第1886話・第十回武芸大会・その四
Side:久遠一馬
領民参加の種目も盛り上がるなぁ。常連組の中には顔を覚えた人もいる。仕官した人もいるけど、家の田畑があるからと仕官せずに毎年参加している人も僅かにいる。
相変わらず故郷の村の期待を背負って出ている人も多いけどね。
誰かが言っていたけど、花火と違い武芸大会はみんなで参加することが人気の秘訣らしい。元のイメージは運動会だったので、それに近いものになりつつある。
オレは義輝さんのいる貴賓席に同席しているものの、会場内を見て歩くために途中で抜け出している。
人々の様子や会場内に問題点がないか。報告書だけだと分からないこともある。まあ、動いているほうが落ち着くという本音もあるけど。
「みんな楽しそうだね」
まだお昼前なんだけど、お酒で酔っぱらっている人が結構いる。これはお祭りにお酒を飲める人が増えたという意味でもある。あまりガチガチに締め付けてもどうかと思うので個人的にはこれくらいでいいと思う。
面白いところは、驚くような物売りとかいることか。ただ、織田家で祭りの露店を管理しているので、あからさまに詐欺まがいの人や不衛生な人はほとんど見かけなくなった。
トラブルが多いのは、領外から来ている余所者だろう。他国だと通じるような通例というか暗黙の了解が、織田領だと通じなくなりつつあるからだ。
意外にトラブルが多いのは旅の坊主とかか。織田領だと坊主というだけで優遇しなくなりつつあるからなぁ。これはオレたちが関わったことではなく自発的な変化だ。
悪質な高野聖などは相変わらず問題になっているんだ。もっとも公にすると面倒なので、高野聖を名乗る賊として処理しているけど。今のところ苦情は来ていない。
言い方は悪いが、寺社と宗教関係者の信頼と地位を落としているのは彼ら自身だ。横暴な振る舞い。説法の押し付け。宿泊を断ると暴れるとか。事例を挙げるときりがない。尾張あたりだと領内のお坊さんがまともなので、余計に旅の坊主のそういった悪評が目立つんだ。
寺社奉行とか信心深い人は怒っているけど。自業自得だと思う。
そんなことを考えながら見ていると、困っているような人を見かけた。
「いかがされました?」
やせ細った旅装束のお坊さんだった。噂をすればなんとやらというわけではないだろうけど。
「いや、連れとはぐれてしまいましてな……」
「ああ、そうでしたか。あちらに人探しをする迷子所があります。そこに行ってみてください」
どっからか噂を聞きつけて見物にきたんだろうなぁ。人の多さに戸惑って雰囲気に馴染めないでいる。こういう善良なお坊さんはみんなで助けたいんだけど、見極めが難しいんだよね。
「ありがとうございまする」
「いえいえ、人も多く慣れないと大変でしょう。困ったら市中にいる兵を頼ってください」
お坊さんはオレを見て戸惑いつつも迷子所に向かった。オレ自身は偉そうには見えないかもしれないけど、護衛がいるから察したんだろう。
そうそう、迷子所。大人の利用が半数以上とかなり多い。一緒に来た人とはぐれる人が多いんだ。ちなみに今年はかおりさんの助言で、黒板と白墨を各地の迷子所に設置した。
オレの元の世界にあった伝言板からヒントを得たそうだ。警備兵も増員して対応しているけど、待ち合わせなんかで行き違いにならないように黒板を利用出来るかもってね。
識字率上がってきているしね。あとでそっちの様子も確認に行こうかな。
Side:愛洲宗通
毎年、武芸大会の頃になると、亡き父上と兄弟子らを思い出す。
御所様に追放された兄弟子らの幾人かは、数年後には戻りたい故、御所様に取り成せという文を寄越したことがある。
父上の高弟である関東の上泉殿のもとを頼った者もおり、上泉殿からはなにかあったのかと案ずる文をいただいた。仔細をしたため申し訳ないと謝罪する文を返すと、兄弟子らは上泉殿のもとからも追放されたと聞いた。
それもあって御所様の許しが欲しかったようだ。
あと織田領にて密かに暮らす兄弟子もいる。似た者がいると噂を聞き門下の者が確かめたのだ。間違いない。
思うところはあるが、武芸を捨てて陰流を名乗るわけでもない以上、捨て置いておる。
「愛洲様! 今年も楽しみにしておりますよ!」
多くの者に声を掛けられるのも慣れた。
ただ、もし尾張にて武芸大会に出ておらねば、わしはいかがなったのであろうか? 近頃、左様なことを考えることがある。
今では尾張や伊勢を中心に陰流の使い手は多い。塚原殿の新當流、今巴殿の久遠流と並び立つほどに多くの者が学んでおるのだ。追放された兄弟子らより遥かに強い者も多い。
父上から受け継いだ陰流は決してわしのものではない。陰流を汚す者は許してはならぬが、多くの者が陰流を学び、己の技とすることはむしろ誉であろう。
偶然であったが、陰流を広め、世の安寧に役立てることが出来た。やがてくる太平の世に陰流と父上の教えの流れを汲む多くの武芸が残る。不出来な倅としては上出来ではないか。左様に思える。
「愛洲さまだ!」
「勝ってください!」
少し歩いておると、学校で僅かに武芸の指導をした子らに出くわした。武芸というても竹刀を持つことと正しく振り下ろすことのみを教えたまだ幼い子らだ。
「うむ、力の限りを尽くそう」
わしが敗れても陰流が敗れるわけではない。流派と使い手は別なのだ。これは少し前から尾張にて根付いておる考え方だ。
寺社と神仏は別であるように、使い手と流派もまた別である。尾張では左様に考えるようになっており、誰もが出し惜しみせずに武芸大会に挑む。
この国には敵わぬと心底思う。
ただ、内匠頭殿や今巴殿らが背負う重荷を、わしはわずかだが理解した。
人々が光明とすることが、いかに重荷となるか。奇しくも尾張者でさえ、わしの勝ちを祈り願う者がおることでそれを知った。
無論、わし如きに出来ることなど高が知れておる。人を変え、世を変えるなどわしに出来ることではないからな。
されど、父上から受け継いだ陰流にて、内匠頭殿らの背負う重荷をほんのわずかでも共に背負うことになるならば、これまで励んで生きてきた甲斐があるというものだ。
故に、わしは武芸大会に挑まねばならぬ。
面目や意地ではない。共に生きる者の明日を支えるためにな。
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