
お家柄というのか、晴信さんと義元さんの統治法の違いなのか分からないけど、今川はあれこれと割と細かく命じている。尾張滞在中の行動とかもそうだ。ところが武田は、問題を起こすなとは命じるが、大人しくしていろとは命じていない。
八屋が出来て以降、尾張には安い値で飯を食わせて酒を飲ませる、飯屋や飲み屋と呼ばれる店や屋台が一気に広まった。もともとこの時代は外食なんて文化はないし、遊女屋とか高級な料理屋のようなものがかろうじてあったくらいなんだ。
ところが今では移民なども増えており、賦役で暮らす民や町に住む人なんかは外食をするんだ。ほぼ織田領に限定した文化だけど。
武田家臣たち、こっちの安い飲み屋や飯屋に夜な夜な遊びに出ているみたいなんだ。
ウチも昨日から情報を集めていたけど、尾張を楽しんでいる人が多い武田家臣は思ったより大丈夫そうだなというのが印象だ。
因縁があるのは今川や信濃であって、尾張は因縁とあまり関係ないからね。甲斐者からすると気楽なのかもしれない。
今川家臣も別に問題あるわけじゃないけどね。恥入ることをするなと命じていることと尾張で遊女屋など行くなと命じているものの、一部の人がこそこそと隠れて行っているくらいだし。
もしかして、陪臣クラスの武士向けの行動指針を示さないと駄目なんだろうか?
学生の修学旅行じゃないんだからさ。各家でそこは上手くやってほしいんだけど。
Side:武田義信
勝ったが、わしの差配で勝ったわけではない。それは向こうも同じであろうがな。
「さすがは武田。お強い。あまり戦の差配をしておらぬ身では勝てませなんだ」
控えの場に戻ると、今川彦五郎殿がすぐに声を掛けてくれた。こちらから声を掛けようと思うておったというのに。家臣らを気にせずすぐに来るとは。
楽しげな笑みまで浮かべるこの御仁が恐ろしく感じる。
「いや、某も差配というならほとんどしておりませぬ。もう一度やればいかになるのやら……」
強いと言われるほどの差はあるまい。それはわしでも分かる。
「勝ちは勝ちであろう」
「因縁だと周囲を案じさせてしまったからな。あれがなくば分からぬと思う。武田は今川家ほど難しい因縁が少ない故に。皆もあまり気負いせずにやれたのだろう」
世辞か。そう聞こえた。ただ、わしはあまり世辞など言えぬ。故に本音を言うたほうがよいと思い、隠し立てすることなく勝ったわけを口にした。
勝敗を分けたのは因縁の数であろう。我が武田は斯波家と織田家に近しい因縁などない。本筋は武田家と今川家の因縁なれど、因縁で騒ぎを起こすと斯波家との因縁も再燃するかもしれぬのだ。
今川方が本気で勝とうと出来ぬことは当然だ。
「では、次は本気で勝たせていただく」
あまり意地を張る気もないので本音を語ったが、彦五郎殿は驚きつつもさらに面白げに笑みを見せると、『次』という言葉で因縁とは無縁だと周囲におる両家の者と織田家臣らに示した。
「結構、こちらもこの試合で勝ちだと思うておりませぬ。本気で戦ったうえで勝ちたい」
上手いな。だが、これに乗らぬ手はない。
因縁は消えずとも上手く付き合い、生きていかねばならぬ。まして彦五郎殿とは血縁もあるしな。
「決勝は斎藤山城守殿か。是非とも勝ってもらいたい」
そう告げた彦五郎殿は今川方の者らを連れて去っていく。
正直、疲れた。祖父上や父上もこれで安堵していただけたであろう。
土岐のような愚かしいことで家を滅ぼすなど御免だ。
◆◆
第十回武芸大会の模擬戦において、今川家と武田家が準決勝でぶつかったという記録がある。
この時、両家を戦わせて大丈夫なのかと織田家でも議論があったとの記録も幾つか残っており、織田信秀は因縁で今後の懸念になるくらいなら試合を止めるかと今川義元と武田晴信に問うたという。
両家の詳細は残っていないものの、一部言い伝えとして両家は出場者に対して誓紙を提出させたともあり、些細な因縁が世の中を乱した時代の難しさを表している。
ただ、武田家臣は祭りを楽しんで夜な夜な飲み明かしていた者もいたという記載が『資清日記』にあり、上層部の懸念ほど下の者たちは因縁に拘っていなかった可能性もある。
この後、模擬戦における武田と今川の試合は因縁の対決と言われるようになり、負けられないという意地と面目に懸けて戦う両家の試合が注目されることになった。
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