第1887話・第十回武芸大会・その五
Side:リンメイ
今年も津島は、展示してある書画を見ようという大勢の人で賑わっているネ。
書画など分からないという人も相変わらず多く、物珍しさから見に来ているだけの人もいる。だけど、読み書きを教わったことで学問に興味を持ち、書画を見ようという人も増えた。
「武鈴丸がいないと屋敷が静かね」
うふふ、私もテレサの言葉に同意する。武鈴丸は清洲の武芸大会を見物に行っていて数日は戻ってこないネ。なんだか物足りないくらいに寂しさがある。
「今年は絵師も結構来ていますね。即興で絵を描いていますよ」
書画の展示をしている津島神社に行っていたマリアが戻ってきたけど、それは面白いことになっていると実感する。
変わろうとすること。慣例に囚われず、新しいことをやろうということが根付いている証と思えるネ。
もとは慶次が始めたと聞いている。祭りで似顔絵を描いて商売をしていたそうだ。恐らく警備兵に頼まれて似顔絵でも描いた経験を活かしたのだろう。
いつの間にか尾張の祭りでは人気の出店のひとつになっているネ。
絵師もまた尾張では畿内や他とは違った形になりつつある。特定の流派が権威を持ち、身分ある者に頼まれて描くようなことはない。
大殿が早々に畿内に合わせることを止めた影響があり、それが絵師の多様性という形で実を結び、今では画風も様々な絵師が出始めている。
まあ、メルティの西洋画が流派と言えなくもないけど、仕事の独占などしないことで競争原理が働いている。
特に武芸大会の人気投票で一番となると、一年間織田家のお抱え絵師となれる制度は大成功と言えるだろう。
畿内に頼らぬ国にする。この十年で文化面にまでそれが及んでいるネ。人が変わろうとする意志はここでも私たちの予測を超えつつある。
武芸大会は完全に私たちの手を離れた。
この先、私たちがいなくなってもその時々の人により受け継がれていくはずネ。少し寂しいようでもあり、嬉しくもあるよ。
Side:マドカ
救護陣は比較的余裕がある。初期の頃の大会だと、出場者ばかりでなく喧嘩する領民なんかも大勢いたけど、回を重ねるごとに怪我人が減っている。
余所者が騒いだりすることもあるけど、警備兵が目を光らせているからね。
ただ、ひとつ解決すると、新たな問題も出てくる。
「なんだと!? ここだと銭を取らんのではないのか!?」
またか。噂をすればなんとやら。のんびりと診察をしていると、怒鳴り声が聞こえた。
「ですから、それは織田領の者だけになります。他家他領の方はお代をいただくことになっております」
尾張では銭を取らず医師や薬師が診察する。感謝される一方で、それに付け込む輩も増えた。特に祭りにて設置する救護陣には、何食わぬ顔をして余所者が診てほしいとやってくるんだよ。困ったもんだね。
どこぞに仕える武士か、牢人か。武芸大会の見物に来たのか、騒動を起こしにきたのか。興味もないね。
「持ち合わせがないならば、後日賦役として働くことで診察を受けることも出来ますが……」
「己はわしに下民と同じく働けと申すのか!」
「名のあるお方ならば清洲城に参ってください。ここでは証立ては出来ません」
看護師が説明しても声を荒らげる男を、救護陣を守る警備兵が捕らえた。身分や立場に問わず、愚か者はいるんだよね。
自称する立場や身分に合わせて扱わないと騒ぐ輩は減らないね。ちょっと強気に押すと折れてしまう者も多いのだろう。尾張だと罪人として捕らえてしまうけどね。
「お方様……」
騒がしい救護陣が静かになると孤児院の子がやって来た。なにやらもじもじとして言い出そうとしている。
「あら、草太。どっか痛いの?」
「これ、この前のお礼です!」
何事かと思ったら、ウチの屋台で焼いているたい焼きだった。顔を赤らめながら差し出したそれを受け取ると、頭を下げて一目散に走っていってしまった。
「あらまあ、モテるねぇ」
キョトンとしてしまったのだろう。たい焼きの温かさを感じているとジャクリーヌにからかわれた。
遊んだ際に怪我をしたのを手当してやった子だ。アタシの場合、人よりも家畜の診察も多いからね。月の半分は牧場で暮らしているから、子供たちとはよく会うんだけど。
「モテるか。悪くないわね」
こういう経験は初めてだ。一応、人妻なんだけど。
恋をして大人になる。ちょっとあの子が羨ましくなる。アタシたちにはない、子供時代という経験を積めることがさ。
Side:ミレイ
職人の展示場。今年もいろいろとあるわねぇ。
刀剣の類も多い。数打ちの代物じゃない一点ものね。あと大内塗り、これを用いたものも多い。小物から家具のような大きなものまで様々ね。
「あら、これ上手ね」
なにかないかと見ていると、目を引いたのはガレオン船の彫り物だった。三十センチほどかしら? 丸太を削ってガレオン船を見事に彫り上げている。細部もよく観察したようで、今にも海を走り出しそうだわ。
なによこれ。名工と称えていいレベルだわ。こんな彫り師いたかしら?
「それは山の村の者が作った品でございます。獣の彫り物ではなく御家の船を彫ってみたいと励んだようでして」
名のある職人が移住したのかと思ったら身内だとは……。
山の村とか山間部に作らせている木彫りの民芸品。結構売れるのよね。尾張だと子供のおもちゃにもなるし、小さなものは諸国の商人が土産に買うこともあるわ。
しかし何年も作っていると、こういう逸材が出てくるのかしら。山の村ということはウチの家臣よね。本業として彫り師をしているのかしら? まさか仕事の片手間で作ったなんてことはないわよね?
一度、調べたほうがいいかも。内職のレベルじゃないわ。職人衆に転属させるべきよ。
「これは……」
「職人衆、木下藤吉郎の品でございます。なんでも着物を洗うものだとか」
これ洗濯機だわ。ろくろの応用でたらいに付けた取っ手を回して洗う。誰かヒントでも与えたのかしら?
まあ、旋盤があるんだし発想次第でおかしくないんだけど。他の者はこの価値に気付いてないわね。珍品扱いで展示してある。
うーん。どう評価するか迷うわね。あとでエルに報告しておこうかしら。
◆◆
洗濯桶。
永禄三年、第十回武芸大会に出品された工芸品として記録が残っている。
製作者は木下藤吉郎。前年には織田家職人衆として久遠家に仕えている。
藤吉郎は前年に足踏み式脱穀機を出品しており、この洗濯桶も基本原理は当時すでにあったものを流用したと思われる。
現在の洗濯機の元祖と言われる品であるものの、足踏み式脱穀機と同様に武芸大会ではそこまで注目を集めることはなかった。
ただ、その発想力を久遠家は高く評価したとあり、洗濯桶自体もふんどしなどを洗うのには便利だということで尾張を中心に徐々に広まることになった。
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